第10話 契約結婚

「ミノを返す前に、お話があります」

「なんでしょう?」


 週末、私は郡山くんの家に来ていた。ミノを返してもらうためだ。

 独身男性の部屋らしく、ワンルームにキッチンという簡素な部屋だった。

 その部屋に置かれた、これまた簡素な折りたたみ式のテーブルに、私たちは向かい合って正座で座っていた。


「先輩は、ミノのことが好きなんですか? それとも、ミノの癒しの力が欲しいんですか?」

「それは……」


 正直、好きかどうかと問われると自信がない。

 でも癒しの力だけ欲しいかと言われると、そうでもない。

 ただ、ミノにそばにいてほしい。

 この数日、寂しくて心が凍えそうだった。

 仕事が忙しかったから、そちらに集中してこの一週間なんとか持ち堪えられた。

 私は、その気持ちをまっすぐに郡山くんと、その後ろにいるミノに伝えた。


「結衣子さん……」


 ミノは、嬉しそうに微笑んだ。


「先輩の気持ちはわかりました。でも、ミノの主人は僕でもあります」

「わかってるわ」


 すんなり返してくれないところをみると、やっぱり郡山くんもミノの力が欲しいのね……。

 わかる、わかるわ。この年齢になると、月曜日が辛いものね……。

 

「でもそうすると、毎週交代でミノを連れて帰ることになるのかしら……?」


 それも大変だけど……。


「そんな面倒なことしなくても、いい方法がありますよ」

「えっ?」

「先輩」


 郡山くんは、テーブルに置いていた私の手の上に、自分の手を重ねてきた。


「結婚しましょう」

「え…………?」


 唐突な申し出に、私は目を丸くした。


「えええええええええっ!?」


 私とミノは、同時に叫んだ。

 告白すっ飛ばしてプロポーズ!?

 待って待って待って、ちょっと待ってー!

 結婚!? 私と郡山くんが!?


「別に結婚までする必要はないんじゃない? 同棲とか、いろいろ方法は……」

「でも僕は、先輩が好きです」


 くあああぁぁっ!

 そんな、子犬のような目で見つめないでー!


「そうだ、ミノは? ミノの意見を聞きたいわ」

「俺の主人はお二人なので……。お二人の意思に従いますが……」


 ミノが少し言い淀んだ。


「ん? いいのよ、ミノの率直な意見を聞かせて」

「できれば、お二人のそばにいたいです」


 くうううぅぅっ!

 まさか50代のオジサンをかわいいと思ってしまうとは!

 これには郡山くんも心を撃ち抜かれたようだ。


「でも俺は、やっぱりお二人の意思に従うしかないので……」

「そんなこと言って。先輩、聞いてくださいよ。こいつ、毎日ずーーっと“結衣子さん結衣子さん”って言ってたんですよ?」

「航さん! それは言わない約束でしょう?」


 ミノは顔を真っ赤にして怒っている。

 この数日で、二人はすっかり打ち解けあったみたいだ。

 しかし、結婚するか否か、結局は私の返事にかかっているようだ。


「ごめん、ちょっとまとめさせて」


 頭を抱えて、情報を整理した。

 郡山くんは、私のことが好きだから結婚したい、そしてミノの力も欲しい。

 私は、ミノにそばにいてほしい。結婚は特に必要と感じない。


「うーん……。私は、結婚にメリットを感じないわ。郡山くんだけが得をしてる気がする」

「わかりました。契約結婚でかまいませんよ」

「契約結婚……?」

「平日は、僕が家事をします」

「ノった!!」


 しまった、あまりの魅力に諸手を挙げてしまった。

 他にもいろいろと問題はあるでしょうに……。

 いろんな変更手続きとか、それに……だ、男女の関係になってしまうこととかっ。


「結婚しても夫婦別姓でかまいませんし、差し支えなければ、先輩の家に住まわせてもらっていいですか?」

「それは、娘と相談ね」


 私の家は夫が亡くなってから引っ越した賃貸で、2LDKの広さ。

 娘の部屋はそのままになっているから、使わせてもらえるかどうか、結婚報告と共に相談しなければならない。


「あ、あと、大事なことだと思うから言わせてもらうけどっ」

「なんでしょう?」

「私、身体からだの関係とかは、もう……。年齢も年齢だし、無理、というか……」


 恥ずかしいけど、こういうことは最初からきちんと言っておかないと……!


「ああ。そういうことですか」


 郡山くんは微笑んで、私の隣に来て頬を包むように撫でた。

 待って待って待って。ミノの前でこういうシチュエーションは困る……!

 ミノの方をチラリと見ると、手で目を覆って顔を背けていた。

 見ないふり!? 止めてくれないんだ?

 ちょっとショックもあったけど、そうだよね、ミノは主人の言うこと絶対だもんね。


「大丈夫です。先輩は、今でも魅力的な人ですよ」


 そう言ってくれて本当に嬉しい。でも、それを聞いたミノの反応が気になってしまって、つい目をそらしてしまう。

 ミノが、目を覆いながらうんうん頷いている。なんか、かわいい。


「──と、言いたいところなんですが」

 

 極限まで顔が近づいて、郡山くんは止まった。

 ……ん?


「僕、実はノンセクシャルなんですよね」

「ノンセクシャル……?」


 って、なんだっけ……?



 ノンセクシャルとは。

 他人に対して恋愛感情は抱くが、性的欲求がない人のこと。


 私と郡山くんはミノを背にして座り、スマホの画面を開いて説明してくれた。

 うん、これならミノも見られるし、わかりやすいわね。


「そうなんだ……。そういう人もいるのね」

「はい、なのでその問題はクリアーかと。あ、先輩が魅力的な人なのは本当ですよ。人間として、ね」


 郡山くんは、私の肩まである髪に触れて言った。


「だから、ミノと僕は似てるのかなと思ったんですが……。ちょっと違うみたいですね」

「俺は、結衣子さんが望めばどんなことでも」

「わああああ、望まない望まない!」

「僕は、もし先輩が望んでもそういうことはできません。僕がずっと独身なのは、そういった理由もありまして」


 なんとなく、郡山くんの表情が寂しそうで、思わずギュッと抱きしめてしまった。

 ミノと一緒に。


「あ、あっ、ごめん! こういうのは好きじゃないんだよね!?」


 ついさっき、性的なことは望んでいないって言っていたばかりなのに!

 慌てて郡山くんから離れた。


「すみません、俺も。航さんが辛そうに見えたので」

「あ、いや……。僕は抱きしめるのは大丈夫です。でも、そうか僕は……辛かったんだな……」


 郡山くんは、独り言のようにポツリと言った。

 きっと、今まで

 私だって、もっと若くて子どももいなかったら、郡山くんを受け入れられなかったかもしれない。そう思うと、郡山くんはどれだけ孤独を感じていたのだろうと、思わずにはいられなかった。

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