69.懐かしの香り

 調香師は、好きなリラックスできる香りを探すのに、たまにこんなことをするらしい。

 表の看板をクローズにすると、シーナをソファに座らせ、目を閉じるよう言われた。

「私も落とし子ドゥーモの方の香り探しは初めてです。探り探りになりますが、シーナさんの懐かしの香りに辿り着けるよう一緒に頑張りましょう」

 目の上に温めた布を置かれた。ホットアイマスクのようで、気持ちが落ち着く。

「確か、シーナさんがいらっしゃったのは三月頃でしたね。三月のシシリアドはこんな香りでしょうか」

 ふんわりと、空気の流れを感じたと思ったら、シシリアドの街に辿り着くまでの、バルの背中を思い出した。

 街の前の草むらの香りだ。

「シーナさんの住んでた街は草原が近くですか? それとも町中でしょうか。覚えてる香りはありますか?」

 東京都心、たまに公園はあるが、街路樹が少々くらいの自然とはかけ離れた場所。

 香りで印象に残るものなど、なかなかない。

「家へ入ったとき一番最初に感じる香りは?」

 それならば、ポプリだ。同僚がポプリの講座に行って作ったと言う。その一つをもらった。

「乾燥させた花の香」

 ファマスのつぶやきが聞こえるや否や、鼻先に香りの流れが訪れた。

 少しずつだが、香りが異なる。

 あっ、と思って声を上げようとしたら、それよりもファマスがシーナの変化に気づき、香りの変化が止まる。

「それではさらに時間を遡りましょう。シーナさんは町中に住んでらっしゃったんですね」

「故郷は、どちらかと言うとずっとシシリアドの街が続いたようなところでした。自然は少なく、そういった場所にいかないと触れられない。休みの日には自然の多い場所へわざわざ訪れる人も多い」

「ふむ……わざわざ自然に触れに行かねばならぬと。馴染みがあるのは海ですか?」

 ぶわっと塩の匂いがシーナを包む。

「それとも、草原? 湖?」

 ファマスが言葉を重ねるたびに、香りが切り替わる。

「山々?」

「あ、祖母の家は山あいにあった」

 そう、小さな頃は夏休みのたびに連れて行かれた母方の祖母の家。新幹線に乗り、在来線に乗り換え行く先は、普段は体験できない田舎の暮らしだ。

「シーナさんはそこが好きだった?」

「そうですね。私がいろんな手作りが好きだったのは祖母の影響があるかもしれません」

 買えば済むものも、長い夏休み中いた片田舎で、やることがなくなると祖母の手伝いがてら色々と作って楽しかった。

 朝は早くから畑に水をやり、雑草を抜き、取れた野菜にそのままかぶりついたりした。

 トウモロコシを茹で、冷やしたスイカを食べ、昼のそうめんは祖父が作った無駄に長い流し素麺の装置で食べるのだ。

 祖母が作るそう麺つゆは、干ししいたけの出汁が効いていて、自宅のめんつゆとは違う。

 そう言えば肉まんを作ったこともある。木のせいろで蒸す間、台所で飲んだ紫蘇ジュースはとても美味しかった。

 夜は星を見たり花火をする。

「花火?」

「んー、少量の火薬を使って、色んな色の火花を散らすんです。棒状になっているのが殆どで、手に持って楽しむのが夏のお約束ですね」

 言い終わらないうちに花火の燃えたあとの香りがする。

「わぁ! 花火の後の匂い」

「懐かしの香りは、そんな夜の香りですか?」

 言われて考え込む。

「夜よりは、昼? 昼下がり、いや、夕方?」

 はっきりとしない記憶に口をきゅっと結ぶ。

 鼻先にあの懐かしい香りが漂ってきた。

「あ! 蚊取り線香!」

 思い出した。そうだ。蚊取り線香だ。あの独特の香り。東京の自宅では匂いのない物を使うのですっかり忘れていた。

 祖父母の自宅では、家のあちこちで焚かれていた。しかもそれだけでなく、洗濯物の匂いだ。

 夏の強い日差しの中、洗濯物は昼過ぎには乾き切る。それを取り込んで広い畳の部屋で昼下がりに祖母と一緒にたたむとき。日向の匂いと蚊取り線香の匂いが当たりを包みこんだ。

 目の上の布を取る。

「除虫菊とよく乾いた洗濯物の香りでした」

 懐かしい、子どもの頃の記憶だ。中学生になると部活動があるので長々遊びに行くこともできなくなってしまった。

「物が燃える匂いだったんですね。ふむ。ここからは商売になりますが、もしよかったら香を作りませんか? お祖母様との思い出の香りを」

「はい、お願いします!」

 ファマスはにこりと笑うと、ソファ近くの机に並べてあったたくさんの素材からいくつかコンコンと叩いて香りを呼び覚ます。

「時間ごとに香りの変化があるようにしましょうか」

 今たどってきた、ポプリの香りもプラスして、最後に香玉に匂いを込めると、それは深い緑色をしたものになった。

 瓶に入れてもらって鞄にしまう。

「ガガゼの角は、ちょっとしたスパイスになりますね。少し危険なので許可がないと店に置くことはできませんが」

「危険?」

「火の近くに置くとかなり大きな爆発を起こすものなのです。扱いに免許もいるんですよ」

 危険物取扱者甲種みたいなやつだろうか。

「扱い方によっては危険な素材は多いのです。でも良い香りが引き出される」

「面白いですね」

「もしよかったら他にもまた作りに来てください。今回は懐かしの香りでしたが、好きなリラックスできる香りを別に調合しても良いですしね」

「ありがとうございます」

 今日は良い一日だ。

 懐かしい香りを抱えて帰路につく。

 寝る前に故郷を楽しもう。


 

 


 

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