第23話 『ちょっとだけ甘くて、だいぶ苦い』

「おう、おはよう」


 特に変わりのない、いつもの朝だった。


 いつもの待ち合わせ場所に立つ、綺麗な幼馴染の姿。


 だけど、


「ん。おはよ」


 紗季は、サラサラなボブの毛先を揺らすと、小さく返す。


 少しだけ微笑んだ口元は、何だかいつもより、血色がいいように見えた。


 だからそんな紗季に、違和感を感じた。


「今日は眠くないんだな」


「いつも眠いみたいに言わないでくれる?」


「いや、いつも眠いだろ紗季は」


 そんなふうに短く会話をして、足を進める。


 紗季の歩幅に合わせて歩く通学路。


 梅雨になって、汗をかくようになったからか、以前ほど、彼女から甘い匂いは感じなかった。

 

 それに加えて、何だかいつもよりも距離が遠い気がする。


 ……と、そんなことを考えて歩いているうちに、「あのさ」と紗季が口を開いた。


 彼女の方へと顔を向けると、紗季は一瞬目を泳がしてから、再び視線を合わせる。


 そして、何か言いたげに、口をぱくぱくさせてたと思ったら……。


「……やっぱ何でもない」それだけを言って、顔を背けるようにして、綺麗な頬を髪の毛で隠した。


 不特定多数からしたら、たったそれだけでも、


「おう、そっか」


「うん」


 俺からしたら違和感しかなかった。






「それじゃあ、今説明したところ、質問ある人いるかな〜?」


「はい! ふみちゃん先生は今週の土曜日空いてますか!」


「おいズリぃぞ! ふみちゃん先生! 俺迎えに行くんで一緒に映画行きましょう!」


 例にもなく、ふみちゃん先生こと、篠崎文乃先生に変な質問を飛ばす男子達。


 それに対して、ふみちゃん先生は「もー!」と口を尖らせると、黒板をチョークで突いた。


「受け付けてるのはこっちの質問!」


 すると、女子たちも「そーだ」とか、「男子サイテー」と捲し立てる。


 クラスの中でも人気の女子が椅子を立ち上がると、


「ふみちゃん先生は下品な男子なんかと遊ばないで、私たちと遊ぶから。ね?」


「え……いや、あの……その日は……」


「ん? その日は?」


 シーンと静まり返った教室、そして少しの間の後。


「か……彼氏とデート……なの……」


 一瞬の静寂。そして次の瞬間には、ふみちゃん先生を取り合っていた男子と女子が声を上げる。


 そんな騒がしい教室は、昼休み前の数学の授業。


 どうやら今日もふみちゃん先生は可愛いらしい。


 と、まぁ。今日も教室はこんな雰囲気なのだが……。


「……土曜日……かぁ」


 ふと隣を横目で見てみれば、表情を一切変えない幼馴染みが頬杖をついてため息を吐いた。


 そんな紗季に声をかける。


「土曜日がどうしたんだ?」


「……っ!」


 すると、びくりと肩を震わせてこちらに顔を向けた紗季。


 しかし、その表情に俺は思わず息を呑むと、彼女は半開きの口をキュッと結んでから、口を開く。


「別に、何でもないし……」


 そう言って、再び顔を黒板の方へと向ける。


 赤く染まっていたような頬や、今朝から定まらない視線。


 綺麗な黒髪の向こう側では、今、先がどんな表情をしているのか、


「……そっか、すまん」


 気になるを通り越して、むしろ心配になった。





「……はぁ」


 昼休み。空き教室の机の上に広げたお弁当。


 別に、試しに買ってみた冷凍の唐揚げが、思った以上に不味かったから、ため息を吐いたんじゃない。


 もっと別の、だけど、すごく距離の近い問題。


「なかなか、言い出せないなぁ」


 土曜日、詩穂との約束。


 その条件の一つは、私が隼人を連れてくること。


 だけど、それなのに私はまだ、彼を誘えないでいた。


 理由はよくわからない。でも、何だかこれを機に、幼馴染から関係が変わるかもしれないって考えると。ちょっとだけドキドキして、でもそれ以上に怖い気持ちがあった。

 

