第1話⑷
この時期にしては珍しく、塔までの道のりに雪が積もっていないのは幸いであった。
例年では膝下辺りまでは雪が積もる。
この環境に慣れている村人ならともかく、他所からくる旅人や外交官などにとっては、歩きにくいことこの上ない。しかし、それでも除雪はめったにされない。その理由は、"危険な魔物が潜む森に囲まれていること"や"村周辺の作物の生産環境"が良いことが関係している。
魔物の森については、"森に入ったら最期"と、学校で教えられるほど危険な場所である。実際その危険度は、歴戦の勇士だって、……いや、歴戦の勇士ほど森に入ることを拒むほどだ。
生産環境については、これは一般に"ギルディアの加護"とよばれる力があるためといわれている。"ギルディアの加護"がどういうものなのかは学校でも習うことがなく、よくわからないのだが……。この加護によって、作物がよく育つらしい。もしかしたら、民が作ったある種の信仰……"思い込み"なのかもしれない。
ともあれこれらの理由により、ギルディアは昔から村の周辺だけである程度自立ができている。
そのため、森向こうの国々と接触することがそもそも考えられていない。
魔物の森にしかない植物を採取するなど、研究目的やその他特別な理由を除いては、村から離れること必要ない。よって、除雪して道を整える必要もないのである。
俺は広い平野を少し速足で歩いていた。
今頃、門番を務めていた王家の職員には桐野から連絡が行っているのではないか。しかしそれでも追手が来ないことを考えると、案の定、諦められたのだろう。
いくら能力者とはいえ、『アザレア』戦闘部総長の息子とはいえ、たった一人で森の近くにある塔まで行けるとは思えないことが、一つの理由。
それに、ある意味で自殺をしに行った子供を一人救うため、『アザレア』が人を割くことはしない、というのが二つ目の理由だろうか。
俺自身、それについてはわかっていたことだし覚悟もしていたから、ここまでくれば桐野や他の追手もこないと、愚かにも安堵した。
一方、魔物が住む平野に一人という状況に不安も感じていた。自業自得なのだが。
しかし、驚いた。
雪が積もっていない平野にて自分という食料がのんびり歩いているところを襲う魔物が居ないのだから。3匹くらい相手にしなければ平野を乗り越えることができないだろう予想していたのだが、なんだか拍子抜けである。
だが、気配が全くないというわけでもなく、いくつか視線を感じる。魔物たちは草蔭に身を潜めながら何かに怯えている、または警戒しているという感じがした。
『アザレア』の戦闘部隊が通った後だからであろうか。いや、それなら魔物の死骸の一つ二つがこの辺になければ不自然である。『アザレア』は魔物退治の専門家であり、村を守るための組織なのだから。
いったい、なんだろう。
この状況……人間生活で例えるなら、危険な能力者が町の中心で騒ぎを起こして、それを聞いた隣町の住民らが害を被らなように家の中で騒がず、警戒している、そんな感じだろうか。
「ひ、ひあああああっ!」
その時、叫び声が聞こえた。
声が聞こえた方向へ視線を投げると、そこには人がいた。
叫びながらこちらへ向かってくる。
黒っぽい服をきた背の高い女性……、いや男性だ。声音が中性的であったし、髪の毛も肩につくほどの長さであるから、遠くから見た感じだと女性に見えた。
そんな彼を追いかけているのは、まだ狩りの仕方も、鋭い牙も持たない無害な仔魔物。
どうやら親から離れてこの平野で遊んでいたところ、動く人間を見つけて遊び半分で追いかけているらしい。
この頃の魔物は、殆どが人を襲わない。
マニアの間では愛玩動物としても飼育されることもあるという。尤も、魔物による被害が多くあるギルディアの民にとっては、たとえ無害であっても魔物は敵とされるため、愛玩動物にするという文化は受け入れられず、見つけ次第殺してしまうのだが……。
