133.領主の名代
まあもちろん、フェナがシーナの頭を洗うわけもなく。自分の髪の毛をぱぱっと洗って体もピカピカにして湯船に浸かる。
こんなに歩き続けたのは人生始まって以来なので、湯が身に沁みた。身体強化、疲労軽減を使っているとは言え、疲れないわけではない。
「お風呂最高ですねー」
「そうだね、動いたあとの風呂はいいね」
貴族の屋敷に泊まれば風呂がついてくるのは嬉しい。
「お屋敷に呼ばれることを予想していたんですか?」
「シシリアドは今や一番の注目領地だからね。私までついてきているとなれば、ほぼこうなることは見えていた」
「そういうの嫌がるかと思ってました」
「言ったろ? 食事とベッドのランクが上がるなら構わない。あと、ここはきちんと子爵自ら出迎えに来た。名前を呼ぶときアルバート様とフェナ様、とアルを蔑ろにしなかった」
「おお……色々と考えていたんですね」
「お前は考えなさすぎだ」
ふふ、とフェナが笑う。
「考えてないわけではないんですけどー、まあ、貴族や領地の事情はあんまりわからないですね」
「だが、嫌でも関わる羽目になるだろう。しっかり見ておきなさい。アルがどう問われてどう答えたのか」
「アルバートさんをですか?」
フェナもいつの間にかアル、と呼んでいる。ちょっとだけジェラシーである。
「やつは今回領主の名代だ。本来は領主が来るべき時だったのに、そうはならなかった」
「いつも大祭には領主様が行かれるんてすか?」
そうじゃない、とフェナが首を振る。
「披露宴にここの領主も参加していた」
あ、と声を上げる。
「あれは王女を狙ったものだったと皆わかってはいるが、起きたのはシシリアド領主の披露宴でだ。ここの領主は無事だったが、この先訪れる土地でいくつか亡くなった者もいる。王女が来るならばと参加していた者たちがね。表面上はにこやかに受け入れるだろうが、実際は額面通りとはいかない。せめて領主が来ていれば違っていただろうが」
「エドワール様はアルバートさんに押し付けたんですか?」
非難を免れない役目を押し付けて逃げたのか。
「あれはそんな男じゃないよ。シーナがそんな風に思っていたと知ったら嘆くぞ」
「いや、私もそうは思いますけど。むしろマリーアンヌ様がそれを許さなそうと言うか」
「つまり?」
「つまり??」
エドワールは仕方無しにアルバートにこの役目を任せたと言うことだ。
「何ででしょう?」
「なんでだろうねぇ」
これは絶対知ってるけど教えてはくれないやつだ。
「まあ、なるべくアルを助けてやりなさい。ただし、貴族に直接話しかけてはダメだ。相手が話していることに口を挟むのも」
「フェナ様もアルバートさんを助けてあげるんですか?」
「助けなくていいのか?」
とても意地の悪い顔をしている。
「そりゃもちろん助けてあげて欲しいですけど」
「シーナがお願いするなら、私にできるやり方で助けてやるが?」
「頑張ってるアルバートさんが困らないように、助けてあげてください」
「わかった」
すっかり話し込んで少々のぼせ気味だ。湯からあがり、新しい服に着替える。
髪の毛はフェナが乾かしてくれた。精霊は便利だ。
部屋に戻り着替えたものを置くと、部屋がノックされた。
「はーい、どうぞ」
「失礼致します。お夕食の準備が整いましたので、ご案内致します」
食堂にはすでにアルバートたち男性陣は揃っていた。フェナはシーナが席に着くとすぐに来た。ヴァッサベーラはシーナたちより早くに来ていたらしい。
「それでは、大樹様のもとへ向かう敬虔なる者たちへ、心ばかりではありますが少しの休息となれば幸いです」
これは、巡礼者をもてなすときのお約束の言葉らしく、村でも言われた。軽くうなずき返すだけでいいらしい。
いつもと違って、ヤハトもお行儀よく食べている。シーナも周りの様子を見ながら食べ始めた。
料理はいたって普通の、まあまあ美味しい料理だ。量がかなりあるので、頑張ってもてなそうとしてくれるのはわかる。
「エドワール様はお元気でいらっしゃいますか?」
これまでの行程の天気や、魔物の様子、神官たちとの旅の感想など、当たり障りのないことを話していたが、ようやくフェナが言っていた、本当に聞きたいことに話がたどり着いたらしい。
それまでと変わらぬ笑顔でアルバートは答えた。
「ええ、おかげさまで夫妻共々健康に過ごしております」
「それはそれは。今回はエドワール様にもお会いできるかと思っていたのですが……」
「エドワール様も今年の大祭に参加する予定で色々と仕事を調整していたのですが、少し難しくなってしまいまして、私が名代を言いつかりました」
「それは、さすがは今一番力をつけているシシリアドの領主様ですね。お忙しいことは良いことです」
こんな会話に自動翻訳は搭載されないようだ。
文面通りに受け取るわけにはいかないやりとりなのだろう。意地悪く受け取れば、エドワールが来るのが当然なのに来ていないのはなぜか? 勢いがあるからと調子に乗っているんじゃないのか? といったところか。
これをどうやって救えと?
いや、貴族が話している時は黙っていろと言われていた。今は黙るときだ。
「エドワール様はいらっしゃられませんが、預かっているものがございます」
事前に渡していたのだろう。メイドへ目をやると、黒い布で包んだ物を持ってきた。
皆の前でそれを広げると、瓶に詰まったクッキーだった。
「こちらの布は保存の陣です。本来は領主様にお届けしたいのですが、巡礼の道筋からかなり逸れてしまうのでもしよろしければこちらをお届け願えませんか?」
「これは……?」
「メイナラファ領主様よりお聞き及びのことと思いますが、とても美味しいデザートのお話です。あれとはまた別で、こちらは茶菓子。クッキーといいます」
よく見るとジャムが乗っているのもある。
バッと、フェナを見ると彼女も赤いジャムに乗ったクッキーに釘付けだ。シーナがノーと言えないのをいいことに、皆の前でクッキーについて聞いたフェナの落ち度だ。
「もちろん、毒見をしていただいたほうが良いと思います。日持ちが一週間くらいなので、常に陣でくるんで運んてください」
「よし、毒見をしよう」
「フェナ様! ここでというわけじゃないでしょう……」
「だが、どうせやるなら治癒を使える私がいるときのほうが安心だろう?」
めちゃくちゃいい笑顔をしている。
フェナとヴァッサベーラが毒見をし、驚いた彼がレシピを尋ねるが、アルバートはまたお届けしますねと話を打ち切った。
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