第19話 もう一度あの場所へ

 リンカがその日の夕方にはすっかり元気になっていたのは、彼女が眠っている間に私がキスしたおかげではないだろう。

 午前中をほとんど寝てすごした彼女は午後十時になっても目が冴えていて、眠くなってきた私にかまわず、あれこれと話した。いつでも眠れるように部屋の中は月明かりだけが頼りだ。


 リンカがいた世界では魔法がない代わりに科学が発展しており、大空を鋼鉄でできた鳥が飛んでいたり、星の裏側の人の顔を見て話すことができたりと、とんでもない世界らしい。


「元いた世界が恋しい?」

「寂しさを感じないって言えば嘘になるよ。けど、大丈夫。ドロシーがいてくれるから」


 私のベッドに並んで腰掛けているリンカがそう言って、身体を寄せてくる。


「この距離感もごく当たり前なの?」

「仲のいい女友達同士だとわりと普通かな。ああ、でも誤解しちゃ嫌だからね。私は誰とでもこんな近づくことってない。なんだったら家族を除くとドロシーが初めて」

「へぇ……」

「安心した?」

「言えるのはこっちに来た以上はこっちの道理に合わせないといけないってこと。きっとこの二週間余りでわかったでしょう?」

「たしかに」

「あなたがいた世界は興味深いけれど、今はここで生きているんだから、私はあんまり気にしないことにするわ。下手に思い出させるのも悪いし」

「それって……ようは、過去にどんなことがあっても今の私を愛してくれるってこと? わぁ、器の大きな魔法使いさんだね」


 曲解である。そんなつもりで言ったのでは……いや、少しはそういう気持ちもあったかな。本当にどうして、この子は私が自覚していない私までさらりと言い当ててくるんだ。


「ねぇ、今日はいっしょに寝よっか」

「変なことしない?」

「えっ!? そんなリアクションされる困っちゃうよ。てっきりすぐに『お断りよ』って言うものだとばかり」

「……変なことする可能性があるの?」

「ないよ。ないけど……ドロシーがあんまり可愛いと私もそういう気持ちになっちゃうかも? ダメダメっ! 今のは忘れて。まだ私たちには早いって」

「あらかじめ言っておくけれど、私はそのあたりの知識に自信がないわ。ましてや経験は皆無。もしもの時はリンカに任せるわ」

「ええっ、それつまり私にリードしてほしいってこと!? わ、わかった、頑張る」


 私は欠伸を噛み殺してから「今日は一人で寝かせて」と言った。彼女はどこか緊張した面持ちで肯き、私のベッドから離れる。

 離れていく銀色が月明かりに照らされて綺麗だった。





 その夜、久しぶりにソウセキの夢を見た。過去をなぞる夢ではないのは珍しかった。夢の中で触れる花も鱗もあたたかく優しい気持ちになれた。

 宙を漂うソウセキがまるでついてきてとお願いしているみたいに、私を導く。夢の中のアリオト魔法学院で、ソウセキが私を連れてきたのは壱番館だった。


「ここに何があるの? 本を読みたいの?」


 ソウセキはその小さな体をふるふると振って、壱番館の中へと進む。後を追う。


 追いかけながら、どうかいい夢で終わりますようにと願っている。


 そうだ、もう夢だとわかっている。


 ソウセキはもう私のそばにいないのだから。それとも、見えなくなっただけでずっと見守ってくれていたのかもしれない。そんなことを真剣に考える。

 

