第2話 銀色の邂逅①

 外に出た。春の夕日はまだ沈み切っていない。図書委員としての職務を放棄し、友人のために行動を起こす私を赤く染める。

 

 アリオト魔法学院附属第壱図書館、通称・壱番館には授業を終えた生徒が大勢いる。高等部だけではなく中等部の子もいてタイやリボンの色に注目すれば全学年を見つけることができそうだ。弐番館にこれだけ人が集まるのを見たことがない。

 

 貸出カウンターに、知り合い以上友人未満の図書委員がいるのを見つけ、声をかけた。地下書庫の鍵を借りるためだ。ちなみにサラは別の区画で捜索を始めている。


涙坂なみだざか先生からのお願いか何か?」

「ええ、そんなところです。弐番館に引き籠っているのはよくないからと」

紙魚咲しみざきさんが秘蔵っ子っていう話、本当だったんだ」


 面食らう。

 たしかに涙坂先生は一年前、中等部三年であった私を図書委員に勧誘してくれた人であるが、特別に可愛がられた覚えはない。誘ってくれた件を感謝しているけれど、会うたびに心を見透かすような口ぶりで、私をからかうのを心底楽しんでいる人だ。


「誰がそんなふうに言っているんです?」

「先生本人だよ」


 閉口してしまった。

 私は帳簿に必要事項を記入して鍵を受け取ると、地下書庫へと向かう。帳簿からすると、三十分前に別の図書委員が出たきりで誰もいない。その人の入退室のどちらかの際にヤトくんが入り込んだ可能性がある。




 地下書庫に入るのは初めてだった。

 館内では魔法の使用が一部の例外を除き禁止されていて、書庫の中に例外はない。全面的に使用厳禁だ。

 以前に涙坂先生が、収められている本の中には微かな魔力にでも反応して、厄介な現象を引き起こす魔導書の類も含まれていると話していた。

 図書委員とは言っても一介の生徒が個人で入退室できるので、危険性の高い書物はないと思うけれど……。


「ずいぶんと広いわね」


 そんな感想が独り言となる。ずらりと並んだ書架の数はざっと三桁はある。天井がそこそこ高く、四角い部屋だ。床は耐久性のある石材で足音をあまり吸わない。


 この広さとヤトくんの魔法迷彩を考慮して、早々に目視での捜索を諦めた。上面が視認できない高さの書架、そこにでも彼が乗っていたらどうしようもない。

 ポケットから小さな缶を取り出す。中に入っているのは白色のキャンディー、すなわちヤトくんの捜索手段。サラから貰ったものだ。曰く、ドラゴン族の幼体のフェイバリットフードとして開発された商品らしい。


 私はこれまたサラから貸してもらったハンカチを右の手のひらに乗せ、そこにキャンディーを一つ置いた。ほいほいキャンディー作戦開始だ。

 

 ずるり……。

 開始から五分後、書架の間を慎重に進んでいると、音が聞こえた。

 ヤトくんが這う音? おそらくそう。立ち止まり、彼がもっと接近してくるのを待った。サラが言うには、先日に彼を紹介したときに私の匂いを覚えて攻撃してくることはないだろうということだった。


 手のひらを上に示したまま中腰に、それから身を低く屈めた。そのほうがヤトくんがキャンディーを食べやすい。私が彼を捕獲しやすくもある。


 ずるっ、ずるりと。また音がした。

 近づいてきている。息を殺してその瞬間を待つ。すなわち彼が私のこの腕に巻きつくかしないかして、キャンディーを丸飲みにするときを。


「ひっ!」


 情けない声が出た。

 それは予想よりも滑らかに、するりとやってきた。キャンディーが消え、それから腕に巻きつく感覚。長袖でよかった。半袖だったらこの子の胴から尾をこの腕に直に感じていたから。

 

