第45話 『好き。』

「ごめん、お待たせ」


 いつもの待ち合わせみたいなテンションの声。


 だけど私は、いつも通りじゃないぐらい、肩をピクリと振るわせて、胸に手を当てる。


 え、まって……ほんとに?


 バクバクとなる心臓にこくりと唾を飲み込みながら、私はそっと振り返る。


 いつしか見慣れてしまった顔。


 何よりも、待ち望んだ顔がそこにはあった。


 私は、ぽかんと開いた口を手で押さえる。


 今にも彼に飛びつきたくなるように、ウズウズしてる体。


 嬉しさで、思わず涙が出そうになって、首を振った。


「……詩帆さん?」


「——っ!」


 彼に名前を呼ばれて、ぞくりとする。


 全身の細胞が喜んでる。

 

 きっとそんな表現が1番しっくりくるって、そう思った。


「えっと、あの……その……」


 伝えなくちゃ。キミのことが好きですって。


 でも、そう思えば思うほど、隼人くんの目が見られなくて……。


「……」


 そして、この場において意気地無しな自分に、嫌気が差した。


 隼人くんが今ここにいるということは、もう花火が上がっている時間に、紗季の元へ行くことはできない。


 つまり、ここで私が気持ちを打ち明けられなかったら、紗季の気持ちまで無駄にすることになってしまうのだ。


 もしそんな事があったなら、私は……もう、顔向けできない。


 ……だから。


 すると、その瞬間。


「……っ!」


 右手の甲に温かい感触を感じて、咄嗟に彼を見る。


「大丈夫? 手、震えてるよ?」


 そこで、私はハッとする。


 自分の手が震えていたことなんて、全く気が付かなかった。


 私は、あはは。と誤魔化し笑いを見せ、彼に言う。


「ごめん、全然気が付かなかった。でも、大丈夫だよ」


 そう伝えた後、彼の手を優しく離した。


 理由は……正直、手汗がすごくて、恥ずかしかったから。


 そんな、思春期故の、薄っぺらい理由。


 すると、隼人くんは、一瞬頭上を見上げた後。


「せっかくだから、少し歩こうか。花火でも見ながらさ」


 再び、私の右手に触れた。


 瞬間、ドキッと跳ねた心臓。


 そして緊張か、それとも下駄が慣れないせいか。


 彼に手を引かれたことにより、うまく動かせない足がもたついた。

 

