第33話 『キミの好きな人』その2

「お待たせ。隼人くん」


 いつしか、見慣れてしまったその背中に声をかける。


 すると彼もゆっくりとこちらに振り向き、


「あ、詩帆さん。ううん、俺もさっき来たところ」


 そうやって、やっぱり微笑む。


 彼は、私を待たせた事はない。


 放課後、急に呼び出してしまった用事以外は、絶対私よりも先に、待ち合わせ場所に立っているのだ。


 しっかりと手入れが行き届いた、白色のスニーカーと、サラッとしたリネン素材で紺色のイージーパンツ。


 それにこの、晴天に映えるように真っ白な、オーバーサイズのTシャツ。


 全体的にダボっとして見えるはずの、流行りの感じのコーデだけど、高い背丈や広い肩幅が相待って、彼には良く馴染んでいると思った。


 それに……。


「ん? 詩帆さん、どうかした?」


「……っ! ううん! 何でもないよ!」


 あはは。と誤魔化すように口で笑う。


 気温がより高くなって、その分生地も薄くなったせいか、Tシャツの上からでも分かる分厚い胸の膨らみに、思わずドキッとしてしまった。


 体、鍛えてるのかな……。もしかして、脱いだら結構すごいのかな……。


 ふと、彼の体を想像して、何だか恥ずかしくなる。


 何をやってるんだ私……。やっぱり同人誌控えなくちゃ……。


「詩帆さん大丈夫? 水買ってこようか?」


「……ううん! 大丈夫! それじゃ行こっか!」


 そう言って、彼の左手を引く。


 一瞬隼人くんの目が大きくなって、私は思わず嬉しくなる。


 この前の事から、もしかしたら隼人くんは、紗季のことが好きなんじゃないかって、思ってた。


 いや、多分好意に似た何かを寄せているのは間違いないのだろう。2人の距離は『幼馴染』には近すぎて、『恋人』としては、あまりにも慣れすぎている。


 それじゃまるで、夫婦みたいじゃん。なんて思うことも正直あった。私の入る隙なんてないのかなって。


 それでも、確信を持てる事が一つだけあった。


「……詩帆さん」


「ん? どーしたの?」


「その……俺、結構汗かいてるから」


「あはは。そっか……それじゃ……」


 一歩前に踏み出して、彼の体の前で背伸びをする。


 高い位置にある耳元で小さく呼吸をすると私は、


「お互いの汗の匂いとか、分かっちゃうかもね」


 そう囁いて、分厚い胸にそっと手を触れる。


 ……やっぱり。


 私はふふっと鼻を鳴らすと、再び彼の手を引いて歩き出す。


 紗季と隼人くんの関係は幼馴染みとして、ある意味絶対的だ。


 それでも彼は、私にドキドキしてる。


 それってつまり、私にも十分チャンスがあるって事だよね。


 駅前のガラスに私の全身が映り込む。


 足元を安定させる黒色のコンバースと、制服以外では履いたことのないスカート。しかも短めでデニムのやつ。


 白色のオーバーサイズのTシャツは、雑誌に載っていた通り、裾をふんわりとした感じを持たせてタックインしてみた。


 そして、オフホワイト色のキャップから伸びる、サラッとした金髪が自信満々に背中で揺れている。


 我ながら、今日の私はイケていると思う。だってだいぶ頑張ったんだもん。いろんな雑誌とか読んで、最近の流行りとか、着こなし方とか勉強して。


 だから、私の我儘かもしれないけど、どうしても彼の口から聞いてみたかった。


 そして、


「詩帆さん」


「ん?」


 彼の声に、私は右隣に視線を向ける。


 すると隼人くんは、私から視線を逸らしながら、


「……今日はなんか雰囲気違うっていうか……なんか上手く言えないけど、すごく詩帆さんぽくていいと思う……」


 そう、私の欲しい言葉を言ってくれた。


 嬉しさと安堵感。そして若干の時差でやって来た恥ずかしさに、キャップのつばで視線を遮る。


「……うん。ありがと。隼人くんもすごく、かっこいいよ」


 そう呟いて彼の手にキュッと力を込める。


 少し遅れてキュッとした感触が帰ってきて、何だか私の方がドキドキしてしまった。






 そういえば、隼人くんと2人っきりで遠出するのは、久々だった。


 あの日以来、何となく隼人くんと2人っきりになることを避けていたと思う。


 なんていうか、上手く言えないけど、それが私たち3人の関係を成り立たせるには、いい気がして。


 だけど。


—— 紗季だって、隼人くんとお出かけしたんだから、私だって……。


 と思い立ったのは、2日前のこと。


 そして、今日は……。


「ついたぁ〜! 暑ぅ〜っ!」


 打ち付ける波の音をバックに、私は声を上げた。


 千葉のとある駅から電車に揺られること、約2時間。そこからしばらく歩いた先は、かの有名な『江ノ島』だった。


 数々のアニメやドラマの聖地であるせいか、至る所に人、人……まぁ、さすがは観光地って感じだろう。


 すると隼人くんも、Tシャツの襟を摘み、パタパタと風を送りながら口を開く。


「暑いっていうか、なんか鉄板の上みたいだな」


 水分補給必須だわ、これ。と周りをキョロキョロと見渡した隼人くん。


 そんな彼に私は、微笑みながら「確かに!」と返した。


「でもまぁ、江ノ島って上に行くためにエスカレーターがあるみたいだし、今日はそれでもいいかもね」


「確かに。安全第一だからね」


 そんな短い会話を交わし、エスカレーターに乗るためのチケットを買うと、私たちは上へと目指していく。


 正直暑いし、人は多いしで、シーズン中に来る場所ではないなって思う。


 だけど、今日あえてこの場所を選んだのには、訳がある。


 それは……。


「あった」


 看板に誘導され、目的のものが見えて、思わず息が漏れる。


