第8話 植物男子の存在意義(郡山視点)

 僕は……。


 僕は……。


 僕は、一体何をやっているんだ!?


 見た目50代のおっさん植物を抱えて!

 好きな人の家から逃げるように出てきて!

 得体の知れないこいつを助手席に座らせて!


 本当に、何をやっているんだ?

 だけどこいつを、ミノを一刻も早く先輩から引き離したかった。

 追いかけてくるかと思ったが、その様子もないようだ。


 運転席に滑り込むように乗り、少し乱暴に車のドアを閉めた。

 出発しようとするが、どこへ行こうと言うのだろうか?

 自分の家に連れ帰る? はっ、バカバカしい。

 誰が好き好んでこんなやつを──。

 頭痛がしそうで、こめかみを押さえた。


 自分がこんなに嫌な人間だったなんて。

 ハンドルに手を置き、大きくため息をついた。


わたるさん」

「気安く呼ぶんじゃない」


 低く、耳に心地よい声で呼ばれて、驚きと苛立ちが胸の内で渦巻いた。


「では、なんとお呼びすれば?」

「そうだなぁ……。航?」

「わかりました、航さま」


 AIかよ……と突っ込みたくなるほどに、ミノは従順だった。


「冗談だよ。航さんでいい」

「わかりました」


 並んで座って、しばらく黙っていたら、ポツポツと雨が降ってきた。


 先輩が家に誘ってくれた時は、舞い上がるほど嬉しかった。

 でも、期待は思っていたのと違った。

 僕はこの共同プロジェクトを、先輩との子育てのように思っていた。

 しかし、生まれてきたのは子どもどころか、いい歳した……50代のおっさんだった。

 よりにもよって、先輩の亡くなった旦那さんに似ているとは。

 きっと先輩は、ミノに惹かれているに違いない。植物の証である足元は見せてもらったが、それ以外は見た目人間なのだ。それに、男の僕が見てもミノの見目はいい方だった。

 加えて性格も良く従順だなんて、惹かれない方がおかしいくらいだ。


「……ミノはさ。先輩のこと、どう思っているんだ?」

「先輩? 結衣子さんのことですか?」

「そうだよっ」


 こいつ……。僕でさえ名前呼びなんてしたことないのに。


「主人として敬愛しています。もちろん航さん、あなたのこともです」

「えっ……?」


 意外な返答に、僕は目を瞬かせた。

 

「もしかして、僕もミノの主人になるのか?」

「はい。メインマスターは結衣子さんですが」

「それなら……。僕が先輩を好きでも、ミノは応援してくれるか?」

「それはかまいません」


 ミノが朗らかに言ったので、ホッとしたのも束の間。

 急に真剣な表情になった。


「ですが。俺の存在意義は、結衣子さんを癒すことです。それだけは、絶対に航さんにも譲れません」

「癒すって……」

「結衣子さんに触れます。抱きしめます。許可が出ればそれ以上のことも」


 冗談だと思いたかったが、おそらくミノは嘘をつくようなタイプではない。

 宣戦布告をされたようで、嫌な汗が流れた。

 先ほどから降っていた雨は、強くなる一方だった。


 やはり、ミノは危険な存在だ。

 このまま家に持って帰ってしばらく僕が預かろうと、車のキーを回した。





 週明け、僕の身体からだはとても調子が良かった。

 月曜日なんて、いつもなかなかやる気のエンジンがかからないのに、足どりは軽く、頭はすっきりと冴えていた。

 ミノの癒しの力って、これかぁーー! と僕はその力を認めざるを得なかった。


 なんとなく、楠木先輩と顔を合わせるのが気まずくて、書類は部下に持って行かせていたが……。やはり気になってしまい、手が空いた時にこっそりと、広告宣伝部の扉の外から覗いてしまった。

 今は、デスクに向かって作業をしているようだ。遠い上に後ろ姿で、状態まではよくわからない。


「課長、入らないんですかぁ?」

「うわっ!?」


 三島みしまさんが、いきなり後ろから声をかけてきた。


「ガラスに張り付いてるヤモリみたいになってましたよ?」

「えっ!?」

「ふふっ、冗談ですけど。主任チーフが気になるんですかぁ?」

「上司をからかうんじゃありません。これ、楠木さんに渡しておいてください」


 書類口実を持ってきておいて良かった。

 ニヤニヤしている三島さんに、咳払いしながら書類を渡す。


「もしかして、喧嘩でもしてるんですか?」

「そういうわけでは……どうしてですか?」

「だって主任、元気がないんですよ。この世の終わりみたいな顔して」


 そう言って、三島さんは広告宣伝部へ入って行った。


 ええええぇぇ。

 そこまで落ち込んでいるのか?

 僕がミノを預かってしまったせいで?


 仕事が山ほどあるのに、僕はデスクで考え込んでしまっていた。

 確かに、元々は先輩のものなのに、僕が先輩からミノの力を奪ってしまい元気がないのでは本末転倒だ。


「この世の終わり……か」


 僕は、その顔を一度だけ見たことがある。

 十三年前、先輩の旦那さんが事故で亡くなった時だ。

 あの時先輩は、病院から連絡を受けて会社を飛び出すように出て行った。

 先輩は、あの時と同じ気持ちでいるのだろうか?


 僕は……先輩を苦しめているのか?

 思わず、拳に力が入る。


 僕にとってミノはもう恋敵だ。

 しかし、ここ数日一緒に暮らしてみて、ミノはいいやつだと理解した。

 先輩のことを一番に考えている。

 ここで問題なのは、もしかしたら先輩が、ミノの癒しの力に取り憑かれていないだろうかと言うことだ。そうなると、先輩の元へ簡単に返すわけにはいかない。

 もう少し様子をみようと、ミノを預かったままさらに数日が過ぎた。



「失礼しますっ!」


 販売促進部に、楠木先輩が意を決したような顔で入ってきた。


「郡山課長! 例のもの、返してくださいっ!」


 周りの目も気にせず、先輩は僕のデスクを叩いてそう言った。

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