第7話 人気者

 旧棟の一室にリンカと住み始めて数日後、涙坂先生の根回しによってリンカを学院に通わせる手筈が整った。

 制服や参考書類一式を学院側の経費で落としたうえで、アリオト学院の生徒ではなく留学生という形でだ。学院長は姪に何か弱みでも握られているのだろうか……。


 ちなみに未だに魔法を行使できていないが、リンカに流れている魔力の質量は学院の入学基準を満たしている。言わずもがな、私と同質の魔力であるからだ。

 そう考えるとあの黒い本、そして紋章はやはり特殊だ。魔力をそっくりそのまま複製して他者に保存するなり上書きするなりだなんて通常できっこない。

 

 リンカが私とともに教室に姿を見せると、クラスメイトたちは驚いた。実のところ、ここ数日で「旧棟に住み着いた銀髪美少女の霊」という噂がちらほら聞こえ始めていたのだった。


 そんなわけでリンカはクラスメイトたち大勢に囲まれて和気藹々としている。少し離れたところに座っている私は教科書を広げてそこに目を落としつつ、聞き耳を立てていた。迂闊にも彼女が契約紋について口を滑らせてしまったら、その口を縫い合わせないといけない。


「リンカちゃん、人気だね」


 サラは私たちよりも遅れて教室に入ってきて、囲まれているリンカを横目にそう言う。

 引っ越しの際に私はサラとリンカとを改めて引き合わせ、友人関係を築くのを望んだ。私一人では彼女の質問攻めや学校案内、その他諸々の行動についていける自信がなかったからだ。

 私たちの間にとんでもない契約魔法が結ばれている件は伝えていない。機密事項なのだと押し通している。


「よせばいいのに、リンカさん側からも質問するからみんな調子に乗って、話を続ける」

「困ってなさそうだからいいんじゃないかな。ドロシーちゃんは、リンカちゃんが人気者なのは嫌?」

「どちらかと言えば」

「そっか……そうなんだ」

 

 どことなく意味深長な相槌を打つサラだった。


「水谷さん、よければ今日の放課後に僕が案内しようか」


 クラスで男女問わず人気のある男子生徒が爽やかにそう提案する。リンカが学院にまだ全然慣れていないという趣旨の発言をしたからだ。周りの生徒たちの反応をうかがってみると、男子数名は「出遅れた!」という顔をしている一方で、女子の中には羨望の眼差しを向けている子もいる。


「ありがとう! でも、そーいうの全部、ドロシーに頼んであるの」


 リンカがこちらに片手をふりふりと振る。 

 

「紙魚咲さんのこと? へぇ、彼女がお世話係って感じなんだ」

「そうそう。詳しくは言えないんだけど、遠縁にあたるみたいで」


 前もって打合せしていたとおりだ。魔法使い同士の血縁関係、その血筋は重要で時に隠匿される情報なのだと説いたのが昨晩のこと。

 仄めかすだけもでいい、何か訳ありなのだと。余程、礼儀がなっていない輩でない限りはそれで詮索してこないと教えた。

 果たしてクラスメイトたちは私が彼女の世話をする件を掘り下げてこなかった。


 視界の端に揺れる銀色。

 もう何度も見ているのにまだ慣れない。どうにもそわそわしてしまうのは初めて会ったあの時のことを思い出してしまうからかな。


「唇、どうかした?」

「え?」

「触っているから。ド、ドロシーちゃんさえよければ、リップ貸そうか……?」

「大丈夫。間に合っているわ」


 早口で返していた。

 何を考えているんだ、私は。




 放課後、弐番館での当番日だからと伝え、リンカを置いてさっさと移動しようとすると、彼女がそのままついてきた。


「我慢しなくてもいいですよ」

「どういう意味?」

「まだ涙坂先生から調査の進展を受け取っていない現状、いっしょにいるのには賛成です。ですが、一人の時間や他の人との交友時間もほしいんじゃないかって」

「ねぇ、ドロシー。それはね、この数日間で十分に私たちが仲を深めていたら言ってもいいことだよ。いつまで壁を作っているつもりなの? ……紋章抜きにして、友達になりたいんだけど」


