第7話 八か月後 決意ととっておき

「うがァァァァ――ッ!! ふざけんなァーーーッッ!!」


 あれから八か月が過ぎようとしている今。

 ぼくは相変わらず全力疾走していた。


 あの灰茶色の大きな犬。

 手記を見返したら『ガルム』という魔獣まじゅーらしい。

 そして崖下では見かけることが困難なほどに『弱い』とも書かれていた。


 うるさぁぁぁぁい!

 こっちはそんな相手でも命懸けなんだ!


 でも、そうすると納得できる部分がある。

 きっとガルムあいつはぼくの匂いを覚えてるってことだ。

 なぜなら……この崖下で自分が捕食できる貴重なエサだから。


「いつまでも……やられてばっかりだと思うなァ――ッ!!」


 ぼくは振り向きざまに剣を横に薙ぐ。

 ――でも、相手はその体に似合わぬ身軽さで飛び越え、その歪な爪で弧を描いた。


「いつっ……ぐぅ――ッ!!」


 左腕に刻まれる四本の爪跡。さらに唾液に塗れた牙を剥き出しに迫る。

 ぼくは咄嗟に剣で受けながら後ろに転がっていく。


 必死で立ち上がり相手と向き合った時に気が付いた。

 ガルムの口から漏れ出る魔力に。


「ヤ――バイッ!!」


 ぼくが全力の横っ飛びでその場から退避すると、直後にガルムの口から放たれた土色の魔力が地面を爆ぜさせた。

 直撃を受けたらぼくの体も同じように爆発することが想像できる。


「うわああぁぁぁぁぁ――ッ!!」


 ぼくは手に持っていた剣を思いっきり投げつけると同時に、その足に力の全てを込めて地面を蹴り――


 ガルムから逃げ出した。



 ぼくはナワバリへ戻ると、全身から力が抜けたようにお尻を地に落とす。

 薄々感じていたことだけど、はっきり分かった。


 崖登り。木登り。魚獲り。岩を砕く。

 落ちて来たばかりのぼくでは考えられないほどに器用にこなすようになったと思う。

 愚直だけど、毎日欠かさずずっと振り回していた剣も、ふわふわした軌道から滑らかな線になってることもうれしい。


 大爪おおづめの爪に見立てて逆手に持った剣で上から奇襲する練習。

 三本角さんぼんづのの角に見立てて、一直線に突き刺す練習。

 そして両者に共通する獣特有のしなやかな動きを真似する練習。


 ひとにはもっと適している練習があるんだろうけど、今のぼくが学べる相手は獣しかいない以上、吸収できるものは貪欲に吸収するべきだ。

 もともと才能なんてこれっぽっちもないんだから。


 でも、明確に足りないモノがある。才能も必要ない。

 それは……『覚悟』だ。


 ぼくはガルムと向き合った時でも、逃げ切ることを前提に動いている。

 だから踏み込みが浅いし、相手を怯ませるような殺気を向けることもできない。


 村に帰ることが目的な以上、完全な間違いではないと思う。

 でも……それだけじゃダメなんだ。


 相手がぼくの前に立ち塞がるというのなら、それ相応の覚悟を以って、相手を倒さなければいけない。

 それこそぼくの命を賭けて。

 あと……狙われ続けるって悔しいからね。


 崖上の町や村なら生きるための対価としてお金コバルを使うことができる。お金コバルじゃなくても物々交換だっていい。


 でも、この崖下では生きるための対価として命を使わなければいけないんだ。

 差し出す気なんて……ないけど。


 そう考えたら。

 手の震えが止まらなくなった。


 怖い――


 落ちて来た頃はあんなに簡単に諦めることができたのに。


 怖い――

 

 だから、気が付いた。

 大爪おおづめ三本角さんぼんづのが誇り高く感じる理由に。

 安全な所で練習だけしているぼくが、あの二匹の真似をできるはずがなかったんだ。


 強くなったら挑む――なんて、相手が待ってくれるわけがない。

 だから……命を燃やすんだ。


 そんな眩い輝きだから、あの二匹はぼくの目に偉大に映るんだ。

 ぼくは本当の意味で『命懸け』という言葉を使っていなかったんだ。

 命を懸けて事を成す。ただの自殺に使う言葉なんかじゃなかったんだ。


 できれば綺麗なお姉さんとの恋に燃やしたい……

 いや……その夢を叶えるためにも。

 ぼくは生き延びるんだ。

 最初の決意より生きる気力が強くなった気がする。


 だから後は簡単だった。

 まがりなりにも不器用ながらも、ずっと剣の腕は磨いていたんだから。


 ぼくが覚悟を以って、ガルムあいつと向き合うだけだ。

 どちらかの灯が消えるまで。


 ぼくは確保していた剣をありったけ腰に差し、折れた剣を左手に、残った右手に『とっておき』の短剣を握りしめた。

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