第1話⑸



 それから、特別な出来事が起こることもなく俺は塔へとたどり着いてしまった。


 いや、そもそも。

 あの平野に人間が──それも魔物についての知識がない絵描きがいること自体が異常であって、魔物以外誰もいないことが普通だ。間違えてはいけない。

 ただ、強いて言うなら本来普通に生息している魔物の死骸が多くあったことだろうか。

 このことも、"『アザレア』の戦闘部隊が通った道だから"といえば普通に納得できるのだが、倒されてからそれほど時間のたっていないような新しい死骸もあったのだ。それも銃痕のみで、父親の剣で傷つけられた様子がない。

 そのおかげで、俺はここまで安全に来ることができたのだが。いったい、あの魔物を倒したのは誰なのか。そういえば、桐野も"魔物が人為的に殺されている"と無線連絡を受けていたっけ。……未熟な子供ながら少し引っかかるものがあった。


 気持ちを、目の前のことに切り替えなければ。


 俺は塔に一番近い草蔭に身を隠して、周辺の様子をうかがった。

 目の前にはちょうど塔の入り口がある。扉は大きく無造作に開け放たれていて、周囲を見張っている者は特にいない。どうやら掲示板のとおり、この場には、封印の執行者として選ばれた父親ら4人しかいないらしい。彼らが乗ってきたであろう4頭の馬が杭につながれて、のんびりと草を食んでいる。


 誰もいないことを確認した俺は草蔭から少し身を出して、できる限り首を伸ばして塔を仰ぎ見た。

 塔の外見は、俺の想像とは全く違っていた。昔からあるものだから、てっきり石造りであると思っていたのだが、表面はつるつるの鉄のような資材で作られていた。

 時折、塔が光って見えることがあったのだが、村では、それが"災いの前兆"として語られていて、俺もそれを信じていた。

 しかしこうして実物を見てみると、どうということはない。この塔の資材が光に反射して煌めいていたに過ぎなかったようだ。


 それにしても、いやに静かだった。

 今頃、塔の中では父親が剣を振るっているのであろうが、剣戟の音は聞こえず、森から聞こえる魔物の遠吠えの方が鮮明であった。


 今なら誰もいないし、サッと塔に入ってしまおうか……と考えて、入り口の扉に近づいた、その時である。



「……ったく、ひでえありさまだ」



 男の声が聞こえた。

 俺はとっさに扉の蔭に身を潜めた。


 間もなくして、塔の中から人が一人くらい入りそうな大きな麻袋を抱えたスーツ姿の男が現れた。襟元のバッジを見るに、『アザレア』の戦闘部員で間違いない。


 男は重たそうにしていた麻袋をドサッと置いてため息をつき、のんびりと草を食む馬がいる方へ歩いた。そして、まるで馬に語りかけるように独り言を零す。



「よかったなあ、お前も帰り道は楽になるぜ?まあ手ぶらで帰っても、塔から落っこちて死んじまった椎名の馬よりかは、まだマシなメシを食わせてもらえるだろうさ」


「──ポールも道中で負傷しなけりゃ、結果は変わったかもしれねえってのに。ったく、魔物の死骸を見かけた時から、もう少し警戒しておくべきだったな」



 男は、また深くため息を吐いた。

 彼の言葉から、どうやら封印執行者4人のうち2人──椎名 朱里とポール・スタインが、塔の主に倒されてしまったということが分かった。

 ……そして彼、もといリシュア・デントが塔の中から持ち帰ってきた麻袋の中身はおそらくポールの亡骸であろうことも。



「残るは総長……レオと俺だけ、か。……は、一人で行くとか、カッコつけやがって。いいさ。お前が主にやられたあと、弱った奴を倒したついでに、死体くらいは拾ってやる」


「──ジルさんのお気に入りだか何だか知らねえけど、一人で、あんな化け物倒せやしねえよ」



 塔の頂上をずっと睨みながら、リシュアは言葉を吐き捨てた。



 俺の憧れである父親を罵倒する者がいる。

 努力せず、ただ手柄だけを"イイとこ取り"しようとしている。


 お前がここで愚痴を零して居られるのは、ボクの父さんが代わりに戦っているからだぞ、と扉の蔭から飛び出したあとで、わからせてやろうと思った。

 しかし、我ながら感心する。俺はそのように思うだけに留めて、実際、行動には移さなかったのである。


 確かに、自分のことのように悔しさを感じた。

 けれど、ここでとびかかってやるよりも、俺が父親を手伝って任務を完遂し、最終的に父親がもっと偉くなれるのであれば、この男に一泡吹かせることができるのだから。


 そう考えながら、扉の蔭からじっとリシュアを睨みつけていると、彼は馬を撫でて、ぐーっと伸びをしたあと、まるで散歩に行くかのような気軽さで塔の周りを歩き始めたようだった。……なにやら、携帯無線機に向かって気怠そうに話しながら。


 俺はその隙を見計らって扉の蔭から出ると、のんきな散歩中のリシュアの背中に"あかんべえ"をして、サッと塔の中へと足を踏み入れた。



 …………………



 ──初めて足を踏み入れたあの時、外とは空気が変わったことをよく覚えている。


 この場所が澄みきった純粋無垢な空間であることを、己の五感が教えてきた。高ぶっていた気持ちも静められて、深い海の底に落とされた気分になった。そのことを話すと、『そんな仕掛けはしてねェよ』と、生意気で人を馬鹿にしたような邪悪な笑みを向けられた。


 入り口より右側に石造りの階段があり、階段は螺旋状に塔の壁を伝って、この塔のてっぺんまで続いている。

 耳を澄ませば、キーンキーンと剣戟の音が上の方から反響して聞こえるほど、"その時は"、よく音が響いていた。


 この音がする先に、父親が居るんだ。

 ああ、とうとうここまで来た──来てしまった。



 自分が足手まといになるなんて考えなかった。

 父親の本当の気持ちもよく考えなかった。

 ただ、寂しさという弱さが勝ってしまった。



 ああ──、階段を駆け上がる俺を蹴落として殺してやれば、すこしは幸せになれるのだろうか。



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