第1話⑵
翌朝。
✕年12月26日 塔の封印執行日。
カラカランと外で鳴らされるベルの音を聞いた。
それは村の情報掲示板が更新される合図の音だ。
俺は身支度をしてから、掲示板を確認するため家を飛び出した。……鍵をかけ忘れたことに気がつくのだが、その時はもう、引き返すことも家に帰ることもできなかった。
少し歩くと、人だかりを発見する。
掲示板がある場所で間違いない。そこで気になるものは俺も皆も同じ。"封印執行者"についてだ。
「『アザレア』より、本日行われる塔の封印執行者について記載していまーす!えー、掲示板周辺は混雑しますので確認が終わりましたら速やかにご移動頂ますようご協力お願いします」
「──なお、この他に『アザレア』前掲示板、国境南掲示板に同様の記載がされていますので、えー、混雑緩和のため分散にご協力を」
掲示板の横でスーツを着た女の人が大きな声で呼びかけている。声の感じからして、昨日父親と一緒にいた女性隊員とは違う人らしい。
そんな彼女の呼びかけを聞きながらも、俺は間に割って入った。
ある程度進んでいくと、ふと隣家に住む八百屋店主と目があった。彼女は気前よく俺に手招きをして、周りの人にも少し場所を空けるよう声をかけてくれた。
「"アルべ君"、こっちこっち!」
いつも気さくに話かけてくれる彼女だが、今日はいつも以上に機嫌が良さそうに見えた。
俺はそんな彼女の態度を少し不思議に思いながらも、その厚意に甘えることにした。
掲示板を見上げると、そこには一枚の紙が貼られていた。
……………………
──塔の主の封印に関して──
ギルディア特殊能力研究機構『アザレア』
日頃皆様の多くのご協力に感謝いたします。
本日に行われる塔の主の封印に関してのご報告です。
執行者名
椎名 朱里
ポール・スタイン
レオ・グルワール
リシュア・デント
以上
上記の者は本日中に必ず塔に向かい、塔の主の封印を執行せよ。
……………………
──ギルディア特殊能力研究機構『アザレア』
主な仕事は魔物退治、ギルディアの治安維持、他国からの侵略を防ぐこと。能力や魔物についての研究も行っている。
そんな『アザレア』からの報告文書に、ただ一行。
"レオ・グルワール"と、父親の名前があった。
仕事ばかりで殆ど家に帰らない父親が、昨日帰ってきた。夕飯を食べてから地下室でずっと作業をしていて、今朝俺が目を覚ますと父親は既に出かけたあとだった。
昨日"家に帰る"と聞いた時点で、いや──『アザレア』の戦闘部総長という地位を持っている時点で、俺はこの掲示を予想していた。
予想していたからこそ、この時は身体が震える思いだった。
もう二度と父親に会えないかもしれないという恐怖や寂しさは確かにある。
しかしそれ以上に、今日の計画が──"塔に赴き父親の手伝いをする"という計画が、現実になることが少し不安であり、気持ちの高揚も感じていた。
──ああ、こんなことしなければ良かったのに。
家で夕飯を作って、ただ父親の帰りを待っていればもう少し幸せだったろうに。
今では後悔するばかりだが、この時は、ようやく"父親に認めてもらえるチャンスが来た"ということしか考えていなかった。
「ねえ、アルベ君。ほら、レオさんの名前があそこにあるの。見えるかしら?」
彼女は掲示板を指差しながら、まるで、確認するかのように問うた。
俺は彼女が"そうする"真意がまだ分からなくて、「うん」と短く返事をした。
「うん、って……。なんだかさっぱりしてるわねぇ。とっても名誉なことじゃないの。もう少し喜んだほうがいいわ?ああ、そうね!レオさんのこと心配しているのね!塔の主は強い力を持っていると聞くし……」
「──そうだ、レオさんが居なくて寂しいと思うし、どうかしら?ウチで、"私の家族全員で"レオさんのことを待つの。美味しい料理も沢山出して、おばさん、奮発しちゃうわよ?」
ニコニコと笑みを向けられる。
俺はこのとき、直感した……、してしまった。
これは、俺に向けられた笑みではない。
