260.陽動の裏で

 魔物の狙いが聖地であることは明らかだった。十から多い時は五十ほどの塊で、聖地に向かって魔物たちがやってくる。さすがにずっと流れ込んでくるわけではない。

 フェナの土塀が、厚く長く、聖地を守るようにそり立っている。高さは大人の身長の六倍ほどだ。一箇所だけ外へ開けており、そこから騎士や神官、冒険者たちが出入りする。土塀より西は帝国に接しているが、魔物たちはそちらに興味をまったく持っていないので、彼らは静観していた。帝国の境界に同じような土塀を作り、必死に距離を伸ばしているが、あちらにフェナはいない。何十という精霊使いが動員されているというのに、その出来は天と地ほどの差があった。

 当面の目標はこの土塀を少しでもセルベール王国の境界へ向けることだ。そうなれば、魔物は帝国の領土に停滞することとなり、あちらも黙って見ているわけにはいかないだろう。

 櫓を作り、赤々と松明を焚いて魔物の襲撃を見つけると各班に伝令を飛ばし出撃する。

 増軍される前は夜はフェナがこれ一人で行っていたと言うから驚きだ。

 土壁の上に立ち、索敵をして魔物の塊が見つかればそこから攻撃を飛ばし壊滅させる。

 死んだ魔物には火を点ける。

 聖地より西は延々と広がる草原だったが、今は踏み荒らされ燃し尽くされた荒野だった。

 そしてフェナの土塀より西側に、少しずつ同じような土壁を増やしていっている。増軍後はかなり作業が捗った。

 その内側に、待機中の人々が休める場所を作り、軽い怪我に対応できるよう簡易スペースが設けられている。聖地の中から物資を運ぶ荷車が行き交っていた。

「ビア、どうだった?」

「だめ。ごめんね。せめて補給に従事するよ。神官様よりは争い事に慣れてるし、剣はまだ使えるしね」

 精霊使いの剣は、精霊を使いながら振るうことに慣れていて、剣士騎士として己を鍛えていないので、精霊がなくなれば思うように振るえなくなる。魔物の中に飛び込めとは誰も言えなかった。

「お前があのとき庇ってくれなきゃ俺たちがかなり大怪我をしてたさ。前線は任せとけ」

「ああ、頼む」

 それでなくてもビアは小柄だ。精霊の巧さがなくなった今、こうやって前線への補給を進んでやっていることすら無理をしているのではないかと思われている。

「こちらが補充品です。必要なもののリストをください」

 紙に書かれた品物をユルルが一瞥する。

「了解いたしました。またお持ちします」

 そう言って次の待機場へ向かう。

「よっぽど上手く組み紐トゥトゥガを切ったんだな」

「あそこで疑われちゃ元も子もないからね」

 ビアがふふんと笑った。

 次とその次は同じようなやり取りで補充品を置いていく。

 そして一番端に差し掛かったとき、聖地側に闇の魔物が現れたとの知らせが届いた。

「次は俺らだったな。行ってくる」

 同郷の三人の冒険者がそう言って駆け出した。

 待機場に残っているのは二人の冒険者だ。

「守備は?」

「上々」

 ビアが荷車の覆いを取ると、黒く長い袋が現れる。

「荷車は埋めておく。これがお前たちの隠蔽陣だ」

「彼女は小さくて軽いから楽だね。ビアの深淵の組み紐トゥトゥガは例の場所に埋めてある。背中を出して」

 黒の袋を少しだけめくり、背中を向け衣服をめくる。紙に書かれた隠蔽陣をその背に当てると、やがて黒いモヤがその陣を型取り燃える。残ったのは背に刻まれた隠蔽陣だ。

「これで本人に使われている追跡の類も防げる」

「助かる」

 手早く身体を袋に戻す。

「闇の精霊様の御心のままに」

 互いにニヤリと笑い、シーナを担いだユルルとビアは隠蔽陣を握りしめて駆け出した。


 普通ではありえない体勢に、目が覚めた瞬間は何が起きているのか思い出せなかった。真っ暗で手足は動かせない。定期的に加わる衝撃に気分が悪い。いや、吐き気がする。

「なにが……」

「もう目が覚めたのか。かかりは悪いし目覚めも早いというのは、ビアの腕が落ちた?」

「あの男と同じように眠りの常習者だったんじゃないの? あと、深淵の組み紐トゥトゥガを一度使うと普通の組み紐トゥトゥガとかなり合わなくなるのよ。無理やりやったにしては上出来だと思うんだけど?」

 聞き覚えのある声に、一気に目が覚める。

 暴れると、落ちた。背中をしたたか打って息が詰まる。それ以上に、気持ちが悪い。

「危ないだろ。まあ、もうこれは必要ないから取ってしまおうか」

 視界が開けて明るくなる。と同時に吐いた。胃の中身をぶちまける。

「少し乱暴だったかな」

 そう、ユルルが言いながら洗浄の組み紐トゥトゥガでシーナの口元と汚した衣服を洗った。

「来ないで……こっちに来ないで!」

 ビアから、あの吐き気のする気配が放たれている。

「ん? あなたを傷つける気はないわよ? 落とし子ドゥーモですもの。落とし子ドゥーモは世界樹様の子だから。そうでなければ攫うなんて面倒なことはしないわ。始末したほうがずっと楽」

 吐き気は止まらないが、もう吐くものがない。

「とにかく、先へ行こう。もうすぐ魔物の群れに遭遇する。これがあるから私たちを襲いはしないけど、向こうの索敵に引っかかるかもしれない。隠蔽陣があってもね。ほんと、とんでもない代物だわ、索敵の耳飾り」

「歩く? 歩ける? ……無理そうだね」

 地面に伸びているシーナを、ユルルが再び担ぐ。胃を押されてぐっと喉が鳴った。

「そんなに気分が悪くなった? 困るね。まだ半分も来ていないのに」

「違う……その組み紐トゥトゥガが……気持ち悪い」

「え、深淵の組み紐トゥトゥガのことを言ってるの? それで吐いたの? やだ、それならあなたこの先大変よ。みんな、これをしているもの」

 走りながらビアが笑った。

「さあ、急ごう。もう聖地でもバレている頃だろう。フェナ様が追いかけだしたらすぐだぞ」

「隠蔽陣も持っているし、そんな早くは追跡できないわよ。たとえ空から来たとしても、我々が進むのは地下だ」

 ニヤリと笑うビアの視線の先に、不自然な石積みがあった。

「ようこそ我らが地下拠点へ」

 暗がりの先からは、気分の悪くなる気配しかしなかった。

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