第3話 銀色の邂逅②

 ひとまず退避でなく観察に徹していると、少女もこちらを見つめ返してきた。


「あなたが助けてくれたの?」


 不安げな声。状況を把握していない様子。


「助けた覚えなんてありません。何者なんですか、あなたは。どこから、どうやって来たんですか」


 動揺がそのまま表れているのが自分でもわかる、震えた声が出た。そして彼女もまた同質の声を返してくる。


「わ、私は水谷凛花みずたにりんか。学校に忘れたスマホを取りに戻る途中だったの。えっと、高校二年生でラクロス部。えっと、ラクロスって知っている? 日本じゃマイナーなんだけど」

「名前だけなら。スポーツですよね。他の大抵のスポーツといっしょで魔法競技化されてもいると思います」

「魔法競技?」


 彼女が首をかしげる。

 私は一般スポーツの魔法競技化についての沿革を話そうとして、やめた。そんなことしている場合ではない。彼女がラクロスについて言い出したのは、私の警戒心を取り去るためだろう。コミュニケーションの一環だ。

 

 懐に制御杖があるのを確かめ、逡巡する。緊急事態なのだから魔法を使って彼女を拘束する、逃げる、攻撃する等々の行動に出てもやむ無しではないか。けれど、私が自信を持って行使できる魔法に攻撃的な魔法はない。


「えっ、その制服は……! 嘘、まさかそんなっ!?」


 突然彼女が取り乱す。勢いよく立ち上がって周囲を見回しながらぶつぶつと独り言を口にし始める。不審が過ぎる。


「あ、あのっ!」


 銀髪の少女が私のほうへと一歩踏み出してくる。思わず私は後ずさった。


「ひょっとして、あなたはアリオト魔法学院の生徒さん、なの?」

「ええ。そういうあなたはどこの――――」

「ほんとに!? アリオト魔法学院!?」

「……ここはアリオト魔法学院附属第壱図書館の地下書庫です。部外者が許可なしに立ち入っていい場所ではありません」


 そう説明すると彼女の表情が不安から興奮に変わる。


「ほんとにマギレゾの世界なんだ! これは夢……じゃない。痛い」

「マギレゾ?」


 頬をつねる彼女。その彼女の口からもたらされた聞きなれない語を私は訊き返していた。すると、彼女の目がぎらぎらっと光る。


「『マギア・レゾナンス』だよ!」


 私が小首をかしげると、彼女は早口でまくし立ててくる。


「知る人ぞ知る、名作ドラマチックアドベンチャーゲームなの! 魔法学院を舞台に繰り広げられる青春を描くアドベンチャーパートと、学院近くのダンジョンを探索して魔物と戦うバトルシミュレーションパートに別れているけど、そのバランスが秀逸なんだよ! 主人公は性別未設定の人型魔法生物で、そうとは周りに知らされないまま高等部の一年生として転入してくるの。で、攻略対象ってのが男女合わせて十二人いて、それぞれに個別エンドが――――」


 止まらない。

 彼女が舌を噛むのを待てず、彼女がいる方向へ手を突き出し「待ってください!」と制した。話すのを止めてくれるのを見て、手を下ろす。


「わかった、完全に理解した」

「はい?」

「これ、異世界転生ってやつだ! じゃなきゃ、あの法定速度を明らかに無視して突っ込んできたスポーツカーの運転手と間近で目が合ったのに、ここでぴんぴんしている説明つかないもん。でも、神様とやりとりするパートなかったな。何かすごい特典が貰えるんじゃないの……?」


 この人、もしや悪魔に憑りつかれている?


