18.ある組み紐師の一日(前編)

 ギムルは今年二十八になる組み紐トゥトゥガ師だ。シシドリアの街でも一、二を争う人気店ガラの店に弟子入りしている。もう十分実力もあるし、独立するなら援助はすると、師であるガラから言われている。もう二年前に。

 ありがたいことだ。

 ただ、妻の病や子どもたちが多く、貯金が心もとなかった。ようやく子どもが全員仕事を始めたところで、もう少し資金をためるまで店で働かせてくれとお願いしたのだ。あと一年ほどすれば、開店資金としては少し足りないが、神殿で借り入れをすればなんとか店を開けるくらいになるだろう。と、思っていたのだが、ここにきて少し、躊躇いが生じた。

 この店を離れるのが惜しくなってしまったのだ。


 二の鐘が鳴る前に家を出て神殿へ向かう。真っ白に埋め尽くされた空間に、朝の祈りを捧げに皆が集うのだ。今日という日を迎えられたことへの感謝。大樹様から与えられた出会いへの感謝を心のうちでとなえ、そのまま店へと急ぐ。

 店の前を箒で掃いていたのは、序列では上から三番目のミミリだった。本来なら彼女がするような仕事ではない。弟子になりたてや序列下限の弟子たちがする。が、最近うちの店ではこんな風景が日常となってしまった。

「おはよう。部屋の掃除は?」

「マナベラがやってる。ギムルは悪いけど糸の準備をお願いしていいかしら?」

「任せとけ」

 店は、南向きで広い大通りに面している。外からの門からはそれなりに距離はあるが、海からもどちらからも同じくらいにあり、街のメイン通りからも近い。立地としてはなかなかの場所だ。ギムルが店をもつとなったら、もちろんこれだけの好条件の場所はまず無理だ。土地がなく空き家もない。最初は、海からの冒険者か、西からの冒険者に絞り、そちらへ近い方の小さな店舗を見つけるべきだろう。

 閉店時に仕舞いこんである糸を作業場へ取りに行く。この店にいるガラの弟子たちは、それぞれ自分の糸を持っていた。名前を記している籠をまるごと抱え、すでに設置してある丸台に置いて回った。

 丸台を中心に、客用の座り心地の良いソファと、組み紐トゥトゥガ師が座る椅子がある。丸台の数は九つ。ちょうど弟子の数ぶんある。

 ガラが組み紐トゥトゥガを編むときは奥の部屋に客を通す。

 店を構えるなら、客が待っている間に苛立ちを覚えない程度の座り心地の良いソファは必ず準備せねばならぬだろう。

 一つの丸台にだけは、糸の籠がない。

 彼女だけはまだ自分の糸を持っておらず、ガラの作ったものを使って編んでいる。次の調合の日には、連れていこうといっているのを聞いたので、新しい籠の準備も必要だなと考える。

 さて、その一番若い弟子が今だ店舗に姿を表さない。

「シーナは?」

「さっき起こした。準備中」

 本来なら許されないことだ。兄姉弟子が開店準備をしているのに、遅れてくるなどということは。

 当初は本人も夜早く寝る等努力を重ねていたが、体質なのか二の鐘前に自力で起きることが本当に無理だったようで、目覚ましの組み紐トゥトゥガはないのかなどとガラに乞い願っていた。が、そんなものはない。小さな頃から一の鐘が聞こえてくれば自然と目を覚ますものだ。しかしそれは、最初からここに生きている我々だから言えることなのだと、神官のローディアス様がおっしゃっていた。

 シーナは世界樹様の落とし子ドゥーモだ。

 他所の世界からこぼれ落ちた拾われ子だ。

 落とし子ドゥーモの中にはシーナと同じように鐘を感じる力の弱い者が多くいるという話だった。

 特質チェチェならばそれは仕方のないことだ。特質チェチェを持つ者は数多いる。ギムルもその一人だ。夜目が利く分明るいところが少し苦手だ。

 ガラが起こすようにはなったが、次第に状況が変化して、今は二の鐘で店にやって来たものが起こすようになった。

 他のどんな雑務を引き受けてでも、シーナにはやってもらわねばならぬことができたのだ。

「おはようございます」

 奥の階段から現れたシーナは、後ろにガラを伴っていた。

 この店で誰よりも幼い外見の彼女は、実はギムルの二つ下でしかなかった。これもつい先日知ったこと。

「おはようございます、師匠せんせい。シーナもおはよう」

「おはようございます。準備、します」

 起きてきさえすれば、シーナはよく働く。何事にも勤勉でそして丁寧だった。

 人通りが多くなり、弟子たちも揃い、客がやってくる。


 組み紐トゥトゥガは、量産品とオーダーメイドとがある。個人個人に作るものは、索敵魔除けといったような意味を持つものではなく、精霊との繋がりを作る物だ。一種類の精霊との組み紐トゥトゥガならば割合簡単なのだが、複数になるとその力関係や親密度の高さ、力関係を感じとりながらバランスを整えて作っていくしかない。ある程度は言葉で教えられるが、最終的には感覚の問題となる。つまり、経験とセンスだ。

 最初にきたギムルの客はもう五年の付き合いで、お互いの感覚も十分わかっている。

 丸台の真ん中の魔力溜まりに指をつけるベラトムが、隣街の話をするのを聞きながら、彼の魔力に合った糸を組んでいく。彼は二つ、風と火の精霊を扱う。精霊使いであると同時に武芸にも秀でていて複合技でシシリアドでも名の売れた男だった。

「そういえばまだ新しく店は持たないのか? 言ってた資金もそろそろたまった頃だろ?」

「うーん。今ちょっと色々と、ね」

「……落とし子ドゥーモか?」

 声を落として回りには聞こえないほどの囁き声。

 それに対してギムルはうーんと苦笑した。


  魔力溜まりに準備した糸をとぷんと浸ける。シャーラフェーナの繊維から取り出した白の糸と、ババラベの繭を、ピララの胆嚢で紫色に染めたものからとった糸。指先を遮断液で染めて糸を組んでいく。ベラトムの魔力とはさほと反発しないとは言え、ギムルの魔力と全く同じ魔力ではないので、遮断液を維持するための魔力のすいとりは激しく、組むときの魔力の消耗はなかなかのものだ。魔力の差がなければないほど、魔力は消耗せず、糸の効力も薄れない。自分の色に合う組み紐師を見つけるのも、良い精霊使いの第一歩だ。腕の良い組み紐師は、自分の魔力を相手の色に寄せる。それが技術の一つだった。ガラはこれがため息がでるほど上手いのだ。どうしたって組み紐師の魔力が組み紐トゥトゥガにのることになるので、この魔力寄せが上手いと、使い手の魔力の消耗が減る。

「うん、相変わらず腕によく馴染む」

 組み紐トゥトゥガ師にとっての褒め言葉だ。

 金貨を一枚ぽんと置くベラトムに、ありがとうございますと立ち上がった。

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