 見知った人物と触れ合いリラックスしたのか、ヤトくんの魔法迷彩が解けていく。鱗の色は金と黒。比率で言うと黒色の部分が多い。つぶらな瞳をしていた。伸びた状態であればその全長は私の腕ほどの長さはあるよう見え、その体格は人差し指と中指を合わせたほどの細さだ。「きゅー」とやけに可愛い鳴き声をあげてくる。

 

「サラのもとに帰りましょう。いい子にしていてね」


 上擦った声で言い聞かせ、ゆっくり姿勢を元に戻すと出入口へと向かって歩く。

 右腕に彼の温度を感じながら。


「そう描写すると多少ロマンチックにも思えるわね」


 戯言を独りでほざいて気を紛らわす。

 

 にゅるるんっと。

 十数歩進んだときに、それは起こった。

 ヤトくんがまた「きゅー」と鳴き、着崩してなどいない私の胸元に無理やり入ってきたのだ。肌着をつけているが、迷彩を一時的に解いている彼の鱗を腕ではなく胸部で感じるのは、明らかに違う。私は反射的に身をよじり、よろめいた。

 バランスを保つのに自分の足のみでは困難で、そばにあった書架に手をかける。

 

 あ、まずい。そう思った時には手遅れ。


 ぐいっと。

 背表紙も見ずに何冊かの本を書架から強引に引き出す形となる。

 

 ばさっ、ばさり。

 

 数冊の本が書架から落ちる。

 そのうちの一冊、黒く分厚い本が真ん中から開かれる。落ちた拍子で開いた……動きではなかった。

 

 蝶が羽を広げるように、その本は狭い通路に降り立つと自分でページを開いてみせた。私にはそう見えた。思わず手で目をこする。たしかにそこに開いた本がある。

 しかも光りはじめている。


「って、光っている!?」


 そう口にしたときにはその発光現象は本だけではなく私たちを飲み込むところだった。両目をぎゅっと閉じる。その白い光に包まれて十秒もしないうちに、私は前方から何かに押されて後ろ向きで倒れ込む。

 その衝撃が魔法によってもたらされたものかどうかわからないまま、私は後頭部を床に打つ。痛みが走ったのと同時に「わっ」と声がした。

 ――――自分の声ではない。

 

 直後、私の口元に柔らかいものがあたる。

 

 ぱっと目を開くと、包み込んでいた白い光は霧散しており、視界の端に天井が見えた。私に影を落としている存在が視界の大部分を占めている。

 私に覆いかぶさるように何者かが倒れ込んでいた。人だ、おそらく。魔物じゃなくて人であってくれ。できれば善良な、と願う。


 顔と顔が近い。

 ちがう。

 近いというより、合わさっている?

 

 唇と唇が重ねられていた。遅れてその事態を理解する。

 これ、ノーカンでいいよね? 

 こんなのがファーストキスだなんてありえない。


 私と謎の少女。

 どちらからともなく唇が離れる。

 それを合図に私の頭は一気に警戒で満たされ、その少女の両肩をぐいっと突き飛ばすと、立ち上がって距離をとった。ヤトくんがどこかにいなくなっている。床には例の本がない。いっしょに落ちた別の本はあるのに。

 

 うつ伏せの状態から、よろよろと上半身だけ起こし、ぺたんと座り込む少女。私は息を呑む。

 

 制服姿だ。アリオト学院のそれがリボンを除いて彩りを欠いたモノトーンで配色されているのに対し、目の前の少女は違う。キャラメル色のブレザーに、ストライプの入った臙脂色のネクタイ、そして下はグレー基調のチェックスカート。どこかの魔法学院の制服? あるいは魔法使いではない一般の学校の。

 

 推定できても確定はできない。学院の制服っぽい姿をしていて、容姿からうかがえる年頃も私と近しい少女。

 

 もしかしたら悪魔や魔神と呼ばれる類の存在かもしれないと疑った。


 だって、彼女の髪はあまりに綺麗な銀色だったから。地下書庫の薄暗い照明の下でなお、輝いていたのだから。

 

 それは本当に、ただの人間には思えない美しさだった。

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