 だから、それを意識すると、隼人と顔を合わせられなくなったり、思わす口が止まったり。


 なんていうか、思春期ってものすごく不便だなって思った。


 なんでこうも、精神的に非合理な行動を起こさせるのだろうか。


 頭と胸に広がる。ドキドキとギスギス。


 ちょっとだけ甘くて、だいぶ苦い。


「……とりあえず、まだ3日もあるし、どこかでサラッと誘ってみようかな」


 そう、いつも通り。「どよーび、遊び行こー」みたいなテンションで。


 ……。


 だけど、結局私は隼人を誘えなかった。


 いや、正確には言い出せはしたのだが、それはもう金曜日の夜のことで、流石に隼人にも予定が入ってしまったらしい。


 その日は友人と出かける予定があって、と言う彼に、友達いたんだ。と言う疑問と同じぐらい、なぜか安堵した。


 そして、それを詩帆に伝えた結果、彼女発案の、なんとかダブルデート作戦はなくなり、詩帆の彼氏(仮)を交え、3人で遊ぼうと言う話になった。


 だからより一層、安堵した。


 これで隼人とは何も変わらない。


 そう、心の中で思ったから。


 



 そして、土曜日。


「お待たせ、詩帆」


 最寄りの駅の切符売り場。その近くの壁でスマホを眺めていた彼女に声をかける。


 すると、パッと咲くような笑みを浮かべて彼女は、


「紗季ぃ〜!」


 と、やはりハグをしてきた。


 オフショルダーのトップスから覗いた、詩帆の白い肩から、じんわりとした温もりを感じて、思わずどきりとする。


「はいはい、紗季ニウム紗季ニウム〜」


「え、どうしたの急に? 大丈夫? 話聞こか?」


「えー、そっちこそ急に冷めるじゃん」


「あはは! 冗談だよ、じょーだん!」


 そう言ってもう一度、私の背中に腕を回し大きく呼吸すると、彼女は離れていく。


「今日も可愛いね、紗季♪」


 視界の先で揺れる、綺麗な髪の毛。


 さらりと動いた金色の前髪の奥で、無邪気に細くなる青い瞳に、憧れと、少しの嫉妬を覚えながら、


「……ん。ありがと」


 そう言葉を返したのだった。




 

「でもそっかー、紗季の幼馴染くんは予定が入っちゃったかー」


 私がそう言うと、向かい側に座っていた紗季が、カップから口を離し、静かに頷く。


「まあね」


 その大人っぽい目は一瞬右の方を見て、再び手元のカップへと視線を落とした。


「そっかぁー。残念だったね」


「あー。うん。そうかもね」


 そう呟いて、カップを口元まで運んだ紗季の表情は、どこか安堵しているような、そんな気がした。


 するとその瞬間、私のスマホの通知音が鳴り、すぐに画面を確認する。


「あ、着いたって。なんかここに来るみたい」


「ん。それじゃ、せっかくだし、このままお昼食べちゃう? そっちの方がこの後動きやすいかも」


「うん! そーしよっか!」


 そして、しばらくした後、彼のスニーカーの音が近づいてきた。


 見慣れた黒い髪の毛と、高い背丈。


 面白くて優しい、私のヒーロー。


 そんな彼が、私を視界にとらえると、やや苦笑しながら、足を進める。


 だけど……。


「ごめん詩帆さん。ちょっとバスが……って、は?」


 そんな言葉の途中に、隼人くんの言葉は止まった。


 理由はよく分からないけど、でも彼の視線は紗季の背中に向いていた。


 そして、それに気付いたのだろう。紗季も小首を傾げてからゆっくりと後ろに振り返ると、


「……え? 隼人……」


 そう、彼の名前を呼んだのだった。


 

 

 

 

 



 


 


 

 

 

 






 

 

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