匣の中

神崎あきら

第1話

 暗闇の中、突如明かりが灯る。

 狭い匣に閉じ込められた三人は同時に天井を見上げた。非常灯の青白い光は弱々しく心細いが、無いよりましだ。三人は初めてお互いの顔を認識した。


 今、緊急停止したマンションのエレベーターの中に閉じ込められている。自室に帰るために偶然乗り合わせた面々だ。エレベーターに乗ってボタンを押せば、目的階へ運ばれて扉が開き部屋に帰れる。そんな当たり前の日常が破綻した瞬間だった。


 オフィスカジュアルの女性会社員、詰襟の学生服の男子高校生、ランドセルを背負った小学生男子。大きなマンションだ。これまでにすれ違っていたかもしれないが、互いに面識はなかった。


「地震か火事でもあったのかな」

 高校生の若槻いわつき 智志さとしがポケットからスマートフォンを取り出し、インターネットに接続を試みる。しかし、瞬時に接続エラーのメッセージが出て落胆する。エレベーター内は圏外だ。

「電話も無理みたい」

 会社員の橋本 和奏わかなも電話をかけようとして、反応がないため諦めた。前田 陸人りくとはランドセルの肩ベルトを両手で握り締め、不安げな表情で周囲を見回している。


「大丈夫よ、緊急時はエレベーターの管理会社が異常を察知してくれるはず」

 和奏はエレベーター内で一番年長だ。自分が落ち着いていなければ小学生が怖がるだろう、と不安な気持ちを見せないよう振る舞う。

「ここに非常用ボタンがあるよ」

 智志がドア横のパネルにある赤色のボタンに注目する。非常時に連続して押してください、と書いてある。


「こういうの、押したことないわ」

「でも、きっと今がそのときだよ」

 そのうち動き出すだろう、とたかを括っていた和奏は智志の言葉に尻込みする。騒ぎを大きくしたくない、というのが本心だった。

 陸人もボタンを見上げて二人のうちどちらかがボタンを押すことを期待している。


「わかったわ」

 和奏は意を決して非常用ボタンを押した。三人は固唾を呑んでパネルを見守るが、変化はない。

「ぼくが押すよ」

 智志がボタンを親指で力一杯押す。やはり、何も起きない。智志はボタンを連打し始める。三人は固唾の呑んでパネルを見守る。やはり、何の反応もなかった。


「ここに閉じ込められたままになったらどうしよう」

 陸人は不安げな顔でしゃがみ込む。小学校高学年のやんちゃそうな子だが、他人と一緒にこんな狭い場所に閉じ込められたら不安にかられるのは当然だ。陸人が呟いたのは、和奏も智志も、口にしたくない言葉だった。


「エレベーターはマンションの住人が使うものよ。長時間止まったままなら誰かが連絡してくれるわ」

 和奏は不安を紛らわせるよう、努めて明るい声を出す。停止してから三十分も経っていないはずだが、半日もここにいるような気分だ。

 ちょうどスーパーで買い物をした帰りだ、和奏はビニール袋の中身を確かめる。ミネラルウォーターに、チキンサラダ、それに豆腐。ああ、こんなときにダイエットなんてするんじゃなかった、と小さく溜息をつく。


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