第27話 『私のヒーロー』
「はぁ……さっむ」
小さく呟くとお腹の前で腕を抱えて、背中側に体重を傾ける。
シャツもスカートもびしゃびしゃなせいか、それとも、コンクリートのせいか。
肌に触れるもの全てが冷たく感じた。
電源ボタンを押すも、反応のないスマートフォン。
水没でもしてしまったのだろうか。いや、もしかしたら、ただの充電切れかも。
そんな思考を巡らせて、はぁ、と吐き出したため息が、コンクリート製のドームの遊具の中に反射した。
なんでここに来ちゃったんだろう。
なんて、今更言わない。
ここには、自分の意思で来たんだから。
でも……。
「まさか、こんなに雨、激しくなるなんて思わなかったなぁ……」
遊具の外はまるで、台風のように雨風が吹きつけていた。
それに合わせて、この気温の下りよう。
濡れてしまっているのもあって、体感的には10度前後の感覚って感じがした。
だから、自然と体も震えてくる。
でも、この雨の中じゃ、まだ外には出れない……。
すると、その瞬間、私のお腹の辺りからモゴモゴと動く感触がして、視線をそちらに向ける。
「……ニャー」
「……そっか、ごめんね。寒いよね」
そう呟いて、覗いた先からは、黒い耳と、黄色い目がこちらをマジマジと見つめていた。
カバンを開けると、比較的濡れの少ないノートを取り出し、猫とシャツの間に挟む。これで少しでも水気が取れれば、猫も多少は暖かいだろう。
しばらくした後、ノートを引っ張り出し、その隙間分、腕を寄せる。
「にゃぁー」という猫の声を聞いて、少しだけ安心したような気がした。
「……そういえば昔も、こんなことあったなぁ」
そう言って、鼻から息を抜くと、ゆっくりと瞼が下がり始める。
背中の冷たさと、お腹の細い温もりに、少しだけ昔を思い出す。
あの日も寒くて、心細くて。
でも、
—— そんな日は、いつも隼人がいてくれたっけ。
私と隼人は、幼馴染っていうらしい。
そして、幼馴染って、なんかすごい奇跡みたいな存在なんだって。
お互いの家もすごく近くて、幼稚園も小学校も一緒。
って言ってもまだ私、小学3年生だけど。
でも、お母さん言ってた。もう少し大きくなったらその、奇跡みたいの部分がわかるって。
でも、なんか隼人とはずっとこんな感じが続くと思う。
中学も高校も、その先も。
特に決め手になるようなものはないけど、なんかそんな気がしてた。
「紗季ー、って、またここか」
静かだと思っていた図書室に、聞き慣れた声が響いた。
昼休み半ば。窓の外からは元気な声がいっぱい聞こえていた。
「……隼人、うるさい」
「いいじゃんか、どうせ俺たちしかいないし」
そう言いながらこちらに歩み寄ってきた彼は、私の隣に座ると、彼も机の上で本を開く。
「へぇー珍しい。なに読んでるの?」
「うんこ図鑑」
「男子サイテー」
そんな短いやりとりの後、隣から「いひひ」という笑い声が聞こえて、私も思わず鼻を鳴らす。
「いいの? 隼人は外で遊ばなくて」
すると、本をめくる音とともに「ん〜」という声が聞こえてきて、私は横目で隼人を見る。
ついこの前、転んでできた頬の擦り傷は、まだカサブタが取れきっていなかった。
「別にいいだろ。紗季はこっちにいるんだし」
「……ばーか」
私のそんな言葉に、隼人は「は?」と顔をこちらに向ける。
一方私は、彼に少しだけ背中を向けるように体を捻る。
今だけは顔を見られたくないって、そう思ったから。
確かあれは、小学3年生の6月にあった、図工の時間のことだった。
「それじゃ、みなさんの思い出に残ってる景色の絵を描いてみましょう」
そんな先生の言葉と同時に、周りのみんなは画用紙に鉛筆やら絵の具の筆を走らせた。
ちなみにそんな中、隼人はというと。
「思い出に残ったもの……犬のうんことか?」
ほんと、男子ってサイテー。
はぁ、とため息を吐いて、私は、思考の中を旅する。
思い出に残った景色は、何個もあった。
