私たちの防衛戦線
山田から供給された魔力のおかげで、魔法陣の出力は安定した。
相変わらず消費は激しいけれど、魔力量にはまだまだ余裕がある。これなら、しばらく展開したって持つはずだ。
広域回復支援を展開したことで、前線は勢いを増したように見えた。敵勢はいまだ途絶えることはないが、徐々に探索者たちが押し返し始めている。
勝てるだろうか。そう考えて、やめた。
あそこにいる彼らは誰もが勝つつもりで戦っている。遠目に見ても、逃げ出そうとする人なんて一人もいない。
だったら、彼らを信じよう。それが敬意ってやつだから。
「あ」
ポーチの中で、ぴろぴろとスマートフォンが着信を知らせた。
だけど私の手はシリンダーの制御で埋まっている。腕が一本しかないと、こういう時は不便だった。
「出ますか?」
「……一応」
「わかりました」
山田は私のポーチをまさぐって、スマートフォンを取り出す。着信に応答し、電話口を私の耳に近づけた。
「こちら、キャンプ場運営の蒼灯すずです。七瀬杏さん、この広域支援魔法を実行しているのはあなたでしょうか?」
早口な声。電話の向こうでは、激しい戦闘音が響いていた。
蒼灯すず、か……。正直、あんまり関わりたくなかったけれど、そうも言っていられないらしい。
「そうです。使用したのは、地属性回復魔法の地脈活性・命陣。効果範囲は戦場全域、回復量は0.6H/s。出力の調整可能です」
「話が早くて助かります。回復量はどこまで増やせますか?」
「効果範囲を半径十二メートルに限定すれば、1.8H/sまで上げられます」
H/s――Heal Per Second。健康な成人男性の平均体力値を百として、一秒あたりの回復量を数値化したものだ。1H/sなら、百秒の投与で人一人の体力を全回復できる。
「戦場右翼の消耗が激しいので、そちらに集中支援をお願いします」
「わかりました」
「あと、連携用の通話チャンネルを開いているので、七瀬さんも参加してもらえますか?」
「……了解です」
……参加しなくちゃいけないらしい。
こういう大人数で何かをするのとか、あんまり好きじゃないんだけど。拒否権ってやつはなさそうだった。
まあ、いいさ。どうせ私に求められているのは回復魔法だけだ。私の取り柄なんてそれしかないんだから。
「それと」
通話を切る前に、蒼灯すずは一言添えた。
「かなりうるさいと思うので、音量下げといたほうがいいかもしれません」
「……へ?」
「私からも伝えておきます。七瀬さん、回復支援感謝します。本当に助かりました」
そう言って、通話は切れた。
何のことかはわからないけれど……。まあ、大事なことじゃないだろう、たぶん。
「山田。悪いけど、通話チャンネルに参加してほしい。あと、私のポーチにインカムがあるから」
「大丈夫です。すべて、林檎にお任せください」
「……う、うん。頼んだ」
山田はポーチからインカムを取り出して、私の耳に取り付ける。それから私のスマホを操作してと、必要なことを全部やってくれた。
魔法の制御に集中しなきゃいけないから、こうするしかないんだけど……。山田をアゴで使っているようで、ちょっと悪い気もしてくる。
「接続します」
山田はグループ通話アプリを操作する。インカムがピロンと音を立てて、ボイスチャンネルに接続した。
すでに数十人が参加している大規模な通話チャンネルだ。しかも、そのほぼ全員が知らない人。そんなところに乗り込むのは大変気後れするのだけど、人として挨拶くらいはしなければならない。
大丈夫、一言挨拶するだけだ。よろしくお願いしますとだけ伝えて、後はミュートにすればいい。
軽く息を吸って、口を開いた。
「あ、あー。回復術士の七瀬、入りました。よろしくお願――」
「七瀬ェーッ! マジ助かったああああああああああああ!!」
私の挨拶は、雄叫びにかき消された。
「お前がいなかったら俺死んでた! お前がいなかったら俺死んでた! もう一回言うぞ! お前が! いなかったら! 俺死んでたあああああああああああ!!」
「七瀬テメエッ! いいから! 黙って! 口座番号とほしいものリストを公開しやがれってんだァァァァァアアアアアアアアアーーーーーー!!」
「あ、あの、七瀬さん……。本当に助かりました、ありがとうございます……。たぶん、聞こえないと思うけど……」
「七瀬ちゃんありがとねぇ……。七瀬ちゃんありがとねぇ……。七瀬ちゃんありがとねぇ……」
「七瀬ッ! 七瀬ッ、七瀬ッ、七瀬ッ! 七瀬……ッ! 七瀬ェェェェエエエエエエエエエエエッ!!」
「七瀬さんへ。はじめまして、愛してます。今度結婚しましょう。かしこ」
「ななせっ! ななせっ! ななせっ! へいへいっ!」
「おいバカども! 叫んでないで真面目に戦え! 前線やべえんだよ!」
「指揮が聞こえないから黙ってろドアホッ! 余計な報告すんなッ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおお! 静かにするぞおおおおおおおおおおお!!」
「静かに! 静かに! 静かにィッ! どりゃあああああああああああああ! 静かにしろォォォォォォォオオオオオオオオオオオ!!」
「お前らが一番うるせえんだよボケッ! ミュートすんぞ!」
ほぼ暴力。
耳、ぶっ壊れたかと思った。
「う、っる、せえっ……!」
:うるさすぎて草
:何人いんだよこのボイチャ
:鼓膜ないなった……
:替えの鼓膜取ってこなきゃ
:ツバつけたら治るかな
:すまん七瀬、こっちの負傷も治せる?
