第11話 それから。
「結衣子さん、行ってらっしゃい」
通勤用の服に着替えると、ミノが手を伸ばしながら言ってきた。
「は、はいっ、行ってきます!」
それに応えるように、私はハグを返す。
恥ずかしながら、アラフィフ楠木結衣子、植物男子に溺愛されておりますっ。
最近はエスカレートしてきて、頬に口付けしてくる始末。
でもこうされると、本当に充電されて朝から元気が出るのだ。
「おーい、お二人さん。僕の前でいちゃつくのはやめてくれないかな?」
そして私の新しい旦那様、
航くんはノンセクシャルのため、他人と抱きしめる以上のことができない。
そのため、私と夫婦にはなったが、一緒のベッドで寝ることはあっても、航くんが私を抱くことはない。
私としてもそちらの方が都合が良かった。だから航くんを受け入れられた。
しかし、一方のミノは隙あらばいろんなところに口付けしようとしてくる。
「でも、今晩はお二人の時間なので……。今のうちに結衣子さんをたくさん感じておかないと俺が持ちません」
ちょ……っと、ミノは表現がオオゲサすぎるところもあるけど。
航くんは、そんな私たちを見て嫉妬しないのかな?と思ったけれど、実はあるシステムを採用したため、お互い夜まで黙認しているらしいのだ。
そのシステムというのが──。
◇
夜、私と航くんは、新しく購入したセミダブルベッドで寝ている。
ここは、娘の依が使っていた部屋だ。依に許可をもらい寝室にさせてもらった。
ミノは、隣の主寝室にいてもらっている。
そう、ミノを動かさなくてもいいように「寝室を二つ用意」したのだ。
今日は私と航くんが一緒に寝る日。
明日は、私が主寝室で寝てミノに癒しをもらう日。
そしてその次は、主寝室でミノを挟んで三人で寝る日。
主寝室にはシングルベッドを二つ置いて、ミノを挟むように置いている。そうすることによって、私も航くんも寝ている間にミノの癒しの力を得ることができる。
その説明を受けた時、私はさすがに驚愕した──。
「ちょっと待って。それだと、私が二股かけてる女みたいになっちゃうんだけど!?」
「大丈夫です。俺と航さんの利害は一致しているんで」
「それに、ミノは植物だから浮気になりませんよ」
えっ、納得してないの、私だけ!?
──という風に航くんとミノに押された時は、どうなることかと思ったけど……。
たまにこうして誰かの温もりを感じながら寝るのも、悪くないなぁと思い始めている。
布団の中で、航くんとくの字に並んで、背中からそっと抱きしめられる。
これだけで、充分愛情を感じられた。
「せんぱ……結衣子」
「なに?」
「僕は昔、異性を抱きしめることもできなかったんだ」
「そうなんだ……」
航くんは、結婚してから呼び捨て、タメ口になった。
「だから、結衣子が初めて」
「そ、そうなん……だ……」
は、恥ずかしいーー!
まさかこの歳になって「初めて」とか聞くとは思わなかったわよ。
でも航くんは、きっと私をからかおうとか、ドキドキさせようとか、そういう風には思っていなくて、事実を言っただけなんだろうな。
そういえば、航くんと結婚してから、部長のお誘いがなくなったのは良かった。
さすがに既婚者を誘うという考えはなかったようだ。
そのことを航くんに伝えると、
「それは良かった。実は、ちょっと嫌だったんだ。
ノンセクシャルの航くんは、そういうことにとても敏感だった。まったくの他人なら割り切れるけど、親しい人物の性的な話題はNGらしいのだ。
それなら、私とミノが一緒の寝室にいることはいいのだろうか? と思っていると、私の心を見透かしたように言った。
「でも、ミノはいいんだ。二人で話し合って、お互い出来ないことを補おうって。それに、結衣子はミノが好きだろう?」
そう言われて、少し心が痛んだ。
だって、本来大切にしなければいけないのは、旦那様である航くんの方なのに。
「僕はミノの存在に感謝してるよ。だって、もし結衣子が僕を求めてきたって、僕はそれに応えられない。他の男なら許せないけど、ミノなら許せるよ」
ああ、私、こんなに想われていいのでしょうか?
なんだか感激してしまって、少し涙が出た。
年齢のせいで涙脆くなってるみたい。
やがて、頭の後ろからスースーと寝息が聞こえてくる。
航くんが眠ると、私は向きを変えてその胸に顔をうずめて眠った。
◇
次の日の夜は私とミノが主寝室で寝る番だ。
と言っても、ミノは布団で寝ることができないので、隣にいるだけなんだけど。
でも最近は、布団に入るまでの時間が大変で……。
私がベッドに横になってしまうと、ミノは私に対して頭を撫でるとか、手をつなぐくらいしかできなくなってしまう。なので、航くんに対抗しているのか溺愛っぷりがヒートアップしているのだ。つまり、航くんにできないことまでやろうとする。
「待って、ミノ……!」
「待ちません」
「んっ……」
キスを許してしまった。
植物といっても、足元以外は人間とまったく変わらない。
一体、どういう構造をしているのか。
唯一違うのは、吐息から花の香りがすることだろうか。
まるで媚薬のように、体の髄まで浸透していくようだった。
私はミノが好きだ。その気持ちに偽りはない。
でも、やっぱり心のどこかで深い関係になってしまうのを恐れている。
だから、気を許した隙に服の中に手を入れられても……受け入れられずに離れてしまうのだった。
「結衣子さんの嫌がることをしてしまうなんて、俺は人型植物失格です……」
「ミノ。私、ミノのこと好きよ」
「わかってます。でも、俺は人間じゃないから……。おかしいですね、開花した頃は、結衣子さんが望まなければ枯れてしまってもいいとさえ思っていたのに。今は結衣子さんと離れたくありません」
ミノから不安が伝わってくる。
もっとミノとの時間を作らなければ、本当に
不安を和らげようと再び近づくと、力強く腕を引っ張られ引き寄せられた。
そしてまた軽めのキスをされる。
「隙ありですね」
「もうっ!」
「演技だったの?」と問うと、ミノは「不安なのは本当ですよ」と答えた。
「ミノ……。私、あなたとの時間をもっと作れるように考えてみるわね」
「ありがとうございます」
私が眠るまでは枕元の明かりをつけて、ミノは優しく頭を撫でてくれる。
「おやすみなさい、結衣子さん」
ミノの低く優しい声で、私はいつも安心して眠れるのだった。
◇
奇妙な新婚生活にも慣れてきた頃、娘の
なんだかんだ忙しくて、電話でしか結婚の報告をしていなかったため、依とは今日が初対面となる。
しかし、今日も業務の量は目まぐるしく、定時で帰れそうになかった。
幸い、依は家の鍵を持っているので、家に入っていてもいいと伝えてある。それに航くんは定時過ぎで上がれるはずだ。
でも、何か大切なことを忘れている気がする……。
なんだったかな? と思っていると、業務中なのに珍しく依からの電話が鳴った。
何事だろうとスマホを取って廊下に出ると、スピーカーの向こうからけたたましい声がした。
「お母さん! お父さんに似た派手な人が家にいるんだけど!?」
しまった! 依にミノのことを説明するの忘れてた!
さすがに不審者と思ったらしく、私は家に帰ってからたっぷりと依に叱られたのであった……。
だけど、叱られながらも思う。
旦那様の航くん、人型植物のミノ、娘の依、そして私。
四人でこうやって同じ空間にいて、
私、今、幸せだなって。
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