番外編 『約束』

 それは、とある12月中旬のこと。


 俺たちが住んでいる地域から電車で約1時間半ほどの、ちょっとした片田舎に来ていた。


 とある大学を中心に発展したこの市は、都市と自然が共存する街としても有名で、大学や研究機関を中心とした研究学園から、北には二つ峰の霊峰を望むことができる。


 時刻は16時30分。地下の改札口を出て、エスカレーターで地上に上がると、すぐ横のバス停に立つ。


 すると、ツンと冷たい風が頬を撫で、同時に、両隣からは息が漏れた。


「ん〜っ! 寒ぅ〜!」


「手袋、持ってくればよかったかも」


 そう手に息を吹きかけた、詩帆さんと紗季。そのタイミングが被って、俺越しに2人は鼻を鳴らした。


「同じ関東のはずなんだけど、ちょっと北に行くだけでこんなに寒いんだな」


「ね。ちなみに隼人くんは手とか寒くない?」


 そう、こちらを覗き込んだ詩帆さん。黒色のニット帽から出た金色の前髪がさらりと風に吹かれる。


「俺はカイロ持って来たから、それ握りしめてる」


 そう言って、パーカーのポケットから少し手を引き抜き、カイロをチラつかせた。


「え〜良いなぁ〜」と息を吐いた詩帆さんは、モコモコの白いダウンパーカーに手を突っ込む。


 その瞬間また風が吹いて、詩帆さんの黒いロングスカートがひらりと揺れた。


 すると、反対側からいきなりパーカーのポケットに手を突っ込まれ、右手に握っていたカイロが奪い去られていく。


 犯人はもちろん……。


「どうせ2つ持ってるんでしょ、1つもらうね」


 得意げな顔を見せた紗季。黒色のマウンテンパーカーの内ポケットにカイロを突っ込むと、胸の前で腕を抱えた。


 いつもなら、制服のスカートから伸びている健康的な足も、今日は黒いタイツに包まれていた。


 ぴちりと引き締まった太ももの上で、小さくブラウンのチェックスカートが揺れる。


「え〜っ! 紗季ずるい! じゃあ、私も!」


 詩帆さんも乗っかるようにして、俺のポケットに手を突っ込んできた。


「いや、やだよ。それ無くなったら俺冷たいじゃん」


「ん〜! 隼人くん、女の子はね、冷えやすいんだよ!」


 ……何か、前にもそんなこと、言われたような気がするな。


 だけど、ポケットの中で繰り広げられるカイロ争奪戦は、なかなか収まりを見せない。


 詰まるところ、俺も寒いのだ。もうこの際女々しいとか、男のプライドどかどうでもいい。


 この後の事にも備えて、温かいものを握っていたかった。


 そして、しばらくした後。


「……分かった。それじゃこうしよう?」


 詩帆さんは小さくため息を吐き出す。


「絶対にカイロ取らないから、そのまま手のひらに乗せてて。あ、手はちゃんと開いてね」


「え? まぁ、うん」


 彼女に言われたまま、ポケットの中でカイロを手のひらに乗せ、手を開く。


 一体これは何なのだろう、ふとそう思った瞬間だった。


「——っ!」


「えへへ♪」


 ポケットの中で、少し冷たくて、柔らかい感触が俺の手のひらに触れる。


 するとその華奢な指はゆっくりと、俺の指の間に折り込んできて……。


「これなら、2人であったかいね♪」


 そう、にへらと微笑んだ。


 ポケットの中の、いわゆる『恋人繋ぎ』がキュと締まって、暖かさが増す。


 トクトクと早くなる心臓に合わせて、顔までも熱を帯び始めた。


 だが、次の瞬間、反対側のポケットにも、勢いよく冷たい手が滑り込んできて、半ば無理やりカイロを押し付けられる。


 右手は柔らかく握られているのに、左手はまるでプロレスで見るような感じで、ギュウギュウ鳴っていた。


 同じ手の形なのに、なんでこうも違うのだろろうか。


 左に顔を向けると、俺は口を開いた。


「痛えよ、紗季」


「……私も、手……冷たいんだけど」


 視線を髪の毛で隠しながら、ボソリと呟く紗季。


 そんな彼女に俺は、小さく息を吐くと、力強く俺の手を握る華奢な手に、指を優しく折り重ねていく。


 それに反応するように紗季はピクリと肩を震わせると、小さく鼻を鳴らした。


「……確かに、温かいかも」


 そう微笑むと紗季の手から力が抜け、より隙間を無くすように何度も握り直す。


 その度に俺も、彼女の手を優しく包んだ。


「……ね、隼人」


「ん?」


「握り方、何かやらしい」


「握り方にやらしいもクソもあるか」


「ふふっ。ごめん嘘。すごく温かいよ」


 ふと、見せた彼女の大人っぽい微笑みに、心臓がワンテンポ早く脈を打つ。


 右隣で楽しそうの笑う詩帆さん。


 左隣で魔性的に目を細める紗季。


 もう、この心臓の高鳴りが、そのどっちによるものなのかは、分からなかった。


 その後しばらくして、やって来たバスに乗り込んだ俺たちは、とある公園へと向かった。





