第10話 『ミルクスタンド』
「……」
ゴトゴトとお尻に伝わる振動と、扉が開くたびに流れ込む、ひんやりとした空気。
午後7時15分。京浜東北線、大宮行きの電光掲示板。
ある程度東京駅を過ぎる前に降りてしまったためか、すれ違う電車よりも、空いてるような気がした。
でも、だからだろう。
詩帆さんが隣に座っているのにも関わらず、こんなにも静かなことに、なんだかそわそわした。
あの後、ダッシュで電車に乗り込み、蒲田に来たものの、やはり彼女の求めるものは売り切れてしまっていた。
なんでも、開店してから30分ほどで、残っていた3つが売れてしまったのだとか。
レモブのアプリの更新は翌日の朝に行われるため、ものが売れてしまっても在庫微少のままになるらしい。
残念そうな表情を浮かべた詩帆さんに、「申し訳ございません」とスタッフの人も頭を下げていた。
その後に、「やっぱ売り切れかぁ〜。仕方ない仕方ないっ!」、と笑顔を浮かべた彼女だったけど、その唇の端は無理やり持ち上げてるみたいで、なんだか苦しそうだった。
電車に乗って最初のうちは、「あ〜、なんか残念だなぁ〜」と軽い口調で言っていたものの、途中、
「あはは……今日はホントにごめんね」
そう、声のトーンを落として言ってから、詩帆さんはずっとこんな感じだった。
一応、「蒲田まで連れてきたのは俺だから、詩帆さんはなにも悪くないよ」とは言ったものの、彼女なりに罪悪感を感じているらしく、
「そっか……でも、ごめん……」
と、そんな風に、苦しい笑顔を向けるのであった。
電車は神田駅を出発して、すぐに『秋葉原』とアナウンスが流れる。
途中、ビルの隙間から柔らかい橙色にライトアップされた万世橋が見えると、電車はスピードを緩めて、やがて停車した。
開いた扉からひんやりとした空気を感じながら、ホームへと降りる。
時間的に帰宅するサラリーマンが多いせいか、それともまた別の何かなのか、詩帆さんとは、数人分離れて階段を登った。
そして、黄色い電光掲示板が目印の総武線のホームへ。
次の電車は、5分後。きっとついさっき電車が発車したばかりだったのだろう、俺と詩帆さんは、白線の一番先頭に立った。
「……」
アナウンスがあちこちから聞こえているはずなのに、なんか静かに感じる。
……いや、きっここう言うのを世間一般的に、気まずいと言うのだろうか。
そんな静寂に居心地の悪さを感じていると、ふと詩帆さんが小さく呟いた。
「隼人くん。今日は本当に悪いこと、しちゃったね」
「ううん。そんなこと思ってないよ。てか、俺はむしろ楽しかったけど」
「あはは。隼人くん、優しいね……このお詫びは今度するから、また一緒にアキバに来てくれると嬉しいな」
詩帆さんがそう言って、コチラに顔を向ける。
少し震える唇と、無理やり細めた青い瞳。
そして……。
「……あはは、人いっぱい……これは根気強く……」
そう言いながら、開いたドアに向かって、一歩踏み出した。
……だけど。
「待って、詩帆さん」
一歩踏み出した彼女の腕を掴み、列を離れる。
「えっ……」素っ頓狂な声をあげてコチラに綺麗な顔を向ける。
「隼人くん? なんで? 帰らなくていいの?」
そう、不安気な顔半分、驚きの顔半分な彼女の目元は、蛍光灯の白色が水水しく反射していて。
そんな顔してるうちは、帰せない。そう思った。
だけど、流石にそんな事を言えるわけもなく、俺は少し考えてから鼻を鳴らし、
「腹減ったから、何か食べよっか」
と彼女に言葉をかけると、その手を引き始める。
そして、発車する電車に背を向けるように歩き出した先は、
「ここさ、意外と美味しいものあるんだよね」