そんな仔魔物を恐れ、逃げまどっている彼は、あまり魔物に詳しくないらしい。
俺との距離がある程度近づくと、彼は俺の存在に気が付いた。
「あっ……、あの!そこな少年!どうか助けてくださいぃぃ!なんか、急に、追われているんですう!」
そう叫びながら、俺のもとまで一目散にかけてきて、仔魔物から隠れるように、その高い背を折りたたんで俺を盾にして隠れた。
「あ、あの……。お兄さん?この魔物はまだ人を襲わないから、大丈夫ですよ……?」
「そ、そんな。そんなことありません!だって魔物、魔物ですよう!?噛みつくに決まっていますから、できるのならさっさと追い払ってください!できないのなら少年も、わたしと一緒に逃げ……ひい!?」
子犬ほどの大きさの仔魔物の頭をそっと撫でてみた。人を襲わないというのは書物による知識だけで、実際に目にしたり触ったことはなかった。
こうして触れてみると、なるほど、愛玩動物にしたくなる気持ちがわかる。一般的なペットの犬や猫と変わらない可愛さがあった。『あそぼ、あそぼうよ』と訴えかけ、甘えるように自ら、頭を俺の手のひらに擦りつける。
「しょ、少年?噛みつかれてしまいますよう……?」
「大丈夫だとおもう……けど」
「でも、でもわたしは怖いのです。……どこか追い払ってくださいよう」
「うん、わかった。それじゃあええと、お兄さん。すこしここにに居てください」
「え!?一人で!?」
「すぐ戻ります。きっと、この子の親が近くにいるから、返してきます」
「親!?親って、大きな魔物ですか!?この近くにいるのです!?少年、やっぱり逃げませんか?無理に近づいたら食べられてしま……」
「もしそうだったら、とっくに僕たちは襲われています。今襲われていないのは、近くに親が居ないか、あるいは襲う気が無いからです。きっとむやみに騒いだほうが、この仔に危害を与えるって思われて襲われやすくなる」
「そ、そうなのですかぁ?……じゃあ、ここで待っていますから、その代わり早く帰ってきてくださいねっ?」
きゅっと、両手を掴まれる。
黒いマニキュアをしているところが何だか印象に残った。
俺は男に軽く挨拶をしてから、あまり仔魔物に触れないようにしながら、男が逃げてきた方向へ歩いた。ある程度進むと、仔魔物自ら走り出し俺を追い抜いていった。
仔魔物が進む先には想定したとおり親魔物が居た。大きさは雄牛くらい。鋭い牙と爪、そして刃を通さない硬毛をまとって、赤い猫のような瞳でじっと俺を見つめた。その瞳に殺意は感じられないが、俺が歩いてきた方向──男が待っている方向を見やるとグルグルと唸った。
俺はゆっくりとその場から後退した。
すると、その魔物も唸るのをやめ仔をあやしながら森の方へ歩いていった。
「……嗚呼、素晴らしいっ!」
突然声がした。
思わず「ひゃっ」と声を上げ、身体が跳ねる。
すぐに振り返るとそこには先程の男がいた。
あの親魔物と同じような、赤黒い瞳をキラキラさせて、俺を映している。
「お、お兄さん……。向こうで待ってるって……」
「一人は怖いので、そぅっと、ここまで来たのです。ええほら、気が付かなかったでしょう?ちゃぁんと騒がないように来たのです」
彼は「えっへん」と誇らしげにした。
それからすぐにまた俺の両手を掴んで、ブンブンと大げさに握手をした。
「勇敢な貴方に是非お礼をしたいのですが……、嗚呼ちょっとまってくださいね?ええと確か持っていたはず、あ、ほら!」
男はズボンのポケットから袋に包まれたオレンジ色の棒付きキャンディーを取り出し俺に渡した。
それからもう一度ポケットに手を入れ、また一つ赤色のキャンディーを取り出し、袋を取り去って自分の口に運んだ。
「キャンディー……?」
「おや、お嫌いでしたか?」
「い、いえ。ありがとうございます」
「うふふ、良いのです。助けられたのはわたしの方ですからお礼をするのは当然のこと。……と、少年。申し訳ないのですがもう一つ頼まれてくれませんか?」
