第1章 最愛のもの
第1話
第1話⑴
──村の外れにて。
まだこのギルディアという村の国境いの壁がそれほど高くなかった、あの日、あの頃。
浅く積もった雪に彫られた8歳の俺の足跡は、まだ小さく、そして頼りなく、何より"普通"であった。
6歳にして、通っていた学校を退学になったと語れば、俺がどれほどの問題児であったか想像しやすく、今の己を"普通でない"と語らざるを得ない理由が察せられるかもしれない。
しかし、退学になり、唯一の友達に会えなくなった寂しさを癒やすのに2年──正確には、それ以上かもしれない──年月を要したということ。それは、あの頃はまだ"普通"の子供であると語ることが出来る。
そんな、他人にとっては些細なことを。
今、この場所に立っている"普通でない俺"のために信じていたかった──
──────
遠くに見える塔の影を、俺は眺めていた。
あの塔には、凶悪な魔物が潜んでいる。
ギルディアに住む人々はその魔物を"塔の主"と呼び、その存在を恐れ続けた。
その凶悪さゆえに、塔の主は10年に一度の周期で封印される決まりがある。もしその決まりを破れば、たちまちこの村は魔物に食らいつくされてしまうという……。
この言い伝えがいつからあるのか。
本当に魔物が村を食らいつくすことがあるのか。
それは村の古株を訪ねて回っても、本を読みあさってもわからない。
得体の知れないものだからこそ、今日まで、人々は恐れ続けているのだろう。かくいう俺も、その一人だった。
ピィィィイイ────
遠くから聞こえた笛の音に俺ははっとした。
一体何事だろう。笛の音は何度か聞こえ、回数を増すごとに音の長さが短く、苦しくなっていく。
「──ま、魔物だ!」
誰かが叫んだ。
俺は状況を確認するため、──正しくは、どこか正義感に似た感情に動かされて、騒ぎになっている方向へ走った。民家の合間から大通りへ飛び出すと、すでに魔物を目撃したのであろう人々とぶつかりそうになった。
「な、なんだ!?ああ、君もぼさっとしていないで早く逃げなさい!食われてしまうぞ!」
逃げる人々のうち、一人の男に腕を掴まれた。
強引に手を引かれながら、俺は男と一緒に走る。
「ねえ!魔物は、どんなやつなのっ?」
必死に走る男に向かって、俺はそんなことを問う。
そんなことを聞いてどうするのだと、男は思っていただろうが、息を切らしながら教えてくれた。
「きゅ、吸血鬼さ。"あの森"に行った木こりが連れてきちまったのさ。確かに村に戻れば"アザレアの花"が退治できるだろうが……まったく、もっと村のことも考えてほしいものだ!」
「さ、君も早く自分の家へ……。あっ、おい!」
俺は男の手を振り払った。
そして彼の制止の声も聞かず、走ってきた道を走って戻る。
──明日は、10年に一度ある塔の封印の日。
魔物退治の専門家、この村一番の力を持つ者たちが執行する。
そんな日の前に、
どうしてもやりたいことがあった。
「た、助けてくれええ!痛い……、痛いいい!」
人のものとは思えない悲痛の叫び声が鼓膜に穴をあける勢いで飛び込んできた。
目の前に広がっているのは惨劇。
首から大量の血を流している男が倒れていて、それに群がるように吸血蝙蝠がバサバサと羽音を立てて飛んでいた。
また、それを微笑みながら静観する女が一人。
日傘を差していて顔はよく窺えなかったが、あれも人間ではなかった。──そんな感じがした。
まだ夕暮れ時で日は完全に沈んでいない。
そんな時間に吸血鬼の女が"子育て"をしているなんてなかなか考え難いことだ。この時の俺にあったのは学校の教科書と家にあった魔物関係の書物の知識だけだが、その女の吸血鬼は特殊である、ということはわかった。
緊張で喉が渇いて思わずつばを飲み込む。
襲われている男を早く助けなければいけないのに、身構えてしまって動けない。
……こんなことをしていてどうする?
