山田林檎は配信をはじめた。誰かを照らす光になろうとも。
キャンプ場を後背に、探索者たちは扇形に布陣を敷いている。
敵が来るのは東側から南側にかけたざっくり百二十度ほど。絶え間なく押し寄せてくる敵襲に対応して、戦列は薄く広がっている。
基本戦術は敵の分散と各個撃破。早い話、ただの野戦だ。
「これ、防御陣地とか作れなかったのかな」
:急な襲撃だったからなぁ
:まさかキャンプ場が襲われるとはつゆも思わず
:班分けと配置が間に合っただけ十分でしょ
一応、探索者サイドには大きな氷の壁が数枚張られている。
それを即席の防壁として、
ただ、遠距離攻撃手段を持つ探索者は数が少ない。弾幕というほどの物量はなく、戦闘の主体はあくまでも近接戦闘だ。
「あの氷は?」
:蒼灯さんが作ったやつ
:氷結城って魔法
:一応魔法の氷だから、簡単には壊れないと思う
「蒼灯すずか……」
……あの人、なんとなく苦手なんだよなぁ。
陽キャだし。性格いいし。人気者だし。けっして悪い人じゃないんだけど、あそこまで私と正反対だとかえって近寄りがたい。
それに、白石さんと仲がいいのもなんかヤだ。
:蒼灯さん、防衛戦の指揮取ってるから、参加するなら声かけてきたら?
「……いや、いいや。やること変わんないし」
:不仲か?
:そりゃね、愛しの白石さんを取ってった相手だし
:七瀬にとっちゃ恋敵か……
:やめとけ七瀬、お前が勝てる相手じゃない
:天下のあおひーに弓引いたらこの業界生きていけないよ
:友だちいっぱい大手配信者様 VS ひねくれぼっちへたれ陰キャ
:勝負にならないでしょ
「ちげえよ」
声かけないってだけでそこまで邪推すんな。部分的に合ってるのがタチ悪いわ。
戦場は横に大きく広がっている。傷病者は広範に散らばっていて、一人ずつ治療するにはあちこち駆け回らなければならない。ヒーラーにとってはやりづらい状況だ。
白石さんだったら、こんな状況でもなんとかしてしまうのだろう。
機動力に物を言わせて、走って、助けて、ついでに倒す。八面六臂の活躍をする彼女の姿が目に浮かぶようだった。
だけど、代役の私にそんなことはできないから。
シリンダーを構えて、体に流れる魔力を集中させる。
回復魔法には、属性ごとに長所と短所がある。
白石さんの風祝は、瞬間回復力に秀でる一方で燃費が悪い。火城さんの浄火は、総回復量に優れる反面、単体にしか効果を及ぼさない。
そして私の地脈活性・命陣は瞬間的な回復力に欠ける。白石さんのように、誰かの窮地を即座に救うなんてことはできない。
それでも、効果範囲なら私の魔法がダントツだ。
「…………っ」
シリンダーに魔力を通すと、地面に魔法陣が投影された。
戦場全域を覆い尽くす巨大な魔法陣。地脈から湧き上がる魔力が、魔法陣を介して生命力に変換され、探索者たちの体に流れ込む。
地属性回復魔法の強みは効果範囲と対象人数だ。こういった広範かつ多人数の戦闘は、私の独壇場とも言える。
この魔法を展開・維持するだけで、全域に回復支援ができるわけだけど。
「む、っずいな、これ……っ!」
最大規模で展開した魔法陣は、制御するだけでとんでもない困難を強いられた。
大規模魔法はただでさえ制御が難しい。それに加えて、難易度を上げているのはこの雨だ。
黒い雨は魔法陣から魔力を奪う。維持に必要な魔力が収奪されるせいで、魔力回路のあちこちが破断し、魔法陣は切れかけの蛍光灯のように明滅していた。
:おい七瀬、魔法陣消えそうだけど
:やる気あんの?
:ちゃんと制御しろよ
:真面目にやれって
:あのさぁ、もうちょっと頑張ってくんない?
「あー! うっせー! 黙れ死ね!」
:お、安定した
:やればできんじゃねーか
:やれんだったら最初からやれ
:それくらいできて当然だからな七瀬
:鬼だなお前ら……
:さすがに言い過ぎでは?
