第11話 『あさかつ・おぶ・幼なじみ』

 とある4月の終わり。


 ひんやりとした薄暗い廊下で、視界の先の、大人っぽい切長の目と白い首筋の汗に、目元を擦る。


「ね、隼人」


「ん?」


「ふぁ〜……んっ。眠いね」


「お前はいつもそれだな」


 ……つーかさ。


 そうため息をついて、ふと時計に目を向ける。


 時刻は早朝、6時30分。


「ん? なに? てか、シャワー借りるね」


 そう言って、水色のランニングシューズを脱いだ紗季。


 彼女は「おっじゃっましまーす」と言いながら、すれ違った彼女の汗の匂いに、意識が起き上がる。


 普段違うポニーテールと、汗で透けた白の長袖。


 水色の短いショートパンツから伸びる、黒のタイツに包まれた、肉付きのいい太もも。


「ふっふふ〜ん♪ あ、そーだ」


 脱衣所からヒョイっと顔を出して、ニヤリと微笑む。


「……なんだよ」


「覗いてもいいけど、欲情しないでね?」


「早く入れ」


 俺の返答に、あはは。と軽く笑うと、脱衣所のドアを閉める。

 

 早朝、ひんやりとした空気の6時半。


「……いくらなんでも、早すぎだろ」


 ……まぁ、いつものことだが。


 大きくあくびをして、首を鳴らす。


 ん〜っと大きく伸びをすると、彼女専用の黒のスウェット上下をクローゼットから出し、脱衣所のドアのすぐ横に置いた。


 



 紗季の朝活は、毎週土曜日に行われる。


 早朝5時に起きて、5時半に走り出し、そして1時間ほど走った後に、俺の住むアパートにきてシャワーを浴びる。


 その後は、俺の部屋でゴロゴロして、昼頃に帰宅する。


 そんな週一でやってくる彼女のルーティン。


 まぁ、正直側から見ればそこそこ、迷惑極まりないのだが、元はと言えばこの朝活は、俺がやっていたものだった。


 ……いや、正確には、俺と紗季の二人で続けていたものなのだ。


 遡れば中学生の頃。


 寝坊癖を治したい、という彼女の悩みを聞いたことがきっかけだった。


 その当時は、毎朝5時半に集合して、30分ほど走る。と言うものだったのだが、それを続ければ続けるほど、紗季の方が物足りなくなってきたようで。


 半年が経つころには、5時に走り始めの、6時終了。


 その後に準備をして学校に通う、というのが日課になっていた。


 流石に、中学生がそんな早朝に起きて、挙句運動もしたとなれば、それなりに学業に響くものがあり……。


 「寝坊はしなくなったけど、結局授業は寝ちゃうんだよねー。この前怒られちゃった」と言う新しい悩みをもとに、まずは回数が減り。


 そして、気がつけば『学校初日に疲れ残したくないよねー』と言う名目のもと、土曜日限定になったのだ。


 だけど、その日課も、お互いの高校受験をきっかけに一度自然消滅し、今では紗季だけがランニングを続けている。


 その結果、今度は俺が紗季に起こされる。と言う逆転現象に発展したのだ。


 そのついでにシャワーを浴びていくのはまぁ……幼なじみだからいいとしよう。


 生憎俺はほぼ一人暮らしなわけだし、暇つぶしにはちょうどいい。


 と、そんなことを考えながらフライパンを動かしていると、ドアが開く音が聞こえた。


 視界の先で、スウェット姿になった紗季に、鼻を鳴らす。


「洗濯機借りちゃってるけど、いい?」


「あぁ。構わないぞ。あと少しで朝食できるから、皿の用意頼むわ」


「おぉ〜卵焼き。うん。褒めて遣わす」


「はは。なんだよそれ」


「ふふっ……うそ。ありがと」


 お皿、よーいしとくねー。と棚から取り分け用の小皿を取り出した紗季。


 器用に足でドアを開けると居間の方へと入って行った。


 居間の方から小皿を置く音が聞こえてすぐに、「あっ、そーだ」と彼女の声。


「はーやと」


 ヒョイっと少しだけ開けたドアの隙間から、イタズラな目がこちらを覗く。


「今度はなんだ?」


「うん。私の下着見てもいいけど、フツーのスポブラだから、面白くないかも」


「ふざけんな。つーか、スポブラじゃなくても面白くねーわ」


「あははっ。そっか」


 どこか心地よさそうに笑って、大人っぽい目を、子供っぽく細くする。


 その笑顔に、不意にどきりとして、


「あ、隼人大変」


「あ?」


「いや、ほら……煙」


「は? うわっやべぇ!」


「あははっ! もう……ふふっ」


 思わず卵焼きを焦がしてしまった、なんて事は言えないなって、そう思った。

 

 

 

 








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