ガラスのショーケースに入った、懐かしのビン牛乳と、上から垂れ下がる、菓子パンのメニュー表。
白いタイルに青いカタカナで店名が書かれたそこは、ある意味総武線の顔と言ってもいいだろう。
忙しいサラリーマンの味方にして、電車の待ち時間を少しだけ思い出深くしてくれるそこは……。
「ミルク……スタンド」
「そう。詩帆さんはここで何か買ったことある?」
「ううん。いつも気にはなってるんだけど、買ったことはないかなぁ」
「そっか、それじゃ、今日が初ミルクスタンドだね」
そう彼女に告げると、ガラスケースの向こう側のおばちゃんに、いつも頼んでいる、牛乳とあんぱんを注文する。
「詩帆さんはなに飲む?」
きっと彼女からすればその言葉は、ある意味反応しずらいものだと思う。
何か言葉を探すように「えーっと、あの……」と息を吐いてから、
「……フルーツ牛乳、1つ……」
そう言った。
お金をおばちゃんに支払うと、指定された瓶の蓋を開け、カウンターへ置く。
お互いに注文したものを持つと、少し横にずれた。
「それじゃ、いただきます」
そう呟いて、あんぱんの包装を開けて、かぶりつく。
どこのスーパーでも売っていそうなあんぱんなのだが、なぜかここで食べるものは格別なものに感じられた。
それを牛乳で流し込むと、俺は詩帆さんの方へと目を向ける。
「飲まないの?」
しかし、
「……なんで隼人くんはさ、私に良くしてくれるの?」
彼女から返ってきた言葉は、今、俺が投げかけてものとは的外れで。
そのまま詩帆さんは続ける。
「私、急に呼び出した上に、結局なにも買えなくて……隼人くんの時間も、お金も無駄にしちゃったのに……」
詩帆さんは一呼吸すると、瓶を握る両手に視線を落とし、きゅっとする。
「だから、どうやって返したらいいのか……わからないよ」
……。
「無駄になんかしてないよ」
俺の言葉に、ピクリと肩を震わせた詩帆さん。
「さっきも言ったけどさ。俺、今日は本当に楽しかったよ」
「……え?」
ゆっくりと顔を上げ、綺麗な前髪の奥で、青い瞳が小さく揺れる。
そんな彼女に言葉を続ける。
「詩帆さんと一緒にアキバ来て、一緒に好きなもの探して。電車に乗ってちょっと遠出もしてさ。なんか冒険してるみたいで、すごく楽しかった」
「でも、急に呼び出して……」
「逆だよ。急に呼び出されなかったら、いつも通りあのまま帰ってた。だから、今日はいつもと違う……ほら、友達からいつもと違うジャンルのラノベ勧められて、面白かった……みたいな?」
まぁ、詰まるところさ。そこで一息ついて。
「今日はありがとう、詩帆さん。すげぇ楽しかった」
そう、彼女に微笑みかけた。
一瞬の沈黙の後。
「……ふふっ。そっかぁ」
小さく微笑むと、詩帆さんも瓶をグイッと煽る。
コクコクと白い首を鳴らし、一気にフルーツ牛乳を飲み切った。
瓶から口を離し、袖で口元を拭うと、
「ありがと、隼人くん」
そう、やんわりとした笑みを浮かべた。
そんな彼女に、思わずどきりとして、誤魔化すようにあんぱんを早口で咀嚼する。そして牛乳を飲み切った俺は、
「……それじゃ、帰ろっか」
「……うんっ!」
ごちそうさまでした。そういい言いながら、瓶をおばちゃんに返却した俺たちは、再びホームの先頭へ。
電車の待ち時間の、途中。
「また一緒に来ようね、アキバ」
「うん。俺はいつでも大丈夫だから、楽しみにしてる」
「あはは。ありがと♪」
そうやって白い歯を見せる笑い方は、詩帆さんによく似合ってるなって、そう思った。
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