第13話 デート?②

 弐番館の屋上は学院全体を見渡せるほどの高さでない。普段、人が入る場所でもないから床も汚れ放題だ。ようは風情がある空間ではなかった。

 ただ、たしかに私とリンカの二人きりになれる場所だ。一番星がくっきりと浮かぶ、深まる前の宵闇の空の下に私たちはいた。


 私がリンカの手によって着せ替え人形になった後、結局は二人で似た系統の服を買って、それから当初の目的だったアクセサリショップでは魔法石のペアブレスレットを購入したのだった。


「お腹空いたね」


 空を仰ぎ見る私の隣でリンカが言う。


「だったら、わざわざこんなところに来ないで、食堂にまっすぐ行くべきだったんじゃない? せめて何か買ってからにする手もあったわ」

「一理あるね」


 服とブレスレットで予算が底を尽きたらしく学院街のお店でたらふく食べるのは無理な話だった。ちなみに学院の敷地内では基本的に制服着用なので買った服からもう着替えてしまっている。「じゃあ、今度のデートまでおあずけってこと?」と訊かれて曖昧な返事をよこした私だった。

 

 そしてリンカの提案で弐番館の屋上にいる。図書委員権限で鍵を使ったが、濫用にあたるかも。


「まぁ、でも……ここでもう少し、星が瞬く夜空を二人で眺めるのもよくない?」

「一理あるわね」

「あ、真似された」

「本心よ。今日はありがとう、リンカ」

「ふふっ、どういたしまして」


 空から隣の彼女へと目を移す。

 

 右手を高くに伸ばして手首に巻かれたブレスレットを眺めていた。魔法石、そう一口に言っても多種多様で専門家でなければ理解の及ばない部分が少なからずあるけれど、ブレスレットに使われているのはこの地域ではポピュラーなものだ。

 近くの国定ダンジョン原産で、星呼び石の名で知られている薄緑をした半透明の魔法石。その名の由来は諸説あるが、魔力に反応して結晶内部が淡く光るのがあたかも夜空の星を呼んでいるようだからというのが主流。


 今、空に手を伸ばしている彼女の姿はまさしく星を呼んでいるみたいだった。


「私は……お洒落には疎くて、余分に服やアクセサリを買うことに積極的ではなかったわ。でも、悪くないわね。新しい自分を知るというのも、たまには」

「そこはきっぱり、よかった、最高だった、またよろしくって言えばいいんだよ。私はそう感じているよ。言葉を百も千も重ねるより、この数時間でドロシーをどうやったら可愛くできるか、笑顔にできるかを一所懸命考えたのが正解だって」


 柔らかな風に銀色がなびいて輝き、私へと向けるその穏やかな表情にどぎまぎしていると、彼女がポケットから何か取り出した。小さな袋。綺麗にラッピングされている。


「はい、これ」

「えっと……?」

「お手洗いに行くと見せかけて買っておいたの。サプライズプレゼントってやつ」


 私は受け取る。彼女の期待が込められた眼差しを受けて慎重にラッピングを解くと、中にあったものを手に取った。


「髪留め?」

「うん。安っぽくなくて、でも派手過ぎないのを選んだつもり。ねぇ、せっかくだから私が留めたい。 前髪、触れていいかな」

 

 前と違って許可を求めてくる。その顔はきっと断っても触れてくる顔だ。もしくは……私が受け入れると信じている。


「ええ。お願いしてもいい?」

「喜んで」


 彼女は私の手からその細長い髪留めをつまみとる。


 まず私の前髪全体を優しく手に取ると「後ろのほうを掴んでいて」と言った。言われたとおりにする。すると彼女は前髪を斜めに流してすぐに留めるのではなく、編み込みをし始めた。どんなふうになっているか見えていないが彼女の指先の動きを髪で感じる。慣れた手つきだ。