お母さんと、お父さんと一緒に行った、テーマパーク。
家族旅行で行ったキャンプ場の、満点の星空。
……でも、なんか違う。
それらは絵にするには、あまりにも、ありきたりすぎだと思った。
だからこそ、もっと身近で、普段は気にすることないほど、自分の手の届く範囲での思い出が、描きたかった。
そして、しばらく考えた後、私の中にフワッと芝生の香りが蘇る。
「……よし」
そして私は、鉛筆でも絵の具でもない、クレヨンを手に取ると、画用紙に擦り付けていく。
緑と青のツートンカラー。白いわたあめのようなものも書き足しながら、頭に思い浮かべていたのは、この前、隼人と遊んだ、あの芝生の公園だった。
そして、最後に太陽を紫色で塗った。
なんでその色なのかと言われれば、特に理由はない。
でも、実際に見る太陽は白でも黄色でもない、変な色をしていて、その中に紫があっても面白いなって、そう思ったから。
でも、たぶんこれが良くなかったのだ。
授業が終わって、自分たちの教室の外側の壁に、絵が貼られていた。
カブトムシやら、おばあちゃんの家に行った時の様子が書かれた、年相応の絵の中に、紫の太陽の絵は一つだけ、もの凄く浮いていた。
それを見て同級生も、下の学年も、上の学年も。
—— 紫の太陽なんておかしいだろ。
そう言って、笑った。
先生にも、「赤色のクレヨン、なかったのかな?」なんて、少し困ったような表情で言われた。
なんだか、その瞬間に、私だけが世界からズレてしまっているような気がして。
その放課後、先生に黙って私は、自分の書いた絵を壁から剥がした。
もう誰にも見られたくない。そんなことを思いながら。
そして、その帰り道。
「お、紗季いた」
そんな声に顔を上げるとランドセル姿の隼人がいた。
彼はいつも変わりない表情を浮かべると、私の隣に腰掛ける。
私は再び地面に視線を落とすと、ゆっくり口を開く。
丸めた画用紙を、彼から遠ざけながら。
「……なに?」
「いや、集団下校なのに、紗季いないから……つーかどうしたんだ? なんか元気ないぞ?」
そんな風に、こちらに手を伸ばす隼人。
「やめて」
冷たく彼の手を払い除けようとした瞬間、画用紙に体触れ、私たちの前に転がってしまった。
こところと、転がりながら広がる画用紙。
オレンジ色の日差しが、紫色の太陽に差し込んだ。
「あ、それ」
「見ないで!」
画用紙に手を伸ばした隼人に、思わず声が出た。
びくりと肩を動かす隼人に、私は言う。
「……みんなに変て言われて、見られたくない。みんなが笑うから、捨てたいの……」
少しずつ語尾が弱くなるにつれて、なぜか涙が浮かんできた。
恥ずかしいとか、周りに味方はいないと察した時の孤独感が、ブワッと私に覆い被さったから。
もう、消えてなくなりたかった。
……でも。
「えー、もったいないじゃん」
「……え?」
彼はそう息を吐くと、転がった画用紙を拾い上げた。
そして、丸くなろうとする両端を抑えると、隼人は言う。
「俺、この絵結構好きだぜ? この緑の部分とか、なんか、グミみたいでうまそうだし、この水色のところ、ソーダみたいでなんか甘そうだし、それに……」
そこで一息つくと、隼人のグゥ〜っというお腹の音が響き渡る。
ふへへ。と彼は微笑みながら、
「この紫色の太陽なんか、焼き芋みたいで、最高に美味そうじゃんか」
そう、何も知らないような笑みを浮かべながら、言った。
だから私は、いろんな意味で開いた口が閉じなくなった。
私の絵を、そんなふうに見てたんだ。と言う気持ちや、てかそれ、グミじゃなくて芝生だし、とも思った。
紫色のそれが太陽ってわかるのに、なんでその真ん中の水色の部分が空だってわからないのかな。なんて、思ったりもした。
でも、だけど。
「だから、捨てるぐらいなら俺に……って。え? 紗季? なんで泣いてんだよ」
彼にそう言われ、目元を擦ると、私は画用紙を無理やり奪い取る。