:七瀬にはこっちの方がいいんだよね
:あいつ普通に応援しても聞かねーから
:俺らだって本当はこんなこと言いたくないんだよ……ごめんね七瀬……
:高度なレベルで気持ち悪い
供給する魔力量を増やせば、一応術式は安定する。しかしそれは消耗が激しいということだ。
こんなペースで魔力を使っていたら長くは持たない。すぐに魔力が切れてしまうし、そうなれば私の身も――。
「何してんすか、七瀬さん」
頭の上に、ファンシーなうさぎ柄の傘がかざされた。
「山田?」
「またそんな無茶して……。知ってます? この雨、濡れると危ないんですよ?」
「いやまあ、そうだけど」
「死体も残らないそうですけど」
「……そうだけど」
山田は心底呆れたように続ける。
「そんなに濡れて、一体何してるんですかあなたは」
「ほっとけ。私の勝手だよ」
「それで死んだら、親御さんにはなんて言うんです?」
「……うるさいな。意趣返しのつもりかよ」
「なんでしたっけ。夢だの理想だのを掲げれば、何やってもいいってわけじゃない、でしたっけ?」
「知らん。忘れた」
「まったく……。あなたが死んだら、悲しむ人だっているでしょうに」
「そんなにいないから大丈夫」
「いますよ」
:いるぞ
:いる
:いるけど
:いるが
「いますよ、ここに」
……知らないよ。
なんで、お前がそんな顔してんだよ。山田のくせに。
「七瀬さん」
「なんだよ、忙しいんだよこっちは」
「白石さんには話しかけられましたか?」
「……まだだけど」
「へたれ」
「うっさい」
「それで、あなたは今何やってるんですか」
「見りゃわかんでしょ。頑張ってんの」
「何のために?」
「何のためって――」
少し、考えて。
考えるまでもないってことを、思い出した。
「人を助けたいから。それ以外に、理由なんていらないでしょ」
「悪いものでも食べました?」
「うっさいな。そう答えられるようになりたいって思ったんだよ」
「まだまだ先は長そうです」
「ほっとけ」
「でも、いい夢だと思いますよ」
「どうも」
「そういうことなら、林檎が手を貸してあげなくもないですが」
「もう帰れよ。さっきから邪魔なんだよ」
「まあまあ、そう言わず。お手伝いしますよ。病める時も、健やかなる時も」
「なんか違くない?」
「喜びの時も、悲しみの時も。富める時も、貧しい時も」
「だから違うって」
「迷える時も、信じる時も、苦しむ時も、安らぐ時も、栄える時も、衰える時も。この命のある限り、あなたを守り、支え、仕え、奉じ、殉じることを、ここに誓います」
「……? 山田……?」
気づけば、山田の手には白銀のシリンダーが握られていた。
そのシリンダーが強く輝く。彼女は、何かの魔法を使おうとしていた。
「認める、と。言ってください」
「……言ったら、どうなるんだよ」
山田は、らしくない表情で、静かに微笑んだ。
「大丈夫。覚悟はできてますから」
:もしかして、誓約魔法か……?
:え、なにそれ
:発動するのに特定の条件が必要になる魔法のこと
:強力だけど、その分強烈な制限がかかるらしい
:話には聞いたことあるけど、実物は初めて見た
山田は質問に答えない。ただ黙って、私の返事を待つ。
無言で佇む山田は、有無を言わせぬ気配を放っていた。
ノーと言える雰囲気ではなくて。
「……認める」
応じると、白銀のシリンダーがまばゆい光を放つ。
銀色の閃光は、黒い雨をかき消すほどに燦然と光り輝いた。
「――我が主よ。あなたの盾となりましょう」
そして、私の中に力が流れ込んだ。
多量の魔力が体の中でうねる。私のではない、山田の魔力だ。どういう原理かは知らないが、山田の魔力が私の中に流れ込んできていた。
「山田、この魔法は……?」
「説明は後です。主様、魔法の制御に集中してください」
「あ、ああ」
すっと、息を吸って。
「行くぞ」
吐き出す。
借り物の決意と借り物の力が体を満たす。そこにどんな意味があるのかなんて、考えるのは後でいい。
今はただ、助けよう。力の限りを振り絞って。
それを願う人がいたから。それを支える人がいるから。
私がそれを望むから。
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