第25話 『……ばか』
「……」
あれから、家に帰ってきたのはお昼を過ぎた頃。
あまりにも早い帰宅に、きっと母は驚いたのだろう。
随分と早いのね。と驚いたような表情の母に「そういう日もあるよ」と、生返事をし階段を登る。
自分の部屋のドアを開けて入ると、すぐに勢いよく閉め、持っていた荷物を床に手放す。
フラフラと足を引き摺りながら私はベッドへ仰向けに倒れ込んだ。
胸の中に広がる、ドクドクとズキズキ。
やってしまった。と言う罪悪感。
しかし、それを上回った感情があるからこそ、私は今ここにいるわけで、
そして、その感情はきっと。
「……私から隼人を……取らないでよ」
そんな危機感にも似た何かだった。
別に、隼人は私のものでもないし、かといって、正式に付き合っているわけでも、婚約をしているわけでもない。
ただ、強いて言うなら、幼い頃からずっと幼馴染だった。
ずっと、物心着く頃には、隣には隼人の姿があって。
誰にでも優しいけど、私には特別優しくて。
これまでも、そしてこれからも。
ずっと、隣にいて欲しくて、居たくて。
でもだからこそ、こんなにも痛くて。
私の知らないところで、彼がどんどん離れていって、ある日突然その距離が遠いことに気づかされて、なんだか全てを無くしてしまったような、そんな気分だった。
目元を擦り。顔を横に向ける。
ベッドの顔の高さの位置に貼り付けてある、一枚の画用紙。
緑の丘と青い空と、紫の太陽。
私は、そっと指を伸ばし、紫の太陽に人差し指を乗せる。
私には何もない。
でも、そんな何もない私に、価値をつけてくれたのは彼だった。
そしてこの絵は、初めて隼人が褒めてくれた、大切なもの。
……。
「……詩帆も、好きなんだ」
絵から手を離すと、ポロリとそんな言葉が溢れる。
詩帆の意中の男性に対する思いや、思い出はたくさん聞いた。
彼に助けられて、とても嬉しかったこと。頼れるのがいいところ。
ちょっとガサツで、でも、何よりも一番自分を気にかけてくれる彼のことが好きだと。
ずっと、詩帆の惚気話だと思っていた。
でも、ずっと、私たちは同じ人の話をしてたんだ。
同じ人が好きで、その好きな所をお互いに話し合っていた。
気がついてしまえば、思わず恥ずかしくなるような、むず痒さがぶり返す。
でも、だからこそ。
「詩帆に悪いこと……しちゃったなぁ……」
そう考えると、また涙が溢れてくる。
あの時、我慢できていれば。
あの時、詩帆みたいに明るく振る舞えていれば。
あの時……私が先に誘っていれば。
隼人が取られるのは嫌だ。でもそれと同じぐらい、詩帆に嫌われるのも嫌だ。
そうやって、思考を何度もぐるぐるとめぐらせては、よく分からなくなる私だった。
休日が終わり、月曜の朝がやってきた。
あの、休日が終わってしまったという倦怠感と、やるせなさに、思わずあくびが誘われる。
あの後、詩帆さんから連絡が来た。
今日はごめん。と言う内容のものと、紗季に連絡をしたのだが、返信が帰ってこないとのこと。
正直、詩帆さんは全然悪くなくて、むしろ今までその事を伝えなかった、俺に非がある。
だから、せめてもの尻拭いに、俺から紗季に謝罪をすることにした。
詩帆さんと俺の関係の誤解を解いて、もう1回、3人で話せる機会を作れるように。
そして、いつもの通学路、いつもの集合時間。
少し緊張しながら、いつもの黒髪のボブを待つ。
しかし、それから20分ほど待っても紗季の姿はなかった。
きっと彼女のことだから、顔を合わせづらくて先に学校へ行ったのだろう。
そんな期待をこめて、学校へ向かう。
しかし、教室にも紗季の姿はなく、彼女がやってきたのはお昼休みの前のこと。
「紗季、大丈夫か?」
隣の席に腰掛けた、彼女に声をかける。
というのも、目の下のクマや、寝癖がつきっぱなしの姿なんて、初めて見たからだ。
そんなの『謝ろう』という気持ちよりも『心配』の方が先に来てしまうだろう。
しかし、彼女は一瞬ぴくりと肩を振るわせると、
「大丈夫」
とだけ言って、机に突っ伏してしまった。
すぐに華奢な背中が小さく上下し始めたところ見る感じ、きっと眠れてないのだろう。
その後も授業はほとんど上の空だったり、机に突っ伏していたりと、
誰がどう見ても紗季は大丈夫じゃなかった。
だからこそ、自分がしてしまったことへの罪悪感が大きく感じた。
放課後。
「紗季」
フラフラと歩く背中に声をかける。
夕日が傾く通学路、華奢な背中が足を止めた。
彼女は振り向くことなく、返事をする。
「……なに」
「いや……この前はごめん。てか、ずっと黙ってて悪かった」
「……」
「詩帆さんも、すごく心配してたし、また今度3人で……」
だが、次の瞬間だった。
「……また……詩帆なんだ」
紗季がボソリと呟く。
もう時期梅雨に入ろうとしているはずなのに、風は異常に冷たく感じた。
すると、ゆっくりとこちらに振り返った彼女。
だけど、その表情に俺は思わずハッと息を飲む。
「……隼人の、ばか」
そう言った彼女の頬には、涙の筋が引いていた。
悲しいとも、悔しいとも取れるような、そんな顔をしているのに、その口元と目元は少しだけ微笑んでいて、
「紗季……」
思わず俺の手が彼女に伸びる。
だけどそれを、するりと避けるように、一歩後ろに下がると、
「……バイバイ」
そう、踵を返して。
きっと詩帆さんとの関係の誤解を解くには今しかない。
そう、分かっているはずなのに。
—— ね、このまま本当に、付き合っちゃう?
あの日の事がふと頭によぎって、何も言えなくなってしまう俺だった。
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