……いやもともと、彼女が示してきた俺への優しさは、"『アザレア』の高い地位に属する父への媚売り"だ。
「おいおい。ちょっと待てよ」
男の声が上がる。
八百屋店主の隣に立っていた男だ。
彼は確か、刃物屋を営む無愛想な店員。通っていた学校のクラスメイトの父親で、俺のことを"悪魔"と呼ぶ人物の一人。一度彼の店に包丁を持って行ったことがあるが、散々言われた。──何を言われたのかは記憶に蓋をしたため忘れてしまったが。
男は八百屋店主を押し退けて俺の手を掴み強引に引っ張った。思わず「痛い」と叫んだが、それを無視して、俺に金貨を握らせる。
「甘い言葉でガキを釣り上げるなんて小賢しいにもほどがあるぜ。おい小僧。いくらなら『アザレア』の刃物類の研磨をうちに依頼するよう言ってくれるんだ?」
"悪魔"から"小僧"へ呼び掛け方を変えるあたり、八百屋店主を悪く言う割には周りの人の目……特に掲示板の横に立って静観しているスーツ姿の女──おそらく『アザレア』の人間であろう人の目を気にしていた。
そうして、八百屋店主や男の行動を見た人々が次々と手を上げる。『アザレア』に媚を売ろうと必死になって、俺はあっちこっちへ引っ張られた。
こんなことをしている場合ではないのにと思っていると、スーツ姿の女と目があった。
彼女はすぐに目を逸らしたが、この状況を村の治安維持も担っている『アザレア』の立場としても放っておけなかったのか、やれやれ、といった様子で溜息をついた。
それから、人々に聞こえるよう敢えて大げさに、無線機に向かって話した。
「ええっ!なんですって?"『アザレア』最高責任者のジルさん"が研究所の外に出たってぇ!?護衛はつけていない?こ、困ったなぁ……、只今秘書は手が離せないっていうのに……」
「──わ、わかりました。『アザレア』前の掲示板、すぐに向かいます、ええ……。騒ぎになっては大変ですからねえ……」
周囲がざわつく。
そして気がつけば、俺はすでに解放されていた。
こんな"悪魔"よりも"正義の組織の最高責任者"に会いたいとでもいうのか、人々はぞろぞろと『アザレア』前掲示板の方へ歩いて行った。
窮屈さと騒がしさはすっかり無くなって、いつもの静かな朝に戻る。
「やれやれ……。君も人気者だねぇ」
「あ、あの。助けてくれてあ……」
ありがとうございました、と言おうとしたところ、彼女は俺の言葉を手で制した。
そして、無線機に電源を入れて今度は本当の業務連絡を始めた。
「警備員各位、こちらの中央掲示板。諸事情で中央地区の民が『アザレア』方面へ向かいました。研究所の中へは立ち入らせないよう注意願います」
『──了解しました。』
無線を切り、彼女は再びこちらに目を向けた。
「ん?助けてくれてありがとうございました、だって?ええ、本当に。せっかく人を分散して情報配置を行ったのに、"レオさんのお子さん"が村人に引っ張られて千切れたりしたら帰還を笑顔で迎えられないでしょう?」
「──それと、『アザレア』前担当の警備員には後で恩返ししないとね。"君から事情も聞かなきゃいけない"し、やることいっぱいだ」
「す、すみませんでした。……え、あれ?ボクから、何の事情を聞くんですか?」
ふと不思議に思って彼女に問うと、彼女は微笑みだけで返した。朱色の夕焼けのような瞳は、どこか俺の心を、目論見を見透かしているような……、そんな気がした。
「少し歩こうか」と言って彼女は先に歩き出した。
フレンドリーではあるが、『アザレア』の人間であることには違いない。これから"父親の手伝いをするために塔へ行く"と悟られれば、確実に止められることはわかっている。
"君の事情を聞きたい"という彼女の発言についてその真意はわからないが、悟られたり疑われたりするような行動は避けるべきだ。
ここは素直に彼女に従っておこうと、先を歩く彼女を追いかけた。
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