第16話 大森林にて③

 初等部の基礎魔物学の授業で知った時、シシグイマイマイというのは名前負けしていると思っていた。

 巨大な蝸牛の姿をしたそいつは主に雨天時に活発化して、雨宿りしている野生動物を狙い、時には獅子をも喰らうというのだ。

 現実としては、死にかけている大型動物に貼りつくようにして生命力を絞り、その死骸から栄養分をじわじわと吸収していく魔物だと教科書にあった。

 当時の担当教員は、その生息域はダンジョン内だけではなくたとえば学院の森林区間も含まれると話していたのを思い出す。


 今、目の前の光景を見るに教員の言っていたことは事実だった。


 ぬるり、ぬりゃりと。

 奴は近づいてきている。


「降り出して間もないのに鉢合わせるなんて、ついていないわね」

「ど、どうするのドロシーちゃん」

「さっさとこの場を離れましょう。見てのとおり動きは遅いから逃げるのはそう難しくないわ」


 実際、森林区画でこれまでシシグイマイマイに怪我を負わされた生徒の話は聞いたことがない。


「ほら、リンカも……リンカ? どうしたのよ、そんな青ざめて」

「うっぷ……やばい、吐きそう。無理、無理なの。むりむりカタツムリ」

「しっかりしなさいよ。そんなふうに蹲ったんじゃ、本当に餌食になってしまうわよ?」


 どうやらリンカは蝸牛が大の苦手で、見るだけでも嫌悪感が込み上げるようだった。過去に強烈なトラウマがあったかどうかなどを聞いている場合ではない。


「ぎゃぁっ! ふ、増えた!?」


 リンカが物凄い形相で叫び、私の両脚を抱きしめてくる。

 確かに一体目の後方からもう一体が、そしてその隣からさらにもう一体、合計三体のシシグイマイマイがこちらに向かってきているのだった。

 先程からチリンチリンと鳴り続けている鈴のせいもあるかもしれない。


「落ち着きなさいって。これだと私も逃げられないでしょ」

「お、置いていかないで。死が二人を分かつまでいっしょでしょ?ね?」


 顔面蒼白のリンカが震えた声で私を見上げている。


「リンカちゃん!? それってどういう意味!?  いつの間に、ドロシーちゃんと、け、結婚していたの!?」


 結ばれている契約魔法からすると間違ってはいないが、誤解しているサラに私は「戯言よ」と言って、大きな溜息をついた。


 しかたない。身体強化魔法は特に苦手な部類であるが、少しの時間なら問題ないはずだ。私は覚悟を決める。脚に強く絡みついているリンカの手を引き剥がして彼女の目を見て言う。


「目を閉じて掴まっていなさい」


 制御杖を使って自分に身体強化の魔法を精一杯かける。そしてリンカを持ち上げた。


「わぁ……お姫様抱っこだ」

「サラ、そんな目を輝かせていないで、提出用のバッグを持ってくれる? それから雨避けの魔法を展開してここを離れるわよ」

「りょ、了解!」

 

 目をぎゅっと瞑って低い呻き声を断続的にあげるリンカを抱えたまま移動する。

 サラが三人ともが雨に当たらないように魔法を展開してくれているので濡れはしない。

 が、足元は既にぬかるんでおり、転げないように慎重にならざるを得なかった。


 移動すること二分足らず。

 もう周囲にシシグイマイマイはいない。どこにも見当たらない。

 だと言うのに、なぜかバッグについている鈴が鳴りっぱなしだ。試しにサラがその鈴を握って、止めようとしてみたが、止まったのは一時だけですぐまた鳴り始めた。


「これってどういう……」


 雨避けの魔法を解除して私たちは再び木陰に入る。私はゆっくりとリンカを立たせた。彼女は黙って私に寄りかかる。その元気のない顔には調子が狂う。


 私たちとは別の木陰で、不思議そうに鈴を調べているサラ。私はふと、彼女が背をもたれた木から嫌な気配を感じた。


「サラ! そこから離れて!」

「え?」


 木が動く。そしてサラに体当たりを繰り出したのだった。

 

