24.聖典

 世界の始まりはひとつの種だった。

 その種から芽吹いた葉がゆらりと揺れて風が産まれた。芽を安定させるために大地が広がり、葉を清めるための水を降らせ、成長した幹から暖かさがこぼれだし、集まり熱となり、世界を包み込み、木はさらに大きく太く成長した。

 やがて、木は十分な大きさを得ると、真っ暗な中で仄かに輝きだした。

 世界樹が十分な力をつけると、やがて暗がりの中から出てくる者たちが現れた。

 世界樹のもとに、あらわとなった者たち、それが、人や動物、そして魔物だった。

「そうやって我々は世界樹様のお膝元で暮らし始めたのです」

 聖典てのはみんなこんな感じなのかしらといった感想です。

「世界を包む六つの精霊もこの時産まれていますね」

「先生! 落とし子ドゥーモの、落とし子の話をして!」

 子どもの一人がそう言うと、教師役の神官は少し目を丸くした後、シーナを見て、微笑んだ。

「そうですね。せっかくだから少しお話しましょうか」

 

 世界がだんだんと賑やかになってきた。世界樹のもとに、生き物が集い、騒ぎを起こしながらも、数を増やしていった。

 そんなあるとき、世界樹の上に丸い穴があいた。そしてそこからなにかが落ちてきた。世界樹は自らの葉や、風の精霊を使って、落ちてきたものを受け止めた。それはここに暮らすものとよく似た形をしていた。

 落ちたものは、暴れ泣きわめいていた。哀れに思った世界樹は、彼らにせめて言葉だけはと、祝福を与えた。

「だから、落とし子ドゥーモは、言葉はどんな言語も通じるのです。それが、落とし子ドゥーモであるという指針にもなります」

「指針?」

 シーナが首をかしげると、神官は苦笑し、子どもたちが騒ぎ立てる。

「自分が落とし子ドゥーモだっていってくるひとがいるのよ」

落とし子ドゥーモはむじょうけんで神殿にほごされるからね」

「ご飯もたべほうだいだよ!」

 おおう、それは、うん。日々の食べ物に困ってたらやってしまう輩もいるのかもしれない。

「さあそれではお勉強を始めましょう。小さな子は基本文字三十字。それができた子は先生にお手本を書いてもらって練習ですよ」

 そう、この世界、大文字小文字はないけれど、基本の文字が30もあるのですよ。せめてアルファベットの数くらいまでにしてほしかったぁ~

「シーナさんは文字はどうですか?」

 神官の方がやってきて、尋ねてくる。

「お恥ずかしながら、名前しか書けないし読めません……」

 組み紐トゥトゥガ作りにかまけてそっち方面には全く手を出していない。

「お名前は書けるんですね。基本文字三十字は?」

「教えてください」

「では一つずつ……」

「あ、いえ、できれば三十字書いていただけると」

「俺が書いてあげるよ!」

 隣の推定六才男児が、シーナの石板にスラスラと書いていく。

「よく書けているわね。シーナさんは、ではこれを練習しましょうか」

 かなり小さめに書いてくれてはいるが、隙間がなくて練習はできないので、鞄から手帳を取り出した。会社支給の今年度の手帳である。分厚くてメモもたくさんあるので、仕事にはこれを使っていた。それとは別に手帳もある。さらには、ちょうど某コンビニで夕飯を買ったついでに二百枚入りルーズリーフを買ったところだった。

 この世界の紙はやはりそれなりのお値段がする。コピー用紙A4五百枚、四百円なんてそんなバカみたいに安い値段な訳がない。かなり大事に大事に使っている。シャープペンの芯もいつかはなくなるのだ。

「わぁすごい、本? シーナお金持ち?」

「違うの、これは私の故郷のものなの。大切に使ってるのよ。基本の文字は、ずっとれんしゅうしないとだから、ね」

 手帳に書き写し、男の子に合ってるか聞く。

「すごく上手に書けてると思う。お手本の字みたい」

 文字を書くことにはなれているのだ。

 すっかり先生役を気に入った男児、ニールが一文字ずつ発音して教えてくれた。アルファベットに似ているけれど把握しきれない音がある。

 これは、発音は諦めてとにかく、文字として読めるようになるべきか? なにしろ文章になると耳からはいる分は自動翻訳なのである。そして口から出る分も。ものの名前は、音から単語を結びつけることになるだろうし、そうなるとやはり発音は大切だ。野菜の名前は新しいものとして、たぶんそのものままの名前で聞こえているのだ。

 例えば、ピーネとか、キリツアとかのことだ。

 しかし、手、や足といったあちらにもこちらにもある言葉は自動翻訳されている。なんとも前途多難である。もしかしたら新しく「手」という単語を覚えたら、自動翻訳でもここの言葉の「手」に置き換わるのかといえば、そうでもなさそうな気がする。

 全部の音を聞いた後に、自分の名前を見ると、ほぼ音を当てはめたようだった。なかなかに前途多難である。

「シーナさん、大丈夫ですか?」

 ずいぶんと難しい顔をしていたらしく、ミリアが声をかけてきた。

「いや、言葉がわかるというのもなかなかに困りものだなと思ってねー。ありがとう。地道に身の回りにあるものの単語を覚えていくことにするね。手始めに机はどう書くの?」

 そう聞くと、今度は子どもたちが自分の知ってる単語を次々に教えてくれて、賑やかな文字の練習の時間となった。


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