「だめ! 絶対あげないから!」
「え、でも捨てるって」
「うるさい! 先生に怒られるからだめ!」
そんな、子供っぽいやりとりをしながら、私は画用紙を抱きしめた。
嬉しかった。みんなが変って言って馬鹿にしたものを、好きって言ってくれたのが。
嬉しかった。私にも、私を受け入れてくれる人がいるんだなって。思ったから。
嬉しかった。そんな最初の一人が、隼人だったことが。
だから、こんな日には、隼人が隣にいてほしいって、そう思った。
「……ん」
足の痺れと、背中の冷たさで、瞼が持ち上げる。
どうやら私は寝てしまったらしい。
いたた……、とふくらはぎをさすると、ふと、私のお腹のところに猫がいないことに気がついた。
周りを見てみるが、その姿はない。
でも、私は思わず安堵した。良かった、死んでないんだ。
もう外の雨風は止んでいた。これなら普通に帰れるだろう。
足の痺れを感じながらゆっくりと立ち上がる。
「……」
……その夢で、まだ泣くんだ。私。
しっとりした鞄を持つと、ドームの外へと歩き出した。
雨の後の街は、意外に好きだ。
普段とは違う、まるで別の世界に来てしまったみたいな感覚がする。
水たまりに反射する街灯だったり、水滴だらけの自販機だったり。
でも、今日は一段と冷え込みが強かったせいか、周りには一人も見当たらなかった。
本当に、別の世界に来てしまったんじゃないかって、思うくらいに。
でも、それくらいがちょうどいい。
……。
「もうこのまま、明日になってほしくないなぁ」
そんな事を呟いた瞬間だった。
「ん?」
頭上から聞こえてきた、メキメキ、ともバキバキとも取れるような音に、顔を上げる。
道に沿うように生えていた、大きな街路樹がなんか揺れていた。風もないのに……。
そして、私の脳内でとある一つの決断に辿り着く。
「——っ。え、やば」
次の瞬間、何かが砕けるような音と共に、ゆっくりとその木が、私の方へと傾いてきた。
逃げなくちゃ。頭ではわかっているのに、体がすくんで動かない。
ていうか、足が痺れて、うまく動かせない。
少しずつ視界に迫ってくる黒い影と、滝のように落ちてくる雨粒。
私は、悟った。
詩帆に酷いことした罰が、当たったんだ。
体がぎゅっと縮こまって、目をつぶる。
これが私の人生最後の瞬間。
そして、その最後に思い浮かべていたのは、
「……隼人」
やっぱり、彼のことだった。
………。
……。
「紗季!」
そんな声と同時に、私の体が何かに持ち上げられる。
声にならないような息が、私の喉の奥でひゅっとなると、異様な浮遊感に目を開けた。
視界の先で、倒れていく大きな木と、さらにその奥。胸の前で両手をぎゅっと握りながら、目をつぶるセーラー服姿。
そして、私の後頭部と腰の部分を、ぎゅっと抱える太い腕の感触。
……隼人だ。
それを認識した瞬間。スローモーションだった世界が、元のスピードを取り戻していって。
電線を巻き込みながら、街路樹は、轟音と共に倒れていった。
背中でその衝撃を感じながら、私を抱える彼の、異常な心拍数と呼吸を認識する。
そして、隼人は顔を持ち上げ、グッと歯を食いしばると。
「……お前……今まで何してたんだよ」
あぁ、怒ってる。
詩帆にも迷惑かけたからかな。
それとも、私のせいで隼人が怪我したからかな。
……だけど。
「……紗季が無事で……良かった」
そう言って、私をぎゅっと抱きしめる。
彼だって、痛いはずのその腕で。力強く。
正直、少し力が強くて苦しかった。
でも……。
「……ごめん……ごめんなさい隼人」
自然と涙が溢れて、彼の背中に腕を回す。
苦しかったからこそ、こんなにも、暖かくて、心地が良かった。
私が一人で泣いている時に、いつもこうしてやってくる。
隼人はそんな……。
私の、ヒーローだったね。
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