 私とリンカは、倒れたサラのもとへと駆け寄る。

 サラは不意打ちを食らってまだ驚いているふうだったが、目立った外傷はない。無事に立ち上がった。


「ドレッドオーク……!? なんで平然とこんなところに居座っているのよ!」

「ひ、ひえええ」


 植物型の魔物。

 木に擬態というより木そのもの。だが、正体を現した今、その太い幹に恐ろしい顔が浮かぶ。枝葉を操って攻撃してくる魔物だ。


「シミュラクラ現象だね」

「は? 」


 急にリンカがふらりと私たちの前に立ち、呟いた。


「三つの点が逆三角形に、つまり人間の目と口の位置どりに配置されている図形を見ると、顔として認識するように私たちの脳はできているんだよ」

「それが今何の」

「あんなの木のシミ。ねぇ、やっちゃっていいよね? 」


 私もサラも何と返していいかわからなかった。戦闘は避けて集合場所へとまた走り出せばいい、と考えていた。

 でも、この子は違う。二度は逃げない、もう醜態を晒さないとでも言わんばかりに、ドレッドオークの正面に立っているのだ。

 

 ドレッドオークの根が地面から這い出て足となり、もぞもぞとこちらへ向かう。


「この戦いが終わったら、帰って熱いシャワーを浴びるんだ。あ、これフラグじゃないからね」



 気が動転しているのね。

 私はそうみなして後ろからリンカの手を引っ張ろうとした。だが、それよりも先にリンカが高く手をあげる。降り続けている雨、きらりと光ったのは例の星呼び石のブレスレット。そして次の瞬間、別の光がその手から放たれる。


「ほ、ほんとに出した……」


 唖然とするサラ。

 土門先輩&ゴーレムの一件を私から聞いていたとはいえ、今の今まで彼女はリンカの特殊武器について眉唾だったのだろう。無理もない。なぜあんな網付きも棒が役に立つと思える?


「か、かっこいい!」

「えっ」


 サラが予想外の感想を発して私がそれに困惑するのと、ほぼ同時にクロスを掴んだリンカが動き始めた。


――――ああ、たしかにこれはカッコいいわね。


  雨中に舞う銀色の妖精が如く。

 

 クロスを握った彼女はドレッドオークとの距離を軽やかに詰めたかと思うと、その網ポケット部分に眩い光球を生み出し、避けようのない魔法攻撃を放った。


「どうだっ! 水谷式マジカルダイレクレトビューティフルシュートは!」


 技名はともかく、威力は申し分なかった。

 ドレッドオークは短い断末魔をあげた後に沈黙し、サラサラと溶けていった。


「ぶえっくしゅんっ!」

「風邪ひくわよ」


 大きなくしゃみをするリンカ。私は今度こそ彼女の傍に寄り、傘を差すようにして雨避けの魔法を行使する。彼女の手からクロスは既に消えていた。


「ちゃんと見てくれていた?」

「当たり前よ。そんなはりきって倒さなくてもよかったのに。そんな課題じゃないんだから。……危ないことしないでよ」

「えへへ、ドロシーにいいとこ見せたくて」

「……馬鹿」


 私は雨に濡れた彼女の髪に触れて指で梳く。そうしている間も、私に微笑みを向けたままの彼女。私も目を離せない。

 段々と、二人の顔が近づいたところで、後ろから咳払いをするのが聞こえた。無論、サラがそこにいた。


「えっと、そろそろ集合場所に行かないとだよね……?」

「ええ、そうね。そうしないとね」

「うんうん。なんかごめんね、サラ」

「ふぇっ!? べ、べつに私は二人が熱い口づけを交わすのを邪魔したかったんじゃなくて、むしろ尊い瞬間を瞼に焼き付けたい気持ちもあるにはあったけど、いろいろと複雑な気持ちが入り混じった末に、今は私のメンタルが持たないって判断しただけで……」


 サラも動揺しているようだ。無理もない。


 そうして、私たち三人は集合場所へと戻ることにしたのだった。

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