突き抜けるような夏空の下で、

 #23 かつよ


 滑るように、天を駆ける。

 ホルスターに刻み込まれた術式が、空を固めて道を作る。スケートの要領で蹴り足を出すと、風走りの魔法が生み出した推力が、凄まじい勢いで体を前に運んだ。

 時速二百キロは軽く出ているのではないか。全身を魔力強化しているけれど、それでも生身だと辛いくらいのスピードが出ていた。


:たのしそう

:ママー! ぼくもあれほしい!

:人は誰しもインラインスケートに憧れる時期が一度はある

:この移動方法にも名前ほしいな

:エアスケートじゃない?

:風滑りでしょ

:ウィンドスライドとか

:迷宮救命走法一式

:かえでちゃんのお急ぎ便

:オジョ走り


「オジョ走り……?」


:あ

:よりにもよってそれ拾う???

:決まってしまった

:命名、オジョ走り

:あの、他にもいい名前あったと思うのですが

:センス大丈夫そ?

:お嬢の決定に逆らってはならぬ……

:お嬢がオジョ走りって言ったならこれはもうオジョ走りなんだよ


 いや、えと。そういうつもりじゃなくて、ちょっと気になっただけなんだけど……。

 ……まあ、いっか。わざわざひっくり返すほどのことでもないし。


 目的地は、迷宮二層にそびえ立つねじれた大樹だ。

 複数の木が折り重なるようにして形成された大木は、それ自体が高度な生態系を有している。内部構造も複雑に入り組んでいて、迷宮とはまさしくこういった場所のことを指すのだろう。

 識別名称、世界樹。迷宮二層で最難関の探索スポットだ。

 その最難関スポットの大半をスキップして、私はいきなり世界樹の頂上に降り立った。


:初手頂上かい

:あの、迷宮攻略とかってなさらないんですか……?

:今急いでるから後でね

:普通なら一番下から登らないといけないのに

:蒼灯さんがめちゃくちゃ頑張って攻略した道中が一瞬でスキップされてしまった

:ちゅんちゅん探し、最初からお嬢が行けばよかったのでは……?


 それは言わないであげて……。

 ちゅんちゅんが棲む神鳥の巣があるのは、この世界樹の頂上だ。迷宮二層最難関の迷宮を攻略できる実力者のみが、彼の者に謁見する資格を得られる。

 だけどそれも、今となっては過去の話だ。


「白石くん、反応原は神鳥の巣内部にある。くれぐれも気をつけろ」


 インカムから聞こえてきた指示に、こくりと頷く。

 黒い雨が吸収した魔力は呪禍の元に流れ込んでいる。その流れを追った先にあるのが、神鳥の巣だった。

 つまり呪禍は、神鳥ちゅんちゅんを斃して、巣を乗っ取ったってことらしい。


:うわ

:えっぐ

:酷い……


 巣の内部に足を踏み入れる。

 世界樹の頂上に作られた巣は、大きなお椀のような形になっている。木々を折り曲げ、枝を折り重ねて、丁寧に作られた神鳥ちゅんちゅん自慢の巣だ。

 訂正。自慢の巣、だった。

 今ここにあるのは、その成れの果てだ。


 神鳥の巣はあちこち砕け、ひび割れ、壁には大きな穴が開いている。その穴から風雨に乗って、黒い雨が吸い上げた魔力が流れ込む。内部には禍々しい魔力が渦巻き、空気は淀んで澱のように濁っていた。

 瘴気めいた空気に、思わず顔をしかめた。


 そして、何よりも目につくのは、中心に鎮座する大きなサナギだ。

 人間よりも二回り大きなそれは、鼓動するように明滅する。迷宮中から吸い上げられてきた魔力は、それに向かって収束していた。


「……真堂さん」

「反応を確認した。間違いない、それが呪禍だ」


 聞いた瞬間、剣を抜いた。

 色々な符号が噛み合った気がした。

 呪禍が迷宮に来た目的。あんなにも執拗に魔力を喰らい続けた理由。安全確保のためにちゅんちゅんを排除したという仮説。迷宮中から魔力を奪う黒い雨。そして、この不気味なサナギ。

 すべてが、一つの結論を指し示している。


:呪禍のサナギ?

:羽化しようとしてる……?

:もしかしてあの魔物、まだ成体ですらなかったのか!?

:大人になるために迷宮に来たのか、こいつ

:羽化のためにあんなに大量に飯食ってたのか

:おい嘘だろ、あの強さで幼体だったってこと!?