 故に。


「あっ……」


 体は必然的に前へと……隼人くんの方へと、傾いていく。


 ……だけど。ポスっという音と共に、ゴツゴツした彼の体の感触に、傾きは止まった。


 額に感じる、隼人くんの硬い胸筋。


 その奥の、トクトク、という鼓動に、私はドキドキする。


 夏で暑いはずなのに、彼とこうしているのは、なんだか心地がいいなって思った。


 すると、頭上からの、「ごめん、大丈夫?」という声に、私は上目遣いを返す。


 過去一近い距離でぶつかった視線に、カッと頬の熱が高まる感覚を覚えた私は。


「ご、ごめんね!」


 咄嗟に、彼の胸に手をついて顔を離した。


 あぁどうしよう。恥ずかしくて、目……合わせられないよ……。


 と、そんなことを思っていると、隼人くんも心配そうに口を開く。


「ううん。下駄って結構歩きにくいもんね、ごめん、俺の配慮が足りてなかった」


 彼はやや自嘲気味に笑う。


 すると、するりと離れた彼の手に思わず「え……」と息がもれた。


「それじゃ、ゆっくり歩こう」そう微笑んで、彼はゆっくりと足を前に出していく。


 一歩、また一歩と、遠くなる彼に、私は唇を小さく震わせる。


 本当は、嫌だなんて思ってないし、隼人くんと手を繋ぎたい。


 ……でも、声が。言葉が出ない。


 きっとそれは、どれだけ外見をギャルっぽく見せても、内面の私は昔のままだから。


 人見知りで、一歩踏み出すのが怖い。


 そんな私のまま。


 ……。


 —— 詩帆さんっぽくていいね。


 ……ふと、彼の言葉が頭をよぎる。


 いつも、私を褒めてくれる時には、そう言ってくれる。


 私っぽくていい。


 私っぽくて可愛い。


 私っぽくて、なんか好き。


 ……それなら。


 瞬間。私の体が咄嗟に動き出す。


 からんからんと、下駄を鳴らし、彼の背中を目指す。


 そして。


「……っ! 詩帆さん?」


 驚いたような隼人くんの声。


 私は、彼の左手を握っていた。


 一瞬の静寂の中。先に口を開いたのは、


「あ、あのね!」


 私だった。


「私、緊張しすぎると、声……出なくなっちゃうっていうか……、その、手握られるの嫌じゃないっていうか……えっと、つまりね……」


 語尾につれて、弱くなる声。


 もう情けなくて、別の意味で涙が出そう。


 それでも。


「……こうしてたい。隼人くんと、手……繋いでいたい……です」


 彼の指と指の間に、そっと自分の指を織り込む。だって、それが本心だったから。


 すると、少し遅れて。


「そっか。それじゃあ」


 キュッと心地の良い圧を感じて、耳の後ろがぼんやりと熱くなる。


 持ち上げた視界の先で、隼人くんがやんわりと微笑んだ。


「次はちゃんと、ゆっくり歩くから」


「……っ! ……うんっ!」


 繋いだ手と手。


 頭上の花火が炸裂するたび、映し出された、影二つ。


 ……私のところに来てくれたってことは、私が独り占めしていいんだよね?


 それなら、時間を使ってゆっくり彼に伝えよう。


 花火が終わる時も、こうして、手を繋いでいられるように。





 

