第39話 『夜ふかし線香花火』

「……」


「……」


 ……。


「あぁーっ! もうウザイ!」


 沙織が突然畳を叩いたのは、食後のインスタントコーヒーの後味が残る、夕食後のこと。


 うつ伏せになって、また真っ暗になったスマホと睨めっこしていた私は、ジャージ姿の彼女の方へと顔を向けた。


「……急に何? てか、まだいるんだ」


「今日は泊まるつもりだったんだけど! てか、そうじゃなくて!」


 すると私のスマホを指差した彼女。眉間に皺を寄せると、


「せっかく私が来たんだから、いい加減それやめて!」


 そう言い放つと、彼女は大きく息を吐き出した。

 

 その様子は不思議と、怒っているというわけじゃなくて、どこか心配そうな表情をしているような気もした。


 だけど……。


「……別にいいじゃん。ここ私のおばあちゃん家なんだから」


 私はそう返した。


 —— あぁ私って、まだまだ子供だなぁ。


「……なにそれ……サイアク。帰る」


 ボソリと呟いて、沙織はスッと立ち上がる。


 彼女の悲しそうな横顔が、障子に遮られると私は、大きく息を吐き出した。


 —— なにやってんだろ、私。


 遠くなっていく足音と、同じぐらいの大きさで軋む心音。


 痛いと苦しいの間で、焦燥感だけが先走ってしまった。


 そもそも、なんでこんなにモヤモヤするのだろうか。


 明日の夜、ただ詩帆と会って、話を聞くだけじゃん。


 たったそれなのに、なぜ私は、あの電話に、あの声に。


 何かが変わってしまうかもしれない、なんて感じてしまったのだろう。


 ……よくわからない。


 でも、だけど。


 もしこの先で何かが変わって、そして3人のうち誰かが悲しむのなら、このまま曖昧なまま終わればいい。


 結末で雨が降るぐらいなら、ずっと曇りでいい。


「……沙織には悪いことしちゃったなぁ」


 あとでしっかり謝らないと。


 その後、沙織にメッセージを入れたものの、既読がつくことはなかった。





「……寝れない」


 薄暗い天井にボソリと呟いて、ブランケットを蹴る。


 ゆっくりと上体を起こすと私はスマホに触れた。


『22:30』


 千葉や東京の方ではまだ明るい時間だけど、こっちは真っ暗な時間だ。


 いつもなら、ちょっと眠れないからって、コンビニに行ったりするのだが、ここは田舎。


 最寄という言葉を疑いたくなるほど、コンビニは遠い。


 かといって今更眠れそうにもなかった私は、モヤモヤとした気持ちを抱えながら、部屋を出た。


 お母さんとおばあちゃんを起こさないよう、ひっそりと玄関を開ける。


 すると、私の肌を撫でたのは、加湿器のようにむわっとした生暖かい風。


 まだ一歩も外に歩き出してないというのに、すでに私の背中にはTシャツが張り付く感覚があった。


 はぁ、とため息を吐いて、ドアをゆっくりと閉める。


 どうせここを出るのは明日の昼過ぎだ。シャワーを浴びてる時間ぐらいはあるだろう。


 田舎の夜はよく音が響く。私は極力砂利を踏む音がしないよう、忍者のようにゆっくりと歩き、門を抜けた。


 そして、その次の瞬間だった。


「……え、なにしてんの」


 視界の先、水色のTシャツ姿の背中に、私は声をかける。


 こんな時間にバケツとビニール袋を持って出歩いてる人は、ちょっと変だ。


 だけど、なんの迷いもなく私が声をかけたのは、その背中で揺れるポニーテールに、いやというほど見覚えがあったから。


 すると、私の視界の先でびくりと肩を震わせた後、こちらに振り返る。


 その人物はやっぱり。


「……え、なに? 眠れなくて今偶然家を出てきたところなんだけど」


 沙織だった。


 でも、着ているものが水色のTシャツであったせいか、どう見ても今さっき家を出てきた汗の量じゃない。


 そうなると、彼女はこうしてずっとここら辺をフラフラとしていた。という事になるのだろう。


 でも、なんで……。


 と、そんなことを考えていると、彼女はこちらに近づいてきて、「ん」と、鉄製のバケツを差し出す。


「とりあえず、これ持ってついてきて」


「えー、ヤなんだけど」


「い・い・か・ら!」


 そう、私にバケツを押し付け、先に歩き出した沙織。


 私は汗が滲んだ背中の後に続いた。

 

