第11話 二度目

 リンカがこちらの世界に来て半月が経った。ようやっと涙坂先生が調査の経過報告をするために旧棟の私室に私たち二人を呼んだ。

 ちなみに私なりに進めていた調査、いや、進めようとしていた調査はどれも空振りで、先生が頼みの綱であった。


 時刻は午後八時。

 日中は初夏めいた風が吹いているのが嘘みたいに外気の冷えた夜だった。

 先生の部屋は執務室と違って散らかっていた。本、本、本だ。くたくたになっているソファに先生がその身を預ける一方、私たちは立ちっぱなし。座るのに手頃な椅子がない。


「残念ながら手がかりは見つかっていない」


 結論からはっきりと。さすがの先生も笑みを浮かべずに生真面目な顔で。

 

 纏っているローブはよれよれで心なしか彼女のオレンジブラウンの髪つやは落ちている。目元にも疲労がうかがえた。こんな先生を目にするのは初めてだ。


「二人とも身体に異常は?」

「いえ、何も……」


 リンカを見やると「頗る元気ですよ」と笑った。愛想笑い。半月もそばにいたのだ、彼女のもっと自然で綺麗な笑顔を知っている。


「ドゥーべにメグレズ、フェクダ、ミザールまで赴いて文献がないか直接探したが、なかった。他の学院や図書館にも手紙を送ったが……どれも芳しくない返事だ」


 きょとんとしたリンカに、挙がった名前が国内の魔法学院を意味しているのを教える。

 

 リンカは「全国の図書館にある本の情報を照できるデータベースってないの」と司書たちにとって一つの夢を言い出す。

 この世界の魔法と関係する本が、誰でも手にして読んで問題ない本ばかりでないと知らないのだろう。

「管理を嫌う魔導書だってあるんだよ」と先生が言うとリンカは冗談だと思ったのか、はははと笑って、しかし私たちの反応を見て面持ちを強張らせていた。


「さて、調査している間に君たちのほうで愛は育めたかい?」

「いいえ、まったく」

「即答!? 私としてはそこそこ仲良くなれたかなーって思っているけど。まさか全部が演技だったの?」


 ぎゅっと。

 リンカが私の腕を掴んでくる。

 私は言いたいことを的確に表現しようと言葉を探すが、その前に先生が、くすりと笑う。


「そんな器用なことはできないさ」

「嘘がうまくつけない性分ってだけです」


 私はリンカの腕を振りほどこうとする。

 存外、強く掴んでいて離れない。なんだったら、その体ごと擦り寄せてくる。


 そっちこそ、仲良しの演技じゃないのか、これは。そう思っても顔を仄かに熱くしてしまう自分が情けない。

 近頃はなぜかサラまでこの手のスキンシップをしてくるのだけれど、やめてと言いづらい。慣れれば平気になるんだろうか。


「喧嘩していないのはわかったよ。真実の愛……それがあるか否かともかく、紋章が要求しているのはそうした種の感情で、関係性なんだ。そんな顔しないでくれ。わかっている、あまりに抽象的だと。でも前に見せた本にそう記されている。むしろそうとしか記されていない。だから、困っているんだ」


 饒舌に、けれどしだいに弱々しい物言いになっていく先生だった。


「君たちの現時点での本心を教えてほしい」


 咳払いを一つ置いて、先生が私たちに真剣な眼差しを向けてきた。


「今、隣にいる女の子を愛することができそうかい?」

 

 その問いに私は、いや、私たちは――――何も答えられずにいた。

 

 リンカの手が離れる。

 彼女と目が合う。その瞳の奥、何を考えているんだろう。きっとリンカも私の瞳を覗き込んでそれを探っているのだ。


「あと、半月だ。調査は続行しつつも強硬策も準備する」


 沈黙は予想にあったのか、先生は私たちの反応を肯定も否定もせずに宣言する。


「強制解約ですか」

「その逆さ。惚れ薬を調剤し、二人に対して投薬に踏み切るつもりだ」

「ほ、惚れ薬!?」

「強制解約には死のリスクがあると判断したんだ。期限が差し迫ってなお、君たちの関係性が変わっていないなら、日常生活に大きな支障が出ない程度に愛し合ってもらう」

「先生、しかしそれは」

「精神に多大な影響を及ぼす魔法は違法。投獄は免れない。これ、わざわざ確認しないといけないかい?」

 