 俺たちはゆっくりと篠崎公園を歩いた。


 左隣の綺麗な顔に目を向けて。時々、頭上の轟音に、同じタイミングで見上げながら。


 その合間に、いつも通りの会話を交わした。


 共通の趣味の話や、アニメのヒロインの話。


 もう少しでコミケだね。なんて話もしたし、今年はお互いにアーリーチケットを外したと言う話に、ちょっとだけ笑った。


 時々、すれ違う通行人を避けるために、コツンと肩がぶつかって。


 その度に、キュッと手に力が込められる詩帆さんの手に、思わずどきりとした。


 いつも通りの会話から、ちょっとずつ、話の季節が春へと移っていく。


「そっかー、気がつけばもう、夏コミなんだね」


「うん。そう考えると、意外と早いね、時間が過ぎるのは」


 詩帆さんと出会った時は、まだ桜が咲いてた。


 俺がそう言って、一息つくと、詩帆さんがふふっと鼻を鳴らす。


「確かに。これくらいの時間まで、ずっと探してたんだよね。そしたら、まさかの同じ缶バッジで」


「それで、俺が紗季との待ち合わせ忘れてて。慌てて帰ったっけ」


「あはは。その次の日、私が缶バッジ届けたんだよね。それでカフェに行って……ふふっ♪ なんか、もう全部懐かしいね」


 左隣で。心地よさそうに微笑んだ綺麗な表情が、パッと花火に照らされる。


 詩帆さんは、空いた手のひらの指を一つずつ開きながら、続けた。


「それから、アキバに一緒に行って、蒲田にも行って……あと水族館も2人で行ったね。ペンギンとか、可愛かったなぁ〜」


「確かに。また水族館も行けたらいいね」


「うんっ!」


 彼女は元気に頷いて。「あっ」と、口を開いた後、気恥ずかしそうに微笑む。


 パッと頭上で咲いた花火が、綺麗な青い瞳に反射して、思わずどきりとした。


 すると、その瞬間。地面に段差があったのか、突如、からんと下駄を何かにぶつけるような音がして。


「いっ……」


 と、彼女の悲鳴にならないような声が漏れる。


「大丈夫? てかごめん、俺も気づかなかった」


「あ、あはは。私は大丈夫だよ……でも……」


 そう言って、視線を下へと向けた詩帆さん。


 俺も彼女に合わせて足元に目を向けると。


「……あ」


「ごめんね隼人くん。鼻緒、切れちゃったみたい」


 華奢な足の指の間にあるはずの、赤い鼻緒が、下駄から離れてしまっていた。


 これでは歩くことは困難だろう。


 とりあえず、何か応急処置はできないか、と背負っていたリュックの中を見る。


 ……これなら。


「詩帆さん。たぶん、なんとかなると思う」


「え、ほんと?」


「うん。とりあえず応急処置がしたいから、どこかベンチに……」


 と、言ったところで、詩帆さんが「あはは。そうだね」って、苦笑いを浮かべる。


 そして、彼女は両方の下駄を脱いだ。


「えっと、詩帆さん? なんで下駄を……」


「あ、えっとね。鼻緒の切れた方を引きずると、傷になっちゃうし、かと言って残った方でケンケンするのも自信がないし……それなら脱いじゃえーって」


 やや自嘲気味に微笑むと、彼女は来た道に人差し指を向ける。


「確かあっちにベンチあったよ」


 そう言って、彼女は歩き出した。


 白い足の裏に張り付いた小石や土汚れに目が行く。


 いくら整えられているとは言え、アスファルトの上を裸足で歩くのは、それなりに痛いだろう。


 それなら。


「詩帆さん、待って」


 華奢な背中に追いつくと、彼女を呼び止める。


 ん? と振り返った綺麗な顔に、「ちゃんと掴まってて」と彼女の肩と、膝裏に腕を回す。


 そして、その華奢な体を抱き抱えると、俺は歩き出した。


 俺の胸元で、「えっ……は、隼人くん!?」と、彼女の驚きの声がもれる。


「急に、お姫様……てか、気、使わなくて大丈夫だよ! 裸足でも歩けるから!」


「いや。公園って結構ガラスとか、小さい釘とか落ちてる事もあるし、絶対に裸足じゃ危ないよ」


「そ、それでも……その……私、結構重いし……その、汗とか……」


 と、胸元で小さくなっていく、かわいい声。


 彼女の言葉の後に、フワリとした柔軟剤と汗の混じったような匂いに、こくりと唾を飲み込んだ。


「ううん。俺はその……気にならないっていうか、詩帆さんのなら大丈夫っていうか……」


 ……。


「とりあえず、詩帆さんに怪我をしてほしくないから」


 なんて、語彙力が低かっただろうか。


 何を……なんて伝えるのが正解かわからなくなって、勢い任せに吐いた言葉に、我ながら、恥ずかしさが込み上げてきた。


 ……だけど。


「……そっか。それじゃ」


 そんな声ののち、また一段と彼女の匂いが濃くなる。


 俺の首筋に彼女の手が巻きつく。


 しっとりとした冷たさ。


 ふと、視線を落とした先の、頬を染める詩帆さん。


 彼女は、どこか気恥ずかしそうに視線を泳がせた後、


「……その……よろしくお願い……します」


 小さく言って、一瞬こちらに視線を向ける。


 そんな彼女に、ドキドキと心臓を速くしているうちに、やがてベンチへと辿り着く。


 華奢な腰をベンチへと下ろすと、俺はすぐにリュックからタオルを取り出した。


「そのタオルで、どうするの?」


「うん。俺も昔、紗季の友達に教えてもらったんだけど……」


 そう言いながら、タオルを口に咥えると、端を持ち、縦半分に割いていく。


 確か、止め結びを作って、鼻緒の穴に通して……。


「……これで、よし」


「え……すごい」


「まぁ、応急処置だけどね。詩帆さん、足出して」


「……うん」


 差し出された白くて華奢な足に触れる。


 足の裏についてしまった、小石や砂を払う。


 きっとその感触がくすぐったかったのだろう。


「んっ」ともれた、艶やかな声に、理性がゴリッと削られる音がしたのは、内緒だ。


 彼女の足の、人差し指と親指の間にタオルで作った鼻緒を挟む。


 ほんと。頭の先から足の先まで、抜けなく綺麗だなって。そう思った。


「これでよし……でも、あまり歩けないと思うからここで」


 そう、顔を上る。


 だけど、その瞬間。


「……んっ」


 そんな声と同時に、視界が遮られた。


 唇に感じる、しっとりした感触と、小さな鼻息。


 視界の半分を埋め尽くした、小麦色の後ろで、花火が上がっている。


 そのはずなのに、なぜかトクトク、トクトク、という、小さな音しか聞こえなかった。


 甘い匂いを感じていると、視界が少しずつ明るくなる。


 綺麗な金色の前髪。


 その奥でうるりと揺れるのは、出会った頃から変わらない、深い青。


 視界の先で、赤く頬を染めた彼女が、桜色の唇をゆっくりと開く。


 そして……。



「……好きです……隼人くんのことが、大好きです」

 

 

 

 

 


 


 


 

 


 



 


 


 


 


 

 


 


 



 

 

 

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