第8話 取り立て業務①

 名前が思い出せずじまいの先輩の姿が完全に見えなくなったところで、リンカが私の手を離す。


「それじゃ、取り立て業務開始だね」

「けれど今日は弐番館の当番日だから」

「基本、誰も来ないんでしょ? 私の調べ物も今度にするよ。何かあったらさっきの人のせいにすればいいじゃん」

「いずれにしても、リンカが手伝う必要はないわ」

「聞いてなかった? 手伝いたいの。 初めての共同作業といこうよ」


 少し照れくさそうに笑うリンカに私は溜息をつく。正直、手伝ってくれるならそのほうがいい。ただし業務内容を明らかにしておくべきだ。


「取り立て業務ってね、図書委員が嫌がる仕事なのよ」

「そうなの?」

「相手は書面での延滞通知を無視して応じない生徒だもの。紛失したか、直せないほどに損傷したか。いくら委員会活動が生徒による学校自治のためのものでも、こういうのは大人がしっかりと……」

「もしかして戦闘になっちゃう?」

「ならないと信じたいわ。風紀委員の目が届く場所で会えればいいけれど。ひとまず対象者の寮室に向かいましょう」


 先輩から受け取ったリストに載っているのは四人。幸いにも私でも知っているような学院の問題児の名前はそこにない。その手のいわゆる不良生徒は本をわざわざ借りない……というのは偏見かな。




  四人のうち二人はすんなりとコンタクトでき、しかも片方はあっさりと回収ができた。入院していたせいで、借りていたこと自体を忘れていた上に延滞通知の存在を知らなかった生徒だった。病み上がりのその子から誠実に謝られて、こちらの確認不足が申し訳なくなった。

 もう一人はびくびくしながら本を紛失してしまったのを告白した。私が規定どおり、弁償手続きのために指定の窓口に行くように伝えると、泣き出してしまった。それを落ち着かせてくれたのがリンカで、初めて聞くような優しげな声でその中等部一年の男の子に最後はお礼まで言われていた。


「ね? 私がいてよかったでしょ?」

 

  三人目の居所へと向かいながらリンカがそう言う。


「ええ、本当に。小さい子の扱いは慣れているの?」

「ドロシー……中学一年生男子はいろんな意味でもう男だよ」

「男の扱いに慣れているってこと?」

「んなわけあるかい! まぁ、友達の弟や妹とは仲が良かったかな。私は一人っ子なんだけど」


 リンカの友達、それに家族。おそらくはもう二度と会えない人たち。私の知らない人々。 胸がきゅっと痛む。目を背けていたことだ。


「リンカ、今更だけれどごめんなさい」

「えっ。どうしたの」

「この世界に呼び寄せてしまったこと。私があの時、本を書架から落とさなければ……」

「ここに私は来ていない。車に轢かれて死んでた」


 私の言葉をそんなふうに継ぐリンカは微笑んでいた。


「だからドロシーは命の恩人だね。ありがとう! ふふっ、今更だけど」


 言葉に詰まる。そんなふうに清々しく返されるとは予期していなかった。


「ほら、笑顔! このままサクッと四人クリアであの人をぎゃふんと言わせよう!」

「ちょっ、またそんないきなり手を引くのは……!」


 そうして私たちは三人目が所属している園芸部の活動場所の一つ、学院の東区画に位置する大温室へと向かったのだった。




  対象人物である高等部三年の土門どもんダグラスを探して大温室に入るとリンカが「おー!」と、繁茂している草花や高い天井を見上げて感嘆の声を上げた。


「発展途上の温室を見るのは新鮮だなぁ。イベントスチルは、魔力にあてられた植物たちがひしめき合って温室全体を覆い尽くそうとしているのしかなかったんだ。こう見ると綺麗なところだね」