「何ですか?ボク、あまり時間がないので……」
「そこをなんとか、キャンディーに免じて聞いてください。わたしね、絵描きをやっていましてこの平野にもそれが理由で足を運んでいたのですが……」
魔物嫌いで、知識もないのに。
絵描きの仕事とはいえ、なかなか命知らずな大人も居たもんだと、心の中で思った。
けれど、この平野に絵を描きに来る理由はわかる。南方には塔があるし、魔物の森はここから見ると青みがかって見えてとても幻想的なのである。
「あの仔魔物から逃げるために、絵描き道具を置いてきてしまったのです。ぜひ、一緒に取りに行ってもらいたいのです。ここからそんなに遠くありませんし、それに──」
「少年こそ、こんな危険な平野で武器も持たずで。ふふ、きっと何か理由があって村の方からあの森に向かって歩いてきたのでしょう?ほら、通り道じゃないですかっ?」
「う……。まあそうですけど……でも……」
「じゃあ決まり!旅は道連れというやつです。一緒に行きましょう!」
男は「おー!」と天に拳を振り上げてから、俺の先を歩いて行った。先程まであんなに魔物を怖がっていたのに。それに、大人の能力者ならまだしも俺のような子供をあてにして意気揚々としているとは……かなり、楽観的な性格であるようだ。
そんな彼に俺は少し気疲れしていたが、彼の言うとおり、行き先は同じであるためその後ろに続くしかなかった。
それから数分間。特別会話を交わすことなく歩いた。
先を行く男に話しかけようかと何度も言葉を絞り出したのだが言葉は結局見つからず、彼が置いてきたと話していた絵描き道具が先に見つかった。
「あった!ほらほら、ありましたよ!少年!」
ポンポンと道具との再会を讃えるように手を叩いて、彼は喜んだ。それから道具が魔物に壊されたり、遊び道具として持って行かれていないかを確認し始める。
俺はその様子を後ろで見守っていた。
それにしても、画架とキャンバス、たくさんの絵の具、小さな椅子もあって……彼が絵描きであると聞いたときは、その職業の珍しさのため"趣味程度"かと思っていたが、置いてある道具とキャンバスに描かれた絵を見て、かなり本格的にやっているのだと驚いた。
意外と言ったら怒られるかもしれないが、それが平野で出会った男についての、俺の素直な感想である。
男は道具に異常がないことを確認すると、ほっとため息をついて椅子に座った。そして、まるでここまで歩いてきた俺のことを忘れてしまったかのように、静かに絵筆を走らせ始めたのである。
ああこれは、邪魔をしてはいけない。
ここまで一緒に来ておいて黙って立ち去るのも気が引けるし、彼に一声かけてからまた塔に向かおうと思っていたのだが、その一声すらもかけにくい。
それに彼の描いている絵が気になった。……心が惹かれたというのだろうか。
緑色が少し抜けて黄色に見える草原。
緑深い魔物の森。
先よりも少し近づいて輪郭がはっきりした塔。
薄水色と薄桃色に彩られた空。
塔の後ろには大きく丸い月が描かれていて……
気がつけば俺は絵を描いている男の左隣に座って、絵が完成するのを待っていた。
「おや……、嗚呼、ごめんなさいね。魔物から逃げることに必死になっていたから忘れていたのですが、ここに戻ったら絵が描き途中ということに気がついて、わたしに付き合ってくださった貴方へもう少しお礼をすべきでした」
「……あの、お兄さんには、空の色がこんなふうに見えるの?」
「……"お兄さん"と呼ぶのはおやめなさい。わたしには相応しくありません。そうですねぇ、どうぞ"リコ"とお呼びくださいな」
「……リコ、さん?」
「特別な縁がなければどうせこの場限りの関係です。気軽に呼び捨てで、もっと言えばそんなに畏まって話さなくてもよろしい」
リコと名乗った男は絵筆を滑らせながら言う。
それから間もなくリコは絵筆に黒色を付けて、丁度塔の天辺に色を置いた。
