第38話 『旧友、襲来』

「……」


 畳の匂いと、ちょっとだけカビっぽい匂いの、冷たい風。


 だいぶ硬いはずなのに、痛く感じないのはやはり畳の凄いところなのだろう。


 うつ伏せの状態で、自分の体温をお腹に感じながら私は、スマホと睨めっこをしていた。


 画面には、『隼人』と表示されたメッセージ画面。


 そして、打ち込んだまま送れていない、『来週のお祭り、一緒に行かない?』というメッセージ。


 たった数センチ先の送信ボタンが、どうしてこうも遠く感じてしまうのだろうか。


 数分間色々と考えた末、私はまた何もできず、スマホが独りでに暗転した。


「……やっぱり詩帆も誘うべきかぁ」


 そう思うようになったのは、正直あの一件以来。


 私の身勝手で2人に迷惑をかけてしまったあの日から。


 だからこそ、それでも私と親友でいてくれると、言ってくれた詩帆の顔を想像してしまう。


 もし、隼人と2人っきりの場面で、詩帆とバッタリ出会ってしまったら……って。


 その時、私はどんな顔して、どんな言葉を返せばいいのか。


 分からないから。


 すると、小さくチャイムの音が聞こえて、お母さんの「は〜い♪」みたいの声が遠くで聞こえてきた。


 誰か来たのだろうか。でもまぁ、田舎のおばあちゃんの家だ、どうせ近所のオジちゃんか、もしくは回覧板の類だろう。


 しかし、そんなふうに思っていたのだが、その客人と思わしき足音が、着々とコチラに近づいてきて……。


 ——ガラっ!


 そんな音と共に、黒色のポニテが揺れる。


「……」


「……」


「……え、なに? なんか文句あんの?」


「いや、久々に再会して第一声がそれはやばいでしょ」


 私は思わずため息を吐き出す。


 そして、再びゆっくりと顔を上げると、手に扇子を握ったまま、気が強そうに腕組みをしてコチラを見下ろす、彼女に言った。


「てか、早くそこ閉めて。冷たいの全部逃げちゃう」


「紗季は相変わらずドライね、まぁ、部屋の温度は高いみたいだけど」


「うっわさっむ。誇らしげに良い扇子持ってるくせに、今だに言葉のセンスないのなんかウケる。あ、体冷えたかも、ありがと沙織さおり


「……」


「……」


 お互いに見合って、沈黙が流れる。


 そして次の瞬間。


「「ふふっ」」


 2人分の鼻音が部屋に響いた。


 沙織は後ろに回した手で、障子を閉めると唇の端を持ち上げる。


「久しぶり紗季。なんか随分と綺麗になったじゃん」


「えー、そういうことすぐ言えちゃうんだ。でも、ちょっと見ないうちに沙織も可愛くなったね」


「当たり前。大学は絶対、東京の方に行くんだから」


 そう言って、畳に腰を下ろした沙織。


 私も彼女に習って、座り直した。


 




 『長門ながと 沙織さおり』とは、ちょっとした幼馴染みたいな感じだった。


 幼稚園も小学校も、何一つとして被ってはいないが、おばあちゃん家の近くに沙織の家があるため、こっちに来るたびによく遊んでいたのだ。


 そして彼女は幼い頃から触覚のポニーテールヘアー。


 もう言い逃れできないぐらいの、トレードマーク。


 だから私は、その髪型と、気が強そうなパチリとして目を見ると、あぁ、田舎に来たんだなって気になる。


 だけど、一応誤解のないように。別に彼女が田舎臭いわけではない。


 むしろ姉御気質の美人って感じの顔つきはしてるし、それにフワッとした夏用の、白色のオフショルダーニットに、ヒラヒラとした黒色のミニスカートなど。


 顔は大人っぽいのに、ガーリーチックな服装がしっかりと似合っているのも、何だか都会っぽい。


 きっと今の彼女が東京の街中を歩いていてもさほど違和感はないだろう。


 と、そんなことを思いながら横目で彼女を見ていると、沙織はパタンとファッション雑誌を閉じて口を開いた。


「てかさ。なんで紗季はジャージなわけ?」


「まぁ、どこに出かけるわけでもないし、それに楽だし」


「いやいやいや……紗季さん。分かってます? 私らJKですよじぇーけー」


「うん。あ、でも沙織の服装可愛いね。そっちのセンスはすごくいいと思う」


「——っ! あ、ありがと……」


「ちなみに、私がこっちに来るといつもおしゃれしてくるけど、もしかして私に会うの楽しみなの?」


 すると、照れを隠すように顔を逸らしていた沙織が、バッとコチラに顔を向ける。


「ば、バカじゃないの! 違うし、私はこれが素なの!」


 と、早口で行った彼女だが、まぁ……そういうことにしておいてあげよう。


 私はふふっと鼻を鳴らし、「え〜。まぁ、ありがと」と返す。


 それに対しても、「違うから!」と顔を赤くする沙織だった。


「てか、そうじゃなくて! 紗季、ジャージ禁止!」


 そういうと沙織は、私が持ってきた大きめのバッグを漁り始め、中から何着か洋服を取り出した。


 そして、それをコチラに向けると、


「これに着替えてきて」


 そう言った。


「えー。だるいじゃん」


「いいから着替える! 紗季は可愛いんだから、そういうは禁止!」

 

 と、そんな沙織に隣の部屋へと押し込まれた私。


 手に持った自分の衣服に目を落とし、はぁ、とため息を吐いた。


 すると、その瞬間、ジャージのズボンからブルリとした振動が伝わってきて、ポケットに手を伸ばす。


 着信、相手は詩帆だった。


 一瞬、夏祭りのことが頭をよぎり、唾を飲み込む。


「……あ、もしもし。おはよう……いや、こんにちわ? とにかく、今日も暑いね」


 彼女の言葉に、返答した。


「うん。それで、何かあった?」


 ……。


「え、うん。大丈夫。でもちょっと遠いから、明日の夜になっちゃうんだけど、大丈夫?」


 ……。


「ありがと。それじゃ、明日の夜コンビニで」


 通話が終了。時間にしてたったの1分ぐらいだろうか。


 シーンと静まり返った部屋。


 私は、彼女の声のトーンに、何だか違和感を感じた。


 いつもの明るい声、いつものテンション。


 そのはずなのに、なぜか自信が感じられるっていうか……。


 何かしらの覚悟を感じたから。


 そしてそんな彼女に、この一つの話が動きそうな気がしたから。


 不安とも呼べるようなものが私の胸に広がっていく。


 …………。


 ……。


 ——ガラっ!


「……」


「……」


「……え、なに? もしかして着替え方忘れたちゃったの? ……てか、紗季……大丈夫?」


 そんな沙織の声の後に、彼女のしっとりとした手の感触が私の手の甲に触れる。


 ハッとして顔を彼女に向けると、目の前で心配そうな表情を浮かべていた。


「ごめん、もしかして私が無理やり押し付けたのが嫌だった?」


「……ううん。ありがと。でも沙織じゃないから大丈夫


「それじゃ、さっきの電話のこと?」


 そう言われて、私は唾を飲み込む。


「……うん。だけど気にしないで」


 やんわりと微笑んで、沙織の肩を押す。


「さ、着替えるから出てった出てった〜」


 華奢な背中が廊下に出ると、私はゆっくりと障子を占める。


 その刹那、不安げな横顔にちょっとだけ胸が痛くなった。




 






 


  


 




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