 やがてソウセキが止まる。

 そこは……地下書庫の入り口だった。


 目が覚めると、私は目元を指で拭ってから、決心した。信じてみたい。ソウセキが夢で教えてくれたこと。





 翌日、午前十時。休日だ。

 数時間前に旧棟に帰ってきてから泥のように眠っていた涙坂先生を起こし、私は自分の予想を伝えた。無論、リンカもいる。


「地下書庫、か」


 先生は眠気覚ましにと淹れたコーヒーを一口啜ってそう言った。


「もうお調べになりましたか?」

「いいや。そしてその理由がわからない君ではないだろ? リンカはどうだい? わかるかな、なぜ地下書庫を調査していないのか」

「へ? えっと……したくてもできない、みたいな?」

「さすがはドロシーの妻だけあるね。核心部分を突いてくる」

「えへへ」

「……えへへじゃないわよ。どうしてできないか説明してみなさいよ」

「いやいやいや、そこは譲るよ。配偶者の面子を立てる奥ゆかしさを持ち合わせているからね!」


 先生とリンカ、二人揃って妙にあたたかい眼差しを向けてくる。私は、目の下に隈ができてしまっている先生に申し訳なさもあり、駄々をこねずに話を進めることにした。


「危険性を考えれば手を出しづらい領域ですよね。部分的に解明されている書棚はあっても、未知数の書棚も多い」


 実のところ、地下書庫の実態については最近になって調べ直した。ヤトくんを探しに入った時はただ単に危険な魔本もあるらしい、魔法を使ってはならない空間としか知らなかったが、今はもう少し詳しい。

 とはいえ、調べれば調べるほど、不用意に入るべきでないとわかったのだけれど。


「私たちに結ばれている契約魔法のことを考えると、再び同じようなことが起こらないとは言えません。そしてどうやら、話ぶりから察するに、学院司書であってもそう易々と魔法の行使が許可されないのですね」

「そのとおり。検索魔法の類でも厄介な魔本側に感知されるとまずいってことで、あそこで特定の本を探すのはかなりの手間だ。すでに解明済みの書棚は真っ先に確認したけれど、空振りだったよ」

「むむむ……検索魔法というと、オッケイグウグルって感じの詠唱なのかな。あ、なんでもないです、続けてください」


 先生は私に笑みを向けているが、リンカとは違う形で私の胸中を察しているに違いない。私は深く息を吸って、ゆっくり吐いてから話す。


「先生、私はこの学院が好きです」

「ふむ。続けて」

「好きとは言え、退学と自分の、いえ、自分たちの命を天秤にかければ上に掲げるのは退学です。ですから……一夜だけでも見逃してくれませんか」

「君たち二人が夜中に地下書庫に忍び込み、魔法を行使するのを? 馬鹿言っちゃいけない。もし君が遭遇したのと比べ物にならない邪悪な本があったらどうする? 学院を灰にするかしれない、危険分子を見過ごせと?」


 笑顔の圧が重くなる。目がまったく笑っていない。


「あ、あれ? 今ってけっこうな修羅場? あのさ、ドロシー。そもそもその検索魔法みたいなのってドロシーは使えるの?」

「……感知系統の魔法とは言っても、本に関わることであればきっとうまくいくわ」

「涙坂先生でも、いやーな本側に気取られる恐れがあるのに、ドロシーは完全に一方的に目的の本を調べられる絶対の自信があるってこと?」


 容赦無く言ってくれるリンカだった。


「いやはや、 君の妻は見目麗しいだけではなく聡明だね」

「それならせめて、魔法を一切使用せずに昼間に二人で地下書庫から手がかりになる本を探すのを許してくれませんか。先生たちと違って無意識に魔力が漏れ出るようなことはないでしょうし、リンカの魔力の放出は極めて限定的です」

「なるほどね……」


 先生が思案する素振りを見せ、またコーヒーを一口飲むと苦々しく「わかったよ」と言った。


「魔力を一時的に押さえ込む魔道具も手配しよう。それをつけて慎重に書棚を漁ってもらう。正直言って、その状態でを引いたら無事じゃ済まないだろうね。それでもあの地下書庫こそが答えの在り処と信じてやってみるかい?」


 私はリンカを見る。

 その微笑みが私を後押しする。


 こうして私たちは壱番館の地下書庫へ舞い戻るのを決めたのだった。

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