68.調香師
「ガラ、香があと少しで切れそうです」
朝の支度をしていたギムルが、店内で焚く香のストックがついていることに気づいた。
「やだ、忘れてたわ」
ここの香は優秀で、消臭プラスがついている。どうしたって人が密集しているし、わずかとはいえ糸に素材の匂いが残っていたりする。
さらに、冒険者の中には出先からすぐ
消臭プラス、好きな香りを提供するのだ。ガラの香の好みは一貫しているというか、毎度同じ種類だ。曰く、匂い=ガラの店ということを印象付け、どこかでこの匂いを嗅げばそろそろ
地球の心理学みたいなことをしているなぁと感心した。
「んー、シーナ悪いけど行ってくれる?」
「はい。ファマスさんの店なら真っすぐ行った大通りだし、冒険者ギルドの近くだし大丈夫ですよ」
先日【暴君】を酔い潰してからシーナの評価が上方修正されたらしい。黙ってやられるやつではないと。そちらではなく、人攫いに抗ったほうで評価されたかった。まあ、頂いた魔導具のこともでかい。
ちなみに【暴君】たちは一昨日シシリアドを出発した。お別れ会をその前々日に『火の精霊の竈』でとりおこなった。誰も潰れない良いお酒の飲み方の会であった。
お金をもらい店を出る。寒さはすっかり和らいでいた。一応白の薄手のコートは着ているが、昼間ならいらないくらいだ。春は短くカラッとした暑さが続く場所だった。
朝は人が行き交い活気もある。朝起きるのは未だに苦手だが、この時間帯の街の熱気は好きだった。それぞれが仕事場へ向かう途中か、祈りを捧げに行くかその帰りか。生活の流れがあった。
ファマスの店は開けるとふんわり色々な匂いが漂ってくる。甘かったり爽やかだったり柑橘系だったり、様々な香りがそれほど喧嘩をせずに漂う。なにやら独自の空調システムを採用しているらしい。
「おはようございます。まだ始まる前なのにすみません」
「いらっしゃいませ。シーナさん」
彼は老紳士という単語がピッタリなジェントルメンだ。いつもピシッとした服を着て、にこやかにカウンターの向こうで立っている。
「お店のお香ですか?」
「もう少しで切れそうで」
「了解いたしました、そちらにかけて……また見ていかれますか?」
「はい!」
初めてこちらの店に来てから、調香師のファンだ。
この世界のお香は丸い。丸い小さな、ビー玉くらいの大きさだ。それにほんの少しだけ魔力を通すと一定時間香りが漂うことになる。しかも、その人の魔力によって匂いが微妙に変わってくる。これは、香水のようなものだろう。同じ香水でも付ける人の体臭によって漂う香りが変わる感じだ。
ファマスは5つの素材を机の上に並べた。そして指揮棒のような、小さな短い棒を、胸のポケットからすっと取り出す。あれだ。魔法少年たちが使うようなシンプルな杖だ。調香師たちになくてはならないもの。
「それでは、太古の香りを呼び覚ましましょう」
素材は様々だ。香木のように古い木の樹脂などももちろんあるが、魔物の尾や、角、爪なんかも素材になる。
十分に魔力を通した調香杖で、コンコンと順番に素材を叩くと、ふんわりとした香りを素材が纏い出す。指先でくるくると回した杖に、その香りがまきとられていくのだ。順番や量、香りの厚さ。それらか全て調香杖の先で繊細に形作られていく。
魔力のモヤが見えるようになってからというもの、さらにこの調香が楽しくなった。
綿あめのように杖の先に香りの厚い層ができる。
最後に、ビー玉のような香に、匂いの塊を押し付けると、この香玉はみるみる調香した香りを吸収して色を変える。ガラの好きな香りは落ち着いた黄色だった。
持ってきた瓶に、香玉を受け取り、支払いを済ませる。
「開店前からありがとうございました」
「いえいえ。またご利用ください」
お礼を言って店を出ようとしたとき、香ってきた匂いに足を止める。
とっさに足を止めて振り返ると、ファマスと目が合う。
「なにか忘れ物でも?」
「いえ、なんだろう……なんか、懐かしい匂いが……」
今はもう消え失せている。
「ふむ、朝からいくつか調合しましたが……では、今度のお休みのときぜひ店に寄ってください。シーナさんの故郷の香りを私も確認してみたいです」
そんな約束を交わし、とりあえず店に帰った。
不思議と懐かしさを覚えただけで、どんな香りだったか覚えていないのである。
気になって気になってのようやくの休みの日。ちょうどフェナたちは狩りに行ってるので呼び出されることもない。
シーナはガラへ断りを入れてファマスの店へと向かった。
「いらっしゃいませ、ああシーナさん。少しかけてお待ち下さい」
「お邪魔します」
ファマスはシーナの姿を認めると、そう言って奥へ向かった。
しばらくして、トレイに五つ、素材を乗せてきた。
「先日いらっしゃる前に調香していたものです。こちらから、ドレーザの爪」
シーナの手のひらほどある、大きな青黒い爪。引っ掛けられたら確実にやられるだろうなという尖り具合。
「マダーラガの樹液が固まったもの。ヤナアイオの樹液が固まったもの、デン砂漠の砂サソリの毒針」
毒という言葉にビクリとするシーナを見て笑う。
「古いものですから毒の成分は抜けておりますよ」
なかなか怖いものを使っている。
「そして最後のものがガガゼの角です。いじっていただけなので、これで香を作ってはいないのです。素材から匂いを取り出し記憶する作業をしておりました」
そう言って調香杖で一つずつ少しだけ香りを巻取りシーナの鼻先にくるくると差し出した。
一つずつ、毎回軽く鼻先を洗浄して香りのテイスティングしてくれた。そして最後のガガゼの角で、ぶわっと懐かしさが込み上げてくる。
「これ、これです! うわぁなんの匂いだろう」
懐かしくって、そんなに頻繁に嗅ぐようなものではなかった。少し甘ったるい。
「今はお客様もいらっしゃいませんし、そちらのソファに腰掛け、リラックスして香りを味わってみませんか?」
そうしてシーナは香りの旅に出ることにした。
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