第29話 『キミという魔法』
俺たち3人を取り巻く関係がギクシャクしたあの事件から、早くも1ヶ月が過ぎた。
もう季節は夏と言ってもいいだろう。梅雨のじめっとした空気は遥か彼方。今はアスファルトを焼くような日差しが降り注いでいる。
7月上旬。
「ん。おはよ、隼人」
「おう、おはよ」
「それじゃ、行こっか」
ふっと大人っぽく微笑み、少し先を歩く幼馴染。
7部に折った白いブラウスと、ハラリと揺れる紺色のチェックスカート。
いつもの幼馴染。
だけど。
「ん? どーしたの隼人? 遅れちゃうよ?」
「……あ、すまん。太ももに見惚れてた」
「えー、早朝早々やばいじゃん。まぁそこまで素直なら許すけど」
くすりと鼻を鳴らし、踵を返す紗季。
最近、彼女の雰囲気が変わったような気がする。
以前みたいな、眠そうな猫背じゃなくて、自信ありげにスッとまっすぐ伸びた背筋。
そのせいか、それとも夏服のブラウスが薄いせいなのか。彼女の胸がこんなにも女性らしくなっているなんて、思わなかった。
こくりと唾を飲み込んで、彼女の歩幅に合わせる。
涼しげに香るベルガモットの匂いと、綺麗な前髪。
紗季は異性として魅力的になった。
紗季の成長は目まぐるしいものだった。
……と言っても、もしかしたらそれは、学生としては普通な事なのかもしれないけど。
それでも、まずは居眠りをする事がなくなった。いつも眠たがっていた紗季が、ピント背筋を伸ばして授業を受けている。
そして、もう一つは多少なりとも学校で『友人』というものができたことだろう。
今までクラスメイトとは、必要な時にだけ話す、事務的な関係を保ち続けた紗季だが、最近は昼食を一緒に食べたり、時々一緒に帰ったりしている。
紗季には元々そういう才能があったのかもしれない。嫌な物にはハッキリ嫌というし、正義感も強い。一緒にいて気持ちがいいタイプとは、きっとこのことを言うのだろう。
友人ができたのも頷ける。
だけど、やっぱり変わらない一面もあって。
「おーい隼人ー。起きてー」
脇腹にチクッとした感覚が走り、思わず跳ね起きる。
少し驚いたような表情を見せたあと、彼女はふふっと笑みをこぼした。
「よかった。死んでなかった」
「この前も同じこと、あったよな? そんで俺、言ったよな?」
「うん。覚えてる。死ぬ時は「死にますよ〜」って、報告してくれるんでしょ?」
「おう。違うな。一から百まで不正解だな」
そう返すと、彼女はフヘっと笑みをこぼし、顔をこちらに向けたまま右手で頬杖をつく。
「でもさ。死ぬ時は本当に言ってね。私も一緒に死んであげるから」
「……紗季」
……。
「って、イタっ」
思わず彼女のおでこにデコピンをかました俺。
「アホか、そんな穏やかな笑顔で言うことじゃねえだろ」
そう大きくため息をついた。危ない、危うく死亡フラグが立つところだった。
「えー、嘘じゃないのにー」
「尚更ダメだろ」
再びフヘっと柔らかい笑みをこぼし、「そっか」と息を吐いた紗季。
俺は彼女の柔らかい表情に、思わすどきりと心臓を鳴らした。
そして、それは本日最後の授業、数学でのことだった。
隣から聞こえてきた、「あ……」という声に、顔を向ける。
すると珍しく紗季が困ったような表情を浮かべながら、カバンや机の中を手で探っていた。
「どうした?」
俺が聞くと、紗季は「あーね」と、息を吐き渋々答える。
「教科書忘れちゃった」
「あー。まぁ、ふみちゃん先生だから、素直に言えば許してくれるだろ」
「うん」
「まぁ、でも教科書ないとあれだかだから、一緒に見るか」
ほれ。と机をくっつけるよう手招きをする。
しかし、紗季は「え?」と困惑の色を浮かべて、ぱちぱちと瞬きをさせた。
「ん? どーした?」
「え、あ……うん。ありがと」
そう、視線を逸らしながら机を、そーっと横につける紗季。
隣に座った彼女の横顔は、綺麗な髪の毛の隠れてよく見えなかった。
「はい。それじゃあ、この公式に当てはめて、教科書の例題解いてみよっか」
公式と解き方の解説を終えた、ふみちゃん先生。
彼女もまた、薄着になったせいか、その素晴らしい体をこちらに向ける。
「もし何か質問あったら、すぐに言ってね」
すると早速教室の端っこの方から「はい!」と手が上がり、立ち上がったのはいつもの男子。
「ふみちゃん先生の好きなタイプ教えてください!」
「え、えーっと……私を守ってくれて、頼り甲斐があって……っ! じゃなくて! 受け付けてるのはこっちの質問っ!」
黒板をパシパシと叩きながら、頬を膨らませる彼女。
今日もふみちゃん先生はかわいい。
しばらくして騒ぎが収まると、教室は一気に集中モードに入っていく。
まぁ、それもそのはずだ。もう目前となった夏休み。しかし、その前には期末テストがやって来る。
他の学校は6月下旬だったり、7月の上旬だったりするのだが、なぜかウチだけは7月の中旬に行われるのだ。
ちなみに、つい先週は詩帆さんの、『期末テスト直前! アニメ同時視聴しながら同時勉強!』と言う名の、夜更かし電話をしていた。
所々で寝落ちしていた彼女だが、果たして試験の方は無事だったのだろうか?
と、まぁ。こんな感じで各々がテストに追われているわけだ。
俺も、使い慣れない公式に数字をぎこちなく当て嵌める。徐々にノートが数字とアルファベットで埋め尽くされていく。
そして、やっとの思いで一問目を解き終えた時だった。
「ね、隼人」
右隣から、ボソッと呟くような声に耳がむずむずして、思わずのけぞる。
「……なんだよ」
「解き終わっちゃって暇」
そう言って、ドヤ顔を浮かべた紗季の手元を見ると、確かに教科書の例題の3つを解き終えていた。
おまけに、応用問題までしっかり丸がついている。
「すまんが見ての通り、俺は暇じゃない」
「ふーん。あ、そこ間違ってる」
そう言って、椅子をグイッと寄せてきた紗季。
彼女のベルガモットの香りが強くなって、どきりと心臓が速くなる。
「ここ、もう一回計算やり直してみて。大丈夫、その前までは全部あってるから」
「おう、ありがと」
そうして、彼女の言うとおり計算をもう一度やり直す。すると最初に導き出していた数字よりもだいぶ違う数字が出てきた。
「うん。大丈夫、せーかい」
「すまん。助かった」
そう息を吐いて顔を彼女の方へと向ける。
その瞬間、俺ははっと息を呑んだ。
紗季が椅子を近づけたせいか、それとも俺が気づかなかったのか。
彼女の顔がすぐそこにあった。
視界のすぐ先で、パチパチと瞬きをする、大人っぽい切長の目。
黒髪と同じく、透き通るような黒色は、真っ直ぐに俺を映し出して、突然、ふふっと目を細める。
「どーしたの? 私見てても問題は解けないよ?」
そんなこと分かってる。
それでも尚、その魔性的とも言える視線から、目が離せなかった。
それはまるで。
魔法にかかってしまったかのように。
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