第43話 『打上花火』
西の空が黒くなるにつれて、花火の咲かない空への期待感が溢れる。
さっきよりも集まってきた人と、それに比例して、大勢の声が、風に吹かれた原っぱみたいにざわざわとしていた。
時刻は、18時50分
あと30分ほどで花火が上がる。
「来年はもう受験勉強かー。なんか高校生って案外暇じゃないね」
「まぁ、学業が学生の仕事なわけだしな」
「えー、そういうマジレス、モテないよ隼人」
「大きなお世話だ」
2人の会話に、私は紙コップのお茶を飲んで、鼻を鳴らす。
そして、ふと視線を向けた先の、紗季の表情に。
紗季は緊張、してないのかな。
って、不思議に思った。
「そういえば、詩帆さんは来年、どうするの? やっぱり受験?」
ふと、隼人くんから話題を振られ、体をピクリと動かす。
この後のことばかり考えすぎて、全く準備をしていなかった。
「え、わ、私? えーっと……とりあえず、受験、かなぁ……あはは」
「そうなんだ。もう行きたい大学とか決まってるの?」
そんな質問に、あー。と息を伸ばす。
実際、何にも考えていないのだ。
だって、これから起こる事が、私にとっては一番大切だから。
でも……。
「……決まってない。けど、イラストっていうか、将来はアニメとか、そういうサブカルチャー分野で仕事できればいいなって、思ってる」
これは嘘とか、その場しのぎの言葉じゃない。
心の芯の部分にずっと根付いてる。心からの言葉だった。
「やっぱり私、好きだから。アニメもイラストも、全部」
すると、視界の先で一瞬目を大きくした隼人くんは、ふふっと鼻を鳴らして、やんわり微笑む。
「いいね。そういうの、すごく詩帆さんっぽくて」
「うん……ありがと」
すると、「へぇ、そっか」と口を開いたのは紗季。彼女は、どこか嬉しそうに目を細めながら言った。
「それじゃ、もしかしたら、同じ大学に通うことになるかもね」
「え、紗季もアニメとか好きなの?」
「ううん。私はこっち」
そう言って、紗季が私に差し出したのは、スマホだった。
だけど、その画面には、何枚もの写真が表示されていて。
水たまりに反射した浅草寺や、斜陽の道路の雑草。
あとは、海だろうか。浜辺の綺麗なリフレクションの写真など。
その一枚一枚が、素人が撮ったには、あまりにも綺麗なものだった。
思わず、息が漏れる。
「……綺麗」
「ふふっ。でしょー。私、写真好きなんだー。だから、今のところ写真の専門学校か、もしくはー……詩帆が行くなら、同じ美大に行きたいな」
そういうと紗季はふふっと微笑んだ。
そんな彼女に、私は頷き、「そうだね」と返した。
「それで隼人は……あぁ、そっか、聞くまでもないか」
「なんだよ、俺にも聞けよ」
「えー。だって、ずっと変わってないんでしょ?」
「まぁな」
「ちなみに、隼人くんはどうするの?」
私は聞いた。紗季はすでにその進路を知っているみたいで、やっぱり幼馴染なんだなって思った。
隼人くんは、うんと頷き口を開く。
「俺は大学じゃなくて、就職するよ」
「そうなんだ。ちなみになにやるの?」
すると彼は、一呼吸置いて、
「消防士。いつか、誰かを守れるような、そんな消防士になりたい」
そう言った。
その言葉と彼の表情に、思わずどきりとする。
「……って、なんかこういう言い方すると、ちょっと恥ずかしいな……まぁ、俺は来年、消防の試験受けるよ」
「そっか……うん。なんか隼人くんぽくていいね……でもね」
私はそう言って、息を吸う。
きっとこんな言葉が出てしまったのは、この雰囲気のせい。
「隼人くんは、もう、その誰かを、守ってるんだよ」
「……え?」
「だから、その……隼人くんなら大丈夫っていうか、私、応援してるから!」
なんだか、言っているうちに恥ずかしくなって。
そんな風に声を強める。