 幼体ですら六層級。成体になったら、果たしてどれほどの強さを持つのだろう。

 だけど、今ならまだ間に合う。

 こんな大きな隙を見逃すほど甘くない。この魔物は、今ここで仕留める。


 剣を携え、強く踏み込む。風研ぎの魔法を発動し、風の刃をチタンブレードに纏わせる。

 ルリリスが改良した術式は美しく作動し、供給した魔力を何倍にも膨れ上がらせて高密度の風刃を形成する。その力を惜しみなく解き放ち、サナギに叩きつけた。

 硬い甲殻を易々と切り裂く手応え。それと同時に、嫌な予感が走った。


「――っ」


 直感的に飛び退る。次の瞬間、サナギが内側から膨張し、どろどろとした内液が四方八方に飛び散った。

 巣に満ちる瘴気が強さを増す。腐敗した魔力の悪臭が鼻をつく中、それ・・は、サナギを破ってどろりと生まれ落ちた。


 鎧のような甲殻に覆われた、ひょろりとした細身の体躯。

 バッタのように大きく曲がった後ろ脚。

 長い尾は槍のように研ぎ澄まされ、前腕部は鎌状に鋭く変質している。頭部には獰猛な牙が、背中には薄く鋭い刃の翼があった。

 極めて鋭利で、殺意に満ちた、戦闘に特化した体。

 まるで、全身が武器の塊だ。


:これが呪禍成体……?

:リアルガチ化け物じゃん

:なんだこのクレイジー極限殺戮生命体

:ちょっと虫っぽいな

:生物兵器か何か?

:こんなん台所におったら泣くぞ

:どこにいても泣くわ


 生まれ落ちたそれは、ぶるりと身震いをする。黒い甲殻に絡みつくべとべととした何かが、びしゃりと落ちた。

 ……ギリギリ、間に合わなかったか。

 サナギの時に仕留められていれば楽だったんだけど、そう簡単にはやらせてくれないらしい。


「それが昆虫と似た生態をしているのなら、羽化直後はまだ体が出来上がっていない。どんなに少なく見積もっても二時間は動けないはずだと、生駒くんが言っている」

「動いてます、けど」

「……異星生物だ。こっちの常識で測るのにも限度がある」


 呪禍は殺意を滾らせて、こちらの隙を伺うように脚を動かす。

 成体になった直後に、もう戦闘行動か。凶暴なのは見た目だけではないらしい。


「何にせよ、羽化には凄まじいエネルギーを使うはずだ。チャンスには変わらない」

「なるほど、つまり」


 呪禍は四肢を踏みしめる。姿勢を低く、体のバネを取って、低く唸る。

 そのモーションには見覚えがあった。


「こういうことですね」


 呪禍が吠える。

 精神を削る叫び。本能を揺さぶり、畏怖と恐怖を呼び起こす悪意の咆哮。

 この咆哮には魔法が籠められている。周囲の魔力を破断し、吸収する魔法だ。

 正直、これは読めていた。腹が減っているなら、最初にやることは食事だろう。

 動きがわかっているなら対処はできる。それに、この技を見るのは二回目だった。


「うっさい」


 やったことは簡単。

 遠くから風刃をぶっ放す。これだけだ。


:え

:嘘

:黙らせるマジ?

:判断が早い


 迂闊に近づけばカウンターを喰らう。それなら、遠距離攻撃だ。

 飛び道具で相手のカウンターを潰してから、間髪入れず懐に潜り込む。風走りの神速を乗せ、顎下を強く蹴り上げた。

 軸足を入れ替え、横っ面を回し蹴りで撃ち抜く。続けてふらつく首筋にチタンブレードで一刀入れるが、これは甲殻に傷をつけるに終わった。

 ……信じられないほど硬い手応えだった。

 この魔物、甲殻をガッチガチに魔力強化している。六層魔物の魔力量で強化された装甲を貫くのは、簡単なことじゃない。


 追撃の手を緩め、距離を取って思考を回す。

 ウェイトは思ったより軽い。それなら斬撃よりも打撃の方がいいのかも。外骨格を砕くのは大変だから、内側から破壊したほうが良さそうだ。

 となると、必要なのは重い一撃。だけど、思い切り叩き込むには動きを止める必要がある。そのためには、まずはあいつの機動力を――。


「…………」


 分析を進める。対策を練る。

 仮説を立て、弱点を推測し、戦略を組み上げる。

 呪禍とは適応する怪物であるらしい。だけどそれは私たち人間だって同じこと。私たちだって、この迷宮という異世界に適応してきた。

 異星からの侵略者おまえと、異世界からの探訪者わたし

 どっちが適応できるか、勝負しようか。

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