思わず「あっ」と、声を上げてしまう。せっかく淡色のおとなしい絵であったのに、その一点の黒が、絵にある美しさを全て奪いさってしまった……、そんなふうに感じた。
「うふふふ、悪い黒色でしょう?この黒色は、わたし達から、奪うのが得意なのです」
そう言うと、リコはキャンバスに落ちた黒色にさらに黒を付け足して何かを描いている。
そしてそれは段々と、塔の天辺に君臨する黒色の竜の姿に形を変えて、俺を驚かせた。
「大きな口を開けて飛んできて、パクッと、人や魔物や、……そして母親までも食べてしまう。そんな、悪い竜なのです。こうして翼を広げて、星空を吸取って力を蓄える。……だからこの世界では青空に月が浮かぶ」
なんだかわかるような、わからないような絵の説明をされて少し困惑していると、リコはそれを察したのか、目を閉じて上品にクスクスと笑った。
「ねえ、ひょっとしてリコは、"塔の主"を見たことがあるの?この竜が、主なの……?」
俺はそんなことを問うてみた。
今思えば、先程まで魔物から逃げていた男に、我ながら意味のない話をしたと思っている。
「……塔の主?」
案の定、リコは首を傾げきょとんとした。
そんなリコに俺は父親の話をすることにした。
「……今頃、ボクの父さんがあの塔で、"塔の主"って呼ばれているヤツと戦っているんだ。ボクの村の、ギルディアのお仕事で……。10年に一度、あの塔は封印しないと駄目で、放っておくと災いが起こるって言われているから」
「……ふぅん?」
「それで、リコが塔の主がどんなやつかを知っていたら良いなって思ったんだけど……」
「何故?」
「え?」
「何故、わたしが知っていると良いのです?貴方の御父上はもうあの塔へ行っているのでしょう?ギルディアに戻って御父上にわたしから聞いたことを教えるのであれば納得できますが……少年、貴方はここで何をしているのです?」
背筋をスッと撫でられたような恐怖を一瞬感じた。
「あ、あの!ボクは……。父さんの手助けをしたくて、……父さんに認められたくて、それで……!一緒に"塔の主"と戦って、封印して、……褒めてもらいたいんだ」
「……」
暫し、沈黙が続いた。
その間、俺は自分の素直な気持ちを知り合って間もない人物に話してしまったことを恥じた。
「良いじゃないか。特に、父親に愛されていないと思っているところが」
「えっ……?」
低い声が聞こえた。
その声にあわせてリコの口が動いていて、まるで腹話術芸を見ているようであった。
しかしそれは一瞬の出来事で、リコがキャンバスから俺の方へ視線を向けてニコニコと微笑むと、その出来事は霞のように消えてしまった。
「嗚呼、素晴らしいです。貴方はとぅってもステキな少年です。勇敢で、健気で、父親想いで。しかし、それならば早くお行きなさいな。せっかくのチャンスです……手遅れになる前に、ね?うふふっ」
リコはどこか不気味に笑うと椅子に座ったまま手を伸ばし、俺の両肩にトンと手を置いた。それから丁度塔と向かい合うように俺の身体を回転させた。
「あ、待って、リコ。こんなところに一人で居て大丈……」
「ふふ、これから命知らずにも危険なところへ行くというのに。まずは御自分の心配をしなさいな?わたしは大丈夫ですよ。そのうち迎えが来ますし、いざとなれば……」
いざとなれば走って逃げる、とでもいうのだろうか。リコはその言葉の先を"どこか既視感のある微笑み"で濁らせた。
「んふ……、御父上と仲良ぅくできるとよいですね」
耳元で静かに、怪しげに言う。
少しこそばゆくて、身をこわばらせると突然──
「さ、行ってらっしゃい」
ドン、と背中を強く押された。
俺はその力の強さに驚いて前に倒れそうになったが何とかこらえ、その勢いで、まるでリコから逃げ出すように塔へ向かって走り出した。
しばらく、リコの手の感触が背中に張り付いて離れなかった。
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