しらんしらん。今それどころじゃない。
生存本能全開の獣たちは、今も狂ったように叫び散らす。
こいつら、完全にテンションが振り切ってやがる。耳に入ってくる雑音が、咆哮なのか絶叫なのか区別がつかない。具現化した混沌がそこにあった。
……一応、ほぼ全員初対面のはずなんだけど。アドレナリン全開で戦っている彼らにとって、そんなことは些事なのかもしれない。
「大人気じゃないですか、主様」
山田は私のスマホを操作して、全体音量を半分に減らす。
山田もこの通話に参加したようで、彼女の耳にもインカムがついていた。
「マイク、ミュートにしてます。喋っていいですよ」
「……別に、こいつらが好きなのは回復魔法だし。私じゃないし」
「そこ、分ける必要ないと思いますけどね。だって回復魔法使ったの、主様じゃないですか」
「うるさいうるさい。しらないしらないしらない」
「またそんな子どもみたいなこと言って」
こ、これくらい、嬉しくなんかないし。私はただ魔法使っただけだし。すごいのは私じゃなくて回復魔法だし……。
「……まったく。こっちは、その輝きがほしくてほしくてたまらないってのに」
「いや、その……。そういうつもりじゃ」
「いーんですよ。ふんっ」
そんな拗ねられても……。
複雑な気持ちは多々あるけれど、受け取った感謝を無下にするわけにもいかない。こういう時、一体私はどうしたらいいんだろう。
……まあ、その、いいや。また後で考えよう。うん。
「それより山田、右翼側に行かないと。移動するからついてきてくれる?」
「承知しました。どこまでもお供しますよ、主様」
「……その主様っての、なんなの?」
「気にしないでください。また今度、ご説明いたしますから」
なんか、丁寧な山田って気持ち悪いな……。
いつもはもっとふざけたやつなんだけど、今のこいつはなんか違う。なんていうか、恭しいというか。さっきまで普通に話してたのに、なんで急にかしこまってるんだこいつは。
山田の様子も気になるけれど、今はそれどころじゃない。とにかく、急いで右翼に行かないと。
「やべえ、前線抜かれた!」
その時、インカムが切羽詰まった報告を伝えた。
「キャンプ場に一体入るぞ!」
「止められるか!?」
「俺行く――あっ、ごめん、ちょっと無理まって無理これ無理かも!」
「氷結城、展開します!」
最後の声は、蒼灯すずのものだ。
猛然と突進してくるサイの魔物。その行く手を阻むように、六花の氷壁が一瞬で生成された。
「蒼灯さん、派手な魔法使うなぁ」
「めちゃくちゃ画面映えしますよね、あれ。いいなぁ、私もああいう魔法がほしかった……」
「映えたらいいってもんじゃないと思うけど」
「さすが、地属性なんか使う人は言うことが違います。なんでしたっけ、あの地味で陰湿な魔法。砂楼でしたっけ?」
「ぶっ飛ばすぞー?」
「やりますかー?」
:なんだっけ砂楼って
:呪禍戦で使ってたやつ?
:砂塵の幻影を作って、身代わりにする魔法だよ
:地味で陰湿な魔法だ……
:うーん、正解!w
山田と喧嘩していると、魔物が氷壁に激突した。
六花の氷壁は、サイの突撃をものともせずに受け止め――ることはなく、バリンと大きな音を立てて砕け散る。
「え」
「へ?」
そのままサイは、まっすぐ突っ込んでくる。
向かう先は、私たちの方だった。
「ちょっとあおひー!?」
「わー! まじすかまじすか! ごめんなさい、止められませんでしたー!」
「おい誰か巻き込まれるぞ!」
「ちょっと待て、あれ七瀬さんじゃね?」
「ヒーラーが狙われるのはマジでやばいって!」
インカムには多種多様な報告が飛び交ったけれど、役に立つ情報は「危ない」と「逃げて」だけだった。
サイは完全にこっちをロックオンしている。具体的に言うと、私を。
まあ……。そうだね。こんな大規模な支援魔法展開してたら、優先的に狙われるよね。そりゃ。
「ちょっとちょっと、こっち向かって来るんですけどー!?」
「狙われたっぽいね。まいったな」
「まいったなじゃねーですよ! 主様、ご自慢の魔法でなんとかしてくださいよー!」
「あー、ごめん無理。砂楼って後出しだと通じないんだ。地味で陰湿な魔法だから」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょーに! なんとかしないと死ぬでしょーに!」
山田は必死にわたわたと騒ぐ。ちょっとだけ、いつもの山田に戻ったような気がした。
「逃げな、山田。あれの狙いは私だから」
「え、でも、主様はどうするんですか!?」
「なんとかするよ」
これでも私は三層探索者だ。片腕だって、二層の魔物くらいならなんとかなる。
大怪我くらいはするかもだけど、少なくとも死にはしない、はず。