 そして、彼女が足を止めたのは、歩いてから約20分ほどの、何にもない田んぼ道だった。


 カエルのゲコゲコという鳴き声が四方八方から聞こえ、少し遠くにある二つ峰の山の中腹には、いくつか明かりが見える。


 すると、ぼんやりとした暗がりの中で、シュッシュッという音と共に、何かツーンとした匂いが鼻をついた。


 そちらの方へ顔を向けると、沙織が手に持っていた霧吹きのようなものをこちらに差し出す。


「はい虫除け。紗季も使って」


「えー、私はいらない。なんか手がベタベタするの、ヤダ」


「あぁもう! 子供じゃないんだから! ほら腕出して!」


 渋々腕を出すと、これでもかというほど、肌にスプレーをかけられた。


 その間、「痒くて掻きむしると、お肌傷つくんだから」と、ぐちぐち言いながら私の肌に虫除けを刷り込んでくる沙織が、なんか面白くて。


 私はついふふっと鼻を鳴らしながら、「なんかお母さんみたい」と呟く。


 「うるさい」と突っぱねられてしまったが、なんだかちょっとだけ、幼い頃を思い出した。


 その後もう片方の腕と私の首筋にスプレーをした彼女は、はぁ、とため息を吐き出し、ビニール袋を地面に置く。


 彼女の指示で田んぼから伸びた、延々と水の出続けるパイプから、水をバケツに溜めると、彼女の元に戻った。


 そして沙織は、点灯した蝋燭に細長い何かを近づけて、しばらくすると。


 ——しゅぅ……パチパチっ。


 まさにそんな音だった。彼女の華奢な手元で、小さな花火が静かに爆ぜる。


「線香花火……」


「そ。うちさ親戚とかめっちゃ多いじゃん? それでよく花火とかやるんだけど。線香花火って人気ないらしくて。まぁ、せっかく紗季もいることだし、ここでいっぱい消化しとかないと」


 そう線香花火に照らされた綺麗な顔がやんわりと微笑む。


 袋いっぱいの線香花火と、結露してアスファルトを黒く染めた、2本のペットボトル。


 彼女は昔と変わらず、純粋で優しい。


 だからこそ、そんな彼女に酷いことをしてしまったと、後ろめたさでむせ返る。


「ん? どうしたの紗季?」


「……はっきり聞くけどさ、私、沙織にそこそこ嫌なことしたよね? それなのになんで……」

 

「……はぁ、紗季って変なとこでめんどくさいよね」


 彼女のため息合わせて、小さな火球が終わりを迎える。


 また次の線香花火に火をつけると、沙織は言った。


「別に、紗季如きにそんなことされても気にしないし、あぁなんか子供だなーって思ってるだけだから」


 ……。


「ふふっ。さっきは、『サイアク、帰る』とかブチギレてたくせに」


「そ、それは違うから! てか早く手伝って!」


 口早に言うと、私に線香花火を押し付ける。


 それを受け取り、蝋燭にかざすと、私の手元にも小さな花火が咲いた。


「……てか、紗季って何か悩んでるの?」


「ふふっ。ちょ〜単刀直入じゃん。ほんと不器用だね」


「そういう誤魔化しはいいから」


 ……。


 彼女の静かな口ぶりに、私はうん。と頷く。


「悩んでるっていうか、なんだか怖くって」


「怖い?」


「うん……」


 その後、私は自分の中で溜め込んでいたものを吐き出した。


 隼人のこととか、詩帆のこととか。


 そして、私たちの絶妙なバランスで保ち続ける、トライアングル的関係のことも。


 ……でも、もしかしたら話しすぎたかもしれない。


 詩帆と隼人が、2人で出かけてるのが羨ましいとか。


 私の方が一緒にいる時間が長いのに、手をつなげる関係になるのが詩帆のほうが早いとか。


 ……でも、こんな嫉妬心丸出しな話、この花火がなければ話せなかった。


 沙織じゃなかったら、話せなかった。


 しばらくして、何本目かの線香花火が地面に落ちた時。


「……はぁぁ。全く、ほんと……」


 呆れ、なんだろうか? 長く不機嫌そうなため息に、ふと顔を沙織の方へと向けると、彼女はまだ、ぱちぱち言っている線香花火をバケツに落とした。


「なに? 紗季って、最高にアホなの?」


「え……えぇー」


「あのさ、まずは紗季の方が圧倒的に一緒にいる時間が長いわけ、それなのに、そんなポッと出の女の子に目移りするわけないでしょ」


「いや、でも……」


「それに」


 と、次の瞬間、私の頬を両方から挟んだ彼女。


「紗季はこんなに可愛いんだもん。隼人くんがアンタのこと、好きじゃない訳ないでしょ?」


 そう言って、やんわりと沙織が微笑んだ瞬間、私の手元で爆ぜていた線香花火が地面に落ちる。


 ぼんやりとした暗がりに、響き渡るカエルの声。


 私は、私の頬に触れているしっとりとした手が、ちょっとだけ震えているのを感じて、思わず鼻を鳴らす。


 そして、その手の上に、私の手を重ねると。


「ありがと。沙織。なんか勇気湧いてきた」


「……はぁ。ほんと……、変わらないね紗季は」


 そう言って、私から手を離した沙織は、再び線香花火に火を灯す。


 私も彼女に合わせて、線香花火に火をつけた。


「それで、これからどうすんの?」


「……うん。隼人を夏祭りに誘ってみる」


「そっか」


 短いセリフの後に、隣から聞こえた鼻音。


 満点の星空に輝く、夏の大三角。


 その下、私たちの夜更かしは、もうちょっとだけ続きそうだった。



 

 


 


 

 




 


 


 

 

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