「はっ! ちょっと待って! お姉様に会えるってこと!?」

「ここにお姉さんが通っているんですか」

「お姉様だったらこういうときだって私を導いてくれるはず! きっと私の言うことをちゃんと聞いてくれて、ぎゅっと抱き寄せたりなんてして。えへへ。はぁ、会いたいなぁ。今はお姉様の存在を信じることでしか心の平静が保てないから」


 全然保っているようには見えない彼女がその身をくねらせている。


「参考までに、お姉さんは何年生の、なんていうお名前なのですか? それとも教職員でしょうか」

「公式設定で二十八歳。学院司書でみんなから尊敬されている凄腕の魔術師でスタイル抜群の妖艶な美女。でもね、イベントでどんどん化けの皮が剥がれるっていうか、可愛いところが見えてきて。それが弱点というよりギャップ、つまりは魅力に繋がるの。他と比べてムフフな展開が少ないのは存在そのものが色気ありすぎて対象年齢が引き上がっちゃうから、なんてのがファンの間でまことしやかに言われているの!」

「へ、へぇ」


 また早口だった。

 そう目を輝かせて話されてもその内容には困惑しかない。

 

 ただ、学院司書かつ凄腕の魔術師には心当たりがないこともない。さほど尊敬されてはいないが、涙坂先生が立場としては似通っている。あの人はここの学院司書兼魔導書学講師として勤めているのだ。

 でも、目の前の彼女ミズタニリンカとは姓が違う。一方的にお姉様と慕っている他人なのか、従妹にでもあたる関係なのか。

 

 そんなふうに私があれこれ考えていた時、当の彼女は恍惚として、とある人物名を口にするのだった。


「私を妹にしてくれるかなぁ……紙魚咲ドロシーお姉様」

「え?……えっ?」

 

 私と同姓同名。そんな馬鹿な。

 

 紙魚咲の家名を持ち、そんなふうに学院司書をしている人間がいるだなんて親族から一切聞いていない。

 謎の少女の出現に対する驚きから、いきなり毛色の違う戸惑いに放り込まれた。そこにリンカが「どうしたの?」と顔を覗き込んでくる。「実は私の名……」と言いかけたとき、私はその人を目にする。つかつかとこちらへ向かって歩いてきている女性を。


 いつもどおり上品な微笑みを携えてこちらへ近づいてくる。表情からはその心の内は読み取りにくい。でも、状況を鑑みればわかる。少なくとも褒めに来たのではないと。

 

「やぁ、ドロシー」


 ピクニックにでも持っていくようなバスケットをなぜか手に提げている彼女が、朗らかにそう声をかけてきた。リンカは私と彼女とを興味深げに交互に見ている。


「……涙坂先生」


 涙坂メリルを初めて目にする生徒の多くが同じ疑問を抱くと思う。すなわち、彼か彼女か。

 

 その声の低さと口調だけで判断して男性とみなす人も少なくない。ただ、生物学的要素で判断すれば女性であるそうだ。精神的な面について訊いたことはない。

 

 すらりとした長身で、身体のラインが出にくいローブを身に纏っている。オレンジブラウンの髪は後ろで一つに結んでいるのが常だ。男女のどちらが曖昧でも、顔立ちが美形である点は皆が賛同する。今年で齢三十二を迎えるそうだが、若々しい容貌。


「場所を変えて詳しく説明してもらおうか。いいね?」


 落ちていた本を書架に戻した先生が私に、それからリンカにも目を合わせて言った。もとよりゆとりがあったためか一冊分の抜けには、気づいていない様子だ。


「ヤトくんなら大丈夫。ここにいるから」


 彼女はバスケットを指差す。ごく普通の代物に見える。そこにヤトくんが、あのドラゴンの幼体が入っている? いや、そうだとしても先生はなぜその名前を知っているんだ。


「蛇淵サラに聞いたんだ。今、上で待ってくれているよ」

「どうして……」

「館内をあんなふうに湿っぽい顔で彷徨っていたら、慈悲と慈愛に満ちた司書として声をかけるさ」

「サラはこの件には――――」

「ドロシー、そんな顔しちゃダメだ。虐めたくなるだろ?」


 そう言われて私は口を閉じる。

 リンカはというと「きゃっ」と小さく黄色い声を一つあげた。私と先生との関係を誤解していないといいけれど。

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