「たしかにこの温室はまだできて三年だけれど……未来ではおどろおどろしいことになっているの?」

「未来っていうか、まぁ、一つの可能性としてある展開かな。あ、見るからに園芸部員って感じの人がいる! 土門さんのこと、聞いてみるね」


 そう言ってリンカが駆けていく。学院関係者は出入り自由なだけあって、ここで放課後を過ごす生徒は園芸部員のみならず、それなりにいるようだ。ここでの部員たちの作業は園芸というより栽培や研究に近いと聞き及んでいる。

 

 リンカの聞き込みによってわかったことは土門先輩はこの春になってからずっと温室裏で土いじりしているということだった。


「ずーっと片思いしていた人に、告白したんだけど、フラれちゃって傷心中なんだって」

「そう。でもそれは本の返却を滞らせる正当な理由にならないわ」

「それ、本人に言わないほうがいいかな、あはは……」

「励まして、おだてて本を貸してもらうのがいいってこと? できるか不安ね」

「とりあえず、返してって言ってみようよ」


 そうして私たちは大温室の裏手に到着する。腐葉土の山や、屋根月の資材置き場、その他使われなくなった園芸用品が野晒しになっているそばで男子生徒が腰を屈め、地面を掘っていた。「土門ダグラスさんですか」と私が後方から声をかけると、手に持っていた小型のシャベルをザクッと土に刺し、のっそり立ち上がってこちらに向き直る。


「えーっと……土いじりするなら着替えるか、ガーデニングエプロンをつけたほうがいいと思いますよ」

「余計なお世話だ」

 

 リンカの気遣いを一蹴する。

 彼はがっしりとした図体をしていて無精髭を生やしていた。制服を着てなければ学院に出入りしている園芸業者とでも間違えたかもしれない。とはいえ、その制服は土で汚れきっており、血走った目つきも相まって、後ずさりしたくなる雰囲気だ。


「俺に何のようだ」

「本を返してください。書面での催促は既に一週間前に届いているはずです。もし返せない事情がおありなら……」

「本? ああ、そうか。そういうことか。いいか、よく聞け」


 地の底から這い出たように低い声だ。素直には返却してくれないと悟った。


「あんな本を貸すから、俺はマリアンヌさんにフラれたんだ!」

 

  怒号。

 今度は大鎚を地面に叩きつけたような声だ。リンカが耳を塞ぐのも無理はない。


「土門さん、あなたご自身で借りたのでは? それに……ええと、この『弱小ノームでもできる、麗しの妖精ハーレム』というのは有害な魔道書ではなく、去年に刊行されたばかりの大衆小説だと記録が示しています」

「黙れっ! 悪魔の使いめ! 俺は……ほんとは、マリアンヌさんだけでよかったんだ。でもよぉ、できると思っちまったんだ、夢のハーレムをよぉ!」

 

  硬く拳を握って、さも悔しそうに喘ぐ土門さんだった。

 

 帰りたい、切実にそう思った。


「ねぇ、ドロシー。土門さんが違法薬物でも使っているように見えるの、私だけ? 」

「学院街の中に、異様な高揚感や解放感をもたらす魔法草を秘密裏に提供しているお店があるって耳にしたことならあるわ」

「そんなんじゃねぇよ! ちくしょう! ちょっと可愛いからって馬鹿にしやがってよぉ、お前らなんてマリアンヌさんの色気に比べたら赤子同然なんだからな」

「支離滅裂ですね。本はどこにあるんですか? 寮室なら明日朝一で……」

「ねぇよ! 肥料にすらならないあんなもんは、散り散りにして捨てた!」


 ひどい自白だ。


「学院および図書館規定に則って、あなたには弁償責任があります。もし拒否し続ける場合は最悪、退学処分も……」

「それじゃ、口止めしないとな」

「え――」


 土門さんが後ろを向き、シャベルを手に取る。そして「出でよ、ゴーレム!」と叫び、さっきよりも強くそして深くそれを地面に突き刺した。


 すると局所的な地鳴りがして、地中から巨大な土人形が出現したのだった。

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