 フェンスに括り付けられた、色鮮やかで無機質な、幾つもの南京錠。


 崖の向こうに見える青い海。


 そして、何でこんな場所に? と思わせるように佇む電話ボックスのような建物。


 その中には、いわゆる『鐘』と言われるものがあった。


 その鐘の名前は、『龍恋の鐘』。


 すぐそこのフェンスに南京錠をつけ、この鐘を鳴らせば一生、2人は結ばれる。


 つまりここは、恋人の聖地と呼ばれるパワースポットだった。


 すると、その場の雰囲気に「おー」と息を漏らした隼人くん。


「こんな場所に南京錠がいっぱい……なんか、すごいな」


「ね。なんか、不思議だね」


 そう返した私は、鐘の元へと歩き出す。


 本当は南京錠を買って、フェンスにつけたかったのだが、そこまでの勇気は生憎、持ち合わせていない。


 でも、せめて……。と意気込み、それを鳴らすためのロープを手で持つと、私は息を吸った。


「ん? 詩帆さん、どうしたの?」


「……あ、あのさ!」


 私がいきなり大きな声を出したから、きっと彼は驚いたのだろう。


 だけど、今から言うことを、いつも通りのテンションと声で言うには、心の余裕と大人げが足りなかった。


 詰まるところ、ここに来てまで私は、怖気付いていたのだ。


 もしここでダメだったらどうしよう、とか、そんなことを。


 『青春とは、痛みである』


 そんな誰かの言葉が、一瞬頭を横切る。


 今ならその誰かの気持ちだって、代弁できるかもしれない。


 『好き』と言う気持ちと同じぐらい、『嫌われたらどうしよう』なんて気持ちが、彼に対する行動の一つ一つに、急ブレーキをかけていくのだから。


 好き。


 怖い。


 ……。


 でも、伝えたい。


 そして、私は……。


「……あはは。ごめん、言いたいこと、なんか忘れちゃった」


 そう、自然と出てきた苦笑を浮かべながら、私はロープを握った手の握力を緩める。


 視界の先で、きょとんとした彼の顔。


 ……言えなかった。


 たった一言、あなたの事が好きです、って。


 心の中でそっとため息をつく。


 何だか、この言葉を言ってしまったら、もう本当に全部終わっちゃいそうで。


 それが怖くて、痛くて。


 そんな思いをするのなら、もうこのまま胸に秘めてようって、そう思ってしまった。


 バカだなぁ、私。


 こういう恋愛のパワースポットにくれば、なんか力湧いてくるかなって思ったのに。


 これじゃいつもと……全然変わらないじゃん。


 鐘に視線を移し、ふふっと微笑む。


 そして、手からするりとロープが抜け落ちる……。


 しかし。


「……えっ」


 しかし、その瞬間。私の右手をしっとりとした何かが包み込む。


 大きくて、男性らしい逞しい手。ロマンティックに隠す必要もない。


 隼人くんの手だ。


 彼の手が私の手ごと、ロープを掴んだ。


 そして、驚いた私に、隼人くんが聞いた。


「これ、鳴らさなくていいの?」


 一瞬、息を呑む。何で隼人くんはそう思ったのか。


 まぁ確かに、こんな意味ありげなものがあったら、鳴らさないと言う選択肢は、ほぼないと思う。


 ドキドキと、早くなる心臓を誤魔化すように、私は笑みを返した。


「なんか、別に鳴らさなくてもいいかなーって思っちゃって」


「……」


「隼人くん?」


「……俺の勘違いだったら、ごめん。でも詩帆さん、鳴らしたがってるように見えたから」


 彼の言葉に、思わず目を見開く。隼人くんはそのまま続けた。


「もし、何か理由があって、鳴らせないなら、俺も一緒に鳴らすから」


 だから。そこで一息ついた隼人くん。その優しい瞳が、細くなる。


「よかったら一緒に鳴らしてみない?」


 そんな彼の表情に、ふと思い出したのは、あの日のカラオケのこと。


 まだ好きなものを好きって言えなかった私に、勇気をくれたあの瞬間。


 そして、隼人くんのことを好きになったあの時の気持ち。


「……」


「詩帆さん?」


「……っ! あはは! ごめんなんかぼーっとしちゃった」


 きっと頬だった赤くなっていたかもしれない。瞬きだった多くなっていたかもしれない。


 それを誤魔化すように笑っても、速い鼓動は抑えられなくて、それでも心地よくて。


「……ありがと。隼人くんが一緒なら鳴らせると思う」


 そう呟いて、もう一度ロープを握る。


 ……あぁ、ほんとに不思議な人。


 こんなにも優しくて、まるで心の中を読まれているみたいに、全部彼に気持ちがバレてしまってる。


 本当に不思議な人……。


「それじゃ、せーので」


「うん。せーので」


 2人分の呼吸。


「「せーの!」」


 ロープを前方に振って、時差で鐘にぶつかる。


 カランカラン♪


 そんな音が崖の間に響いて、こだまする。


 ふと彼の横顔に目を向ける。


『Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ?』


 なんとなく、あの日のフレーズの意味がわかったかもしれない。


 ……ねぇ。隼人くん。


 私、キミのこと好きだよ。


 だから教えて。


 あなたは誰が好きなの?


 嬉しさと、ドキドキ。


 どうか、この鐘が約束した未来は、彼とのものでありますように。


 ちょっとだけ顔を出した独占欲。


 それを撫でるように、生暖かい潮風が通り抜けていった。


  

 

 


 


 

 

 

 


 


 

 


 



 

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