「ドロシーのために影で練習していたの、と言いたいところだけどそうじゃないんだ。前に話したとおり、友達の妹たちと仲良くて、髪を結ったりもしていたわけ。その子もちょっと髪に癖があったけど……うん、できた。我ながらカンペキ」


 例の髪留めは左耳のすぐ上あたりに差し込まれたのが、触れてみてわかる。


「鏡、持っているよね?」

 

  私は鏡、それといっしょに制御杖を取り出し、灯りの魔法を唱えた。

 そして鏡を覗く。そこに映っているのはもちろん私だ。でも自分の前髪が編み込まれているのは初めて目にした。鏡の中の少女は驚いてる。それから……その口許に小さくも確かな笑みが浮かんだ。


「気に入ってくれたみたいでなにより」


 ゆらりと私の心に喜びが灯り、そしてそれとは別の感情も燃え上がった。消せない。ひた隠しておくことも叶わず、つい口に出してしまう。それが彼女の笑顔を濁らせるとわかっていても。


「リンカ……私はどうしたらいいの」

「え?」

「自分がこんなにもかき乱されやすい人間だとは思っていなかった」


 鏡を閉じ、杖の先の灯りを消す。彼女に今の私をはっきりと見られてしまうのを恐れた。そして彼女を見るのも怖くて、つい背中を向けてしまう。


「ほんの半月前……先生から紋章の話を聞いたあの時は、無茶だと思った。女の子同士だからとかそういうのを考える前にね、あり得ないって決めつけたわ。なのに……少し優しくされただけで意識している。あなたとの恋や愛、そういうのを」


 リンカは私の左肩にそっと触れてくる。


「それっていけないこと?」

「いいえ、私たちが生き残るためには必要なことよ。わかっているわ。でも……あなたはどうなの 」

「どうって?」

「あなたが私に見ているのは――――」


 私は彼女の手、私の肩に乗っているそれを包み込んでその温度を確かめた上で振り払う。きゅっと唇を一度結んでから振り向き、彼女を見据えた。


「お姉様じゃないの? あなたは一度否定したけれど、どこかで私の未来がそのお姉様だと信じている。だから、優しくしてくれているんじゃないの。いいえ、もしかすると」


 私は一旦半歩、深呼吸を挟んでさらに一歩下がる。そうやって、戸惑う彼女を暗がりに落とした。


「あなたは私とお姉様を重ねることで、私を愛する道を見出したのよね。賢い方法だわ、とても」

「嫌な言い方しないで。そんなの……」


 暗がりから聞こえる声は強くも弱い。


「教えて。あなたの知る紙魚咲ドロシーは、こうやって前髪をあげて編み込みをしていたの? 服やアクセサリ、そういったものに気を遣っていたんじゃない?」

「ちがうよ」

「嘘ね」

「ドロシー……!」


 彼女が踏み込んでくる。

 近づかれたくない一心で、今の自分の顔を間近で見られたくなくて、さらに後ろへと行こうとする。

 けれど、足がもつれて重力が私を仰向けで地に倒そうとした。あの日、地下書庫で光に包まれた時のように、私は後頭部に痛みが走るのを予期した。

 

  刹那、世界が止まる。

 そんな感覚に襲われる。


 なんてことない、冷静に現実を捉えてしまえば、臆病な一人の少女が倒れるのをリンカが阻止したに過ぎなかった。


「こんなポーズ、少女漫画か社交ダンスの中でしか見たことないよ」


 後ろに仰け反る私の背中に片腕を回して抱き止めているリンカが言う。その顔は私の真正面ではなく半ば見下ろすような位置にある。


「自分で立つわ。腕を離して」

「逃げないで、話を聞いてくれる?」

「ごめん。今日は無理そう」

「だったら――」


 三度目のキスもまたリンカからだった。

 昨夜よりもそれは長く深く感じる。心地よい微睡みにも似たその口づけに酔う寸前で私は、はっとして彼女から逃れる。


「……卑怯者」


 誰に向けた言葉かよくわからないまま、私はそう呟き、屋上を去った。

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