かっと熱くなる頬を誤魔化すように、私は視線を逸らした。
……すると。
「……そっか。俺も詩帆さんのこと、応援してるから」
そう隼人くんが言う。
ふと視線を向けると、彼もまた、気恥ずかしそうに視線を逸らしているのが見えて、なんだかさらに恥ずかしくなった。
すると、「はいはい」と紗季が割って入る。
「そこの2人、私を差し置いてイチャイチャしなーい」
「っ! イチャイチャなんてしてないし!」
「えー、詩帆必死じゃん。あ、そんな詩帆も写真に……」
「もぉー! さぁーきぃー!」
そんな風に、会話を弾ませながら、私たちは、迫る時間を十分に楽しんだ。
なにを持って、世間一般に青春というの分からない。
でも、これだけは言える。
今の私たちはきっと、全力で青春している。
すると、その瞬間、花火打ち上げの10分前のアナウンスが流れた。
はっと息を呑み、私はスマホに目を向ける。
『19:05』
あぁ、もうこんな時間なんだ。
すると、紗季が小さく息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。
そして、私の方へと顔を向けると、
「詩帆、そろそろだね」
そう、言った。
その表情はどこかニヒルチックで、憂いげで。
だけど、私は。
「……うん。そうだね」
私もゆっくりと立ち上がる。
そして、紗季を真っ直ぐ見つめて。
「行こっか」
ふふっと、微笑んでみせた。
「……」
俺は1人、レジャーシートの上で、焼き鳥を頬張りながら、対岸の屋台を眺めていた。
なんとなく、大人になったらこんなふうにお酒を飲みたい。
そんな想像をしながら、焼き鳥の甘しょっぱいタレを、冷たい炭酸水で流し込んだ。
……もうすぐ花火打ち上がる。
それなのに、詩帆さんと紗季は、2人でどこかに行ってしまった。
特に理由を聞いても。
—— え、女性に理由を問い詰めるなんて、セクハラじゃん。
——あはは……。でも……ごめんね隼人くん。これは秘密、なの。
そんな風に、教えてくれなかった。
てか、なんだよセクハラって。
そっちの方が十分パワハラじゃねえかよ。
先ほどのやりとりを思い出して、はぁ、とため息を吐き出す。
すると、その瞬間。
—— ヒュ〜……パンッ!
と、大きな炸裂音と共に、一気に空が明るくなった。
頭上にパッと咲き誇る、赤とも黄色とも言える、大きな菊の花。
一瞬の静寂の後。ワッと歓声が響いた河川敷。
その花火を皮切りに、雪崩のように花火が夜空を彩った。
バチバチと、空気が振動する夜空を、ぼんやりと眺める。
ずっと昔から見ているが、やはり花火というのはすごい。
いつ見ても、こうして心と視線が釘付けになってしまうから。
……詩帆さんと、紗季も、どこかで見上げているのだろうか。
ふと、そんなことを考えた瞬間、スマホがブルリと震えた。
なんだろう、そうスマホを持ち上げると、通知が2件きていた。
相手は。
「詩帆さん……と、紗季?」
2人から同時に送られてきたメッセージ。
俺はそれを、スマホのロック画面の通知欄で眺めていた。
『隼人くん』
『 ね、隼人』
……。
『今日は、花火誘ってくれてありがとね』
『いつも一緒に見てるけど、やっぱりいいね花火は』
……。
『急にこんな事言うのは恥ずかしいけど、私、隼人くんと出会えて本当によかった』
『なんか、当たり前になっちゃったけど。私、ずっと隼人には感謝してる』
……。
一呼吸置いて、『画像』というメッセージが流れる。
そして。
『隼人くんに、伝えたいことがあります』
『隼人に、伝えたい事があるの』
……。
『『だから』』
『『ここで、待ってるね』』
刹那、一際大きい花火が、頭上で炸裂した。
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