 いっそう重い沈黙に包まれた室内で次に口を開いたのはリンカだった。


「先生は、私がゴーレムをぶち壊したのを知らないですよね?」

「えっ」

 

 珍しく間抜けな声を出した先生に私から先日の一件を説明する。

 そうして客観的な情報を伝え終わったあとで、先生はリンカにいくつか質問してあの時にリンカに起きていたことを究明しようとした。


「なにか手がかりにならないでしょうか」


 リンカが縋る。

 だが先生は「今のところはなんとも」と言った。せめて例のクロスが自由自在に出し入れできたら、それを調べることで何か発見がありそうだと話した。


「あるいは、ドロシー側も魔法適性上は通常ありえない魔法を行使できたら、紋章の効果かもしれないな」

「リンカの、つまりは異世界人としての体質でによるものではなく?」

「ああ。もしそういうことが起きたらすぐに報告してくれ。消えた黒い魔導書、異世界人、古代の婚姻紋章……イレギュラーが絡み合っている現状、それを解いていくためにはどんな些細な情報でも欲しい」


 私たちは肯く。

 今夜はこれ以上の進展はないようだ。先生は「悪いが、今日はもう眠らせてくれ」と言って私たちを部屋に帰すのだった。

 



  部屋に戻ると私とリンカは、それぞれのベッドに腰掛けたがそこから先は何も決めていなかった。数歩分の距離は近くもあり遠くもある。


「全然、実感わかないよね。このままだと死んじゃうなんて」


 リンカが左右の足を片方ずつ宙に浮かせ、爪先を眺めて呟く。

 私が「そうね」と力なく返すと、しばらくしてから「ねぇ、ドロシー」といつもより湿度のある調子の声で彼女が呼ぶ。


「なに?」

「そっち、隣に行ってもいい?」

「……どうぞ」


 ぺたりと。彼女の素足が床につき、それからゆっくりと私へと近づく。妙に緊張している足取りと表情にこちらまでそわそわしてしまう。


「試してみていいかな」


  隣に腰掛けた彼女が言う。私はほとんど無意識に距離をとろうと腰を浮かせるが、彼女が私の手に触れてきて「行かないで」と囁く。


「試すって何を……」

「キス。二度目のキス、してもいい?」


 二度目というのを強調して。

 

 彼女だってわかっているだろうに。一度目のあれは事故で、ものの弾みで、数えるべきものじゃないって。でも、今からするのがもし一度目だとしたら、それは特別で、そう簡単にはできない。できなくなってしまう。だから二度目だと言い聞かせているんだ。


「何も起こらず、変わらないかもしれない」

「何か起こって、変わるかもしれないよね」


  私が悲観的で彼女が楽観的。そう単純にみなせる状況ではない。覚悟を決める。でも、確認はしておきたい。


「目は閉じたほうがいいの?」

「え?」

「キスの作法なんて知らないから。リンカは慣れているの?」

「ないないっ!」


 ぶんぶんぶんっと、リンカが首を横に振る。


「きょ、今日のところは言い出しっぺの私からするから。ほら、目を閉じて……?」


  今日だけではないんだ。

  その一言を飲み込み、目を瞑った。


 数秒後、まず感じたのは吐息、そして彼女の匂い。それが唇が合わさると同時に強まった気がした。長くは続かない。すぐに離れた。目を開くのに勇気がいる。


 リンカはひどく照れた顔をしていた。

 可憐だ。素直にそう思った。


 好きになれてしまうかもしれない。


 にわかに湧いたその気持ちはまだ言わないでおくことにした。

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