「わぁ〜! すごい! 真っ暗!」


 そんな声がよく通ったのは、バスで揺られること約30分、そしてそこから徒歩でさらに30分ほどの距離にあった、公園だった。


 周りは田んぼと池に囲まれており、唯一灯りといえば、駐車場にある自販機ぐらいのもの。


 しかし、空が濃い藍色をしており、芝生が生えた広大な公園の少し高台にある、高床式倉庫の建物はくっきりとシルエット状に浮き上がっていた。


 てか、向こうだと明るくて気づかなかったが、夜空って黒じゃなくて、こんな色してたんだな。


「ふふっ。すごい田舎でしょ。詩帆はこういうの初めて?」


「うんっ! あ、でも、この人が全くいない感じとか、めっちゃ好き! なんか、世界から私たち以外が消えちゃった、みたいな?」


「へー、その例え、エモい」


「でしょ〜! ちなみに隼人くんも初めて?」


「俺も初めて来たな。星もこんなに見えるなんて、知らなかった」


「ね。綺麗だね」


 すると、見上げていた先で、一筋の白い光が流れて、


「あっ! 流れ星!」


 詩帆さんが、そう声をあげる。


「おー、初めて見た。あ、願い事……お年玉いっぱいもらえますように」


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。ほら隼人、早くシート広げて」


 紗季に言われ、背負っていたザックからレジャーシートを取り出す。


 すると早速詩帆さんが、シートの上に寝転がった。


「芝生ふかふか〜! 星きれーっ!」


 詩帆さんに続き紗季もシートの上に寝転がる。


「こういうのなんか久々」


「幼稚園の頃は結構やってたんだけどな。それじゃ俺も」


 紗季の言葉に返答し、2人とは反対側に寝転がった。


 視界の先に広がった、満点の星空。


 いつもは都会の灯りで霞んでしまいそうなほど、淡い光が俺たちの視覚に届いている。


 そして、この光の全てが、


「……すごいね。全部何千年も前の光が、やっと届いてるんだって」

 

 華奢な息遣いの声。詩帆さんがそう言うと、紗季が「へー」と息をつく。


「じゃあ私たちは、何千年も前の過去を見てるんだ」


「うん。なんか不思議だね」


「じゃあ、今の星ってどうなってるんだろうな」


「んー、あと何千年もしたらわかるんじゃない?」


「あはは。その頃には私たちはもういないよー。でも、ちょっと見たいかもね」


 そんな会話している俺たちの遥か上空を、何本もの光の筋が通り抜ける。


 一年に一度、数光年先からやってきた、小さな石のかけらが地球の大気圏を掠めていく。


 次にこれが見られるのは、また来年の冬のこと。


 それはまるで、一年に一度しか会えない、織姫と彦星みたいだなって思った。


 ふたご座流星群。その下でボソリと紗季が呟く。


「この星が過去のものなら、どこかから見た私たちも、過去なのかな」


「あはは、確かに。もしかしたら今は過去、なのかもね」


「だとすると、どこかの星からは、一年後の俺たちも見えてるのかもな」


「一年後、かぁ……」


 俺の言葉に反応するようにして、詩帆さんが呟く。


「一年後、私たちって何してるんだろうね?」


「あー、そうだな。受験勉強とか、就職活動とか?」


「えー隼人くん、ロマンチックじゃない」


「そんなこと言われてもなぁ……」


 すると、ガサっと音と同時に紗季が上体を起こす。


「それは一年後にならないと分からないかもね。でもさ」


 そう息をついた紗季の方に、視線を向ける。


 すると、薄暗い中で彼女もまた、俺の視線に気がついたのだろう。ふふっと鼻を鳴らすと、ゆっくりこちら側に移動してきて。


「一年後も、こんなふうにできたら良いなって、そう思うよ」


 そう、俺の横でそう呟く。思わずどきりと心臓を早くすると、


「じゃあ、私も!」


 詩帆さんも、こちら側にゴロリと寝返りを打って、俺の横で楽しそうに笑う。


「ね、隼人くんは、一年後、何してると思う?」


 詩帆さんの声に、俺は星空を見上げる。


「んー。……わからないけど、また来年、ここに来れればいいなって、そう思う」


 俺の言葉に、左右から漏れる、「うん」という息遣い。


「じゃあ、約束だね。私と紗季と、隼人くんの三人で」


「……ふふっ。何それ。でも……たまには良いかも、そういうの」


「あぁ。来年も三人で来よう」


 何本もの光の筋が、夜空を流れていく。


 その一つ一つがまるで、俺たちに別れを告げていくようで。


 何だか、ちょっとだけ儚い気持ちになった。

 


 


 


 

 



 



 



 










 

 



 


 

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