……たぶん。あんまり、自信ないけど。
「ダメ、ダメです……っ! 林檎は、主様をお守りせねばならんのです……!」
山田は抜刀して、私を守るように前に出た。
荘厳な装飾の施されたロングソード。いや、あれは騎士剣だろうか。チタン加工はされているようだけど、それにしたって前時代的な剣だった。
「そ、それに……っ! 今度は、林檎が助けるんだって決めたんです……! そのつもりで契約したんですから……っ!」
「頑張るのはいいんだけど、山田って強いの?」
「つい最近二層探索者になったばかりですけど!」
「逃げなよ。あいつ、二層でも強い方の魔物だよ」
「だーかーらー! それはダメなんですってばー!」
山田が持つ剣の切っ先はぶるぶると震えていた。そんなに怖いなら逃げりゃいいのに。
というか、山田が盾になったところでなんになる。お前にあの突進を止められるのか。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……。騎士の魔法は発動したんです。私だって戦える。私だって、これくらい……っ!」
「……ん?」
蹴っ飛ばしてどかしたろか、とか考えていると、雨に混じって空から舞い落りるものに気がついた。
風に舞いながら、ひらひらと降りてくる、ピンク色の物体。
桜の花びらだ。
:え
:あ
:花びら……?
:桜はまずい
:あの、これって
「山田、ちょっと」
「い、行きます、行きますよ……! た、たりゃああああああああああああ!」
「それナシ。戻って」
「おげぇっ」
片手で首根っこをひっつかむと、首の締まった山田は配信に載せちゃいけないタイプの悲鳴を上げた。
「ちょっと主様! なんばしよっとですか!」
「そこ危ないから、下がるよ」
「危ないのはわかってます! それでも林檎はやらねばならんのですー!」
「そうじゃなくて」
言い合っているうちに、桜の花びらが接地した。
途端、吹き上がる蒼い業火。蒼炎は爆発的に広がって、周囲のものを激しく吹き飛ばした。
「みぎゃーっ!」
爆発範囲の端っこにいた山田は、ふっ飛ばされてころころと転がっていった。ほら、言わんこっちゃない。
降ってくる花びらは一枚じゃない。数枚の花びらが断続的に接地し、その度に激しい炎を放つ。炎に飲み込まれたサイの魔物は、悲鳴を上げながら沈んでいった。
あの魔法は知っている。白石楓の動画で、嫌というほど見たから。
火属性魔法の極北、火桜。六層級の魔物にのみ許された神域の大魔法。
忘れられた魔女・リリスの代名詞だ。
「よう、そこの。ちょっと伝言を頼まれてくれるか」
気づけばそこに、黒い魔女がいた。
宙に浮いた箒に、横掛けに腰掛けた黒い少女。大きなつばのある黒い帽子に、豪奢な装飾の為されたローブ。美しい金の髪は、雨の中だというのにまるで濡れていない。
この少女は、ある意味ではこのキャンプ場で最も有名な人だ。いや、人というのはおかしいか。
直接話したことはないけれど、さすがの私も知っている。
彼女については、探索者協会から再三に渡って、情報周知と敵対行為を禁止する警告が来ていたから。
「ルリリス・ノワール……」
「へえ、お前も私のこと知ってんだ。人気者はつれーな」
六層の魔物は、あれで意外と気さくらしい。そんなことも噂には聞いていた。
「楓との約束があるから一応見てたけど、飽きたわ。どいつもこいつも雑魚ばっか。こんくらいお前らでもなんとかなんだろ」
やる気なさそうに言いつつ、ルリリスは指をぱちんと弾く。
ノールックで彼女の後方、戦場のほぼ全域に桜の花びらが舞い踊る。インカムから悲鳴めいた警告が飛び交ったかと思えば、前線に乱れ咲く蒼い炎が、魔物の群れを薙ぎ払った。
……これが、六層級。
片手間に放った魔法で、戦場の有り様を一瞬の内に塗り替える。見せつけられたその力は、身震いするほどに鮮烈だった。
「お前、すずに伝えといてくれよ。ちょっと出かけてくるって」
「出かけるって……。どこに?」
「決まってんだろ」
ルリリスはおもむろに空を見上げる。
「やっぱり、あいつのプランはどうしても気に入らねえ。だから私のプランでやらせてもらうのさ」
「え、何の話?」
「まあ、そういうこった。しっかり伝えとけよ、人間!」
言うが否や、彼女は箒を操って飛び去ってしまった。
……伝言、託されたはいいんだけど、まったく意味がわからない。なんだよプランって。何の話だよ。
「ええー……」
ルリリス・ノワールが消えていった空を見上げる。
黒い雨が降りしきる、分厚い雲で閉ざされた空。それに挑みかかるようにそびえ立つ、ねじれた大樹。
あの頂上では、今、白石楓が戦っている。
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