 教室のある東棟を出たところで私は足を止め、彼女に訊く。


「壁、あります?」

「そびえているよ。まずその話し方。サラとは普通に話しているじゃん。私ともそうしてよ。名前も呼び捨てでいい」


 私は肩をすくめ、空を仰いで結論を出した。命がかかっているんだ、警戒し過ぎもよくないな。


「わかったわ。そうする。それでリンカ、授業はどうだった?」

「思ったより地味だったかな。座学中心で、魔法がばんばん飛び交ってもなかったし」

「高等部一年の四月ってどこの学院もそんなものらしいわ。五月以降は実践的な授業もあるみたい」


 前に図書委員の先輩から聞かされた。


「なるほどね。いつになったら私は魔法が使えるようになるんだろ」

「さぁ」

「……図書館で調べてみるね」

「紋章が古代のものだから、弐番館でいいと思うわ」

「最初からそのつもり。あ、その顔はうるさくしないでねって顔でしょ。安心して。こう見えてルールもマナーも守る子だからね」

「どうも見えてないわよ」

「べつに辛辣な態度でいいよとは言っていないんだけど……ま、いっか。ところでさ、えいっ!」


 リンカが予想外の行動に出る。すなわち私との距離を一瞬にして詰めたかと思うと、私の前髪に触れて額を露わにしやがった。


「うん、やっぱり前髪あげたほうが可愛いよ。あと、もっと笑顔で! せっかく素材がいいのにもったいない。髪型もアレンジしてみない? 私、やってあげよっか」

「手を離して」

「え? あ、うん」


 殊勝にも彼女は言うことを聞いてくれる。


「怒っている? もしかしてヒジョーに失礼な行為だった?」

「リンカのいた世界では、親しくない人間にいきなり髪を触られ、額を晒されたってどうも思わないわけ」

「あー……仲のいい子でギリセーフ、かな」


 二度としないでと言いかけたそのとき、横から声がかかる。


「よう、紙魚咲」


 一人の男子生徒が立っていた。

 その立派な顎に見覚えがある。そうだ、この人だ。例の先輩。聞いてもいないのに、べらべらと高等部の授業のことを話してきたんだっけ。図書委員の定例会議でも何かと発言の多い人だ。発言力があるかは別として。


「何か御用ですか」

「仕事を持ってきてやったんだ。弐番館に籠もりきりのお前にな」


 にたりと笑う。そこにあるのが厚意でも善意でもないのがわかる。


「ええと、どちら様なの」

「同じ図書委員。……名前は忘れたけれど」

「何をひそひそ話しているんだ? 」

「いえ、何も。それで仕事というのは」


 よくぞ訊いてくれたと言わんばかりに鼻を鳴らす先輩。自称・次期図書委員長第一候補だと息巻いていた気もする。


「取り立て業務だ。知っているよな?」

「対面式での返却催促業務ですよね」

「そうだ。記録上、経験がないだろう。だがな、一人前の図書委員になるには経験しておくべきだ。涙坂先生に進言したら、許可が下りた。よって、お前に任せる」


 例の紋章の調査含めて、忙しくしている先生のことだ、きっと「好きにするといい」とでも言ったのだろう。


「先生のお気に入りのお前なら朝飯前だろ。せいぜい頑張れよ」

 

 該当生徒の情報が記載された用紙を渡してくると、うんざりする捨て台詞を残して先輩は去る……と思ったが今度はリンカに目を合わせ声の調子を変えた。


「ところで君が噂の留学生だよね。よかったらお茶でもどう?」

「あ、私はドロシーを手伝いたいので。ほら、行こう」

 

  最後まで聞かずに私の手を引くリンカだった。

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