明日が"本番"で……、今この状況は、ただの予行練習に過ぎないんだ。
"あの人"に認めてもらいたい。
"あの人"に振り向いてもらいたい。
そんな単純且つ強い想いで、俺は今日まで過ごしてきたのだから。立ち止まってはいられない。
飛び回る吸血蝙蝠の群れに、俺は右手を向けた。
右手のひらに力を集中させて、作りたい形を思い描く。
──強い力は人を殺めたり、虐めたりするために使うんじゃない。人を守り、助けるためにある──
「──花のように美しくあれ!」
俺は、"能力"を使用した。
能力──それは"人間に一つ"備わる特別な力。
能力者──それは能力を持つ人間。
能力は神からの賜り物であり、能力者が多いこのギルディアでは、能力とはその人の地位に等しいとされた。
能力を上手く扱える人が優れている。
強い能力を持つ人が村の先頭に立ち他の人々を導く。
退学になった学校では、そうやって教えられた。
……一方、俺の能力は"普通ではなかった"から悪魔と呼ばれるほど、普通の能力者にも、担任の教師にも、クラスメイトにも、そして恐らくは父親にすら嫌われた。
そんな能力でも、誰かの助けになればと思って、または誰かに認められたくて、俺は──
氷の茨が放たれた。
茨は飛び回る蝙蝠を一匹一匹正確に捕らえて、動きを止める。
「……き、木こりのおじさん!今助けるから!」
そう声を上げると、蝙蝠達の異常に気がついた吸血鬼がこちらへ視線を向ける。
「……ヒトの子風情が、妾の邪魔をするかっ!」
人語を話す知性のある魔物を、通常種とは区別して"高等種"と呼称するのだが、あの吸血鬼はまさにそれであった。日が暮れない時間に活動している特異性から考えてもおかしくはない。
吸血鬼はカッと目を見開き、俺が子育ての邪魔をしたことに怒りを顕にした。
その鋭い目が怖くて怯みそうになるが、こういう時ほど冷静に……、全ての蝙蝠を捕らえたことを確認してから俺は吸血鬼の方へ集中する。
……ああ、少し遅かった。
吸血鬼は恐ろしい速さで俺の方へ向かってきていた。氷の防壁を立てるためには時間が足りないし、吸血鬼の足を凍らせて止めるにも速すぎて捉えられない。
かくなる上は、嫌われたが故に隠し続けてきた俺の"能力の特異性"を利用することだが……、こんな状況にもかかわらず人目を気にしてしまっていた。
──それほど、俺は、"能力は一人につき一つ"という能力者の大原則を恐れていた。
間もなく、吸血鬼は俺の頭と肩を掴み、首元に食らいつこうとした。
咄嗟に防御の姿勢をとる。
一緒に逃げようとしてくれたあの男の手を振り払って、自分から脅威の前に身を晒して力試しをしようと試みたのに、結局は戦えない。
……ああ、情けない。
きっと俺が吸血鬼に殺されたあと、村人たちはこう言うんだ。
──グルワールの息子は、悪魔の力を過信した大馬鹿者だ──
父親の顔が思い浮かぶ。
……彼は相変わらず、俺のことを冷たい目で見下していた。
タンッ──
すぐ近くで花火のような音がした。
刹那、腕を強引に引かれ、その反動で硬い地面に転がった。
ギャッと吸血鬼が悲鳴を上げ、また悲鳴の余韻が残る間、さらに二度、三度花火の音──銃声が響いた。
転んだ俺の傍らに立つ黒い人。
黒いスーツを身に纏った男。
俺より少し長めでウエーブがかかった黒い髪。
強そうな背中。大きな手。
群青色の目には1筋の傷。
俺が長らく追い続けている父親の姿が、そこにはあった。
父親は終始冷静に、魔物に怒ることも怯えることもせず、頭を狙撃されてもなお攻撃しようとする吸血鬼の首を、銀の剣で刎ねた。
人であれば間違いなく即死だが、タフな高等種は首が刎ねられると同時に無数の蝙蝠と化し、夕暮れ時の空へ逃げていった。
「連絡があった魔物の撃退、完了しました」
剣を鞘に納めながら、無線機に向かって話しかける。
「……ええ、高等種です。椎名の狙撃により頭に銀弾3発。剣で首を刎ねましたが討伐には至らず、逃げられました。仲間を引き連れての報復の可能性は否めません。……追いますか?」
『お前と椎名には明日のこともある、深追いするな。』
無線の相手がそう伝えると、父親は無線を切り剣を背負い直して立ち上がった。それから、吸血鬼に怪我を負わされた男へ近づいて、首に残る噛み跡、出血量などを確認し始めた。
その現場にもう一人──彼女もまた黒いスーツを纏っていて、装備しているスナイパーライフルから察するに吸血鬼の頭に銃弾を撃ち込んだ人物がやってきた。
彼女は、すっ転んだままの俺を一瞥したが特に声をかけることもなく、怪我人の手当をしている父親の方へ向かった。
「総長、怪我人は?」
「噛まれていくらか血を吸われたらしい。出血は致死量に満たないが、……繁殖時期の吸血蝙蝠に噛まれている。"魔物化"が心配されるところだ。……念の為手足を縛って持ち帰り、研究部に引き渡す」
「了解しました。……そこら辺に転がってる蝙蝠はどうします?凍っていますけど、まだ生きてます」
「村人に危害を与えた時点で『アザレア』の敵だ。……どこかの馬鹿みたいに逃してやろうなんて慈悲は必要ない、殺せ」
氷のように冷たい会話のあと、父親は両手足を拘束した怪我人を担いだ。
一方、父親の応援にかけつけた女隊員は遠距離向きのスナイパーライフルを使って器用に足元に散らばっている吸血蝙蝠を撃ち殺していった。蝙蝠を全て殺すと死骸を麻袋に入れて袋を担ぎ、すでに歩き出していた父親の後に続いた。
「……総長。"彼"は、良いのですか?」
ふと、女隊員が父親に問いかける。
この時まで、まるでそこには存在が無いような扱いを受けていたが、彼女のおかげでようやく、父親らの話題に入ることができたらしい。
正直、父親らが来なければ俺はあそこで死んでいたし、高等種相手に無謀なことをしたとは思っている。……"明日の計画"や俺の気持ちを知らない父親にとっては、魔物に襲われて、怯えて、すっ転んでいる、どうしようもなく情けないバカ息子、としか感じられないだろう。
きっと普通の親子なら、無謀さとバカな行動を叱責するところだが、"どうせ"父親は違う。
父親には俺が見えていない。
……母親の命と引き換えに生まれたときから、今日までずっと。
「これを片付けたら、帰る」
特に振り返ることはせず、独り言のように言った。
いや、本当に独り言だったのかもしれないし、もしくは、俺のことを話題に上げた女性隊員に対して応えたのかもしれない。
どちらにせよ、俺はまたそんな父親の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
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