七瀬杏は配信をはじめた。見果てぬ夢の果てを求めて。
#23-EX 【二層キャンプ】今日は話しかけられなくてもしょうがなくない?【七瀬杏】
怪我人は医療テントで大人しくしてろ。
そういった趣旨の命令が来たので、言われた通りにしていた。
今、このキャンプに魔物の群れが押し寄せてきているらしい。探索者として戦うべきか迷ったけれど、片腕の私が前線に出たって邪魔になるだけだ。
だから、おとなしく医療テントの片隅に座って、じっとしていた。
その医療テントの中では、炎山さんの怒号が響いていた。
電話口に言い争う声が狭いテントに響き渡る。無視しようと思ってできるものではない。
「……荒れてますね、炎山さん」
「そりゃ荒れますよ」
小声で隣の火城さんに話しかける。彼は彼で不服そうな顔をしていた。
「目と鼻の先で大規模な戦闘が発生しています。きっと傷病者だって出ているはずです。そんな時に待機命令なんて、納得できるわけないじゃないですか」
火城さんの拳は、硬く握りしめられていた。
そうは言うけれど、私は待機命令を出した人の気持ちもわかってしまう。
「あなた方の魔力量はまだ一層探索者並です。この雨の中では長くは持ちません。それに、もし戦闘に巻き込まれようものなら――」
「関係ない」
火城さんは私の言葉を遮る。
「我々は救命士です。助けを求める声があるならどこにだって行きます。ここで動けなければ、我々は一体なんのためにここにいるんですか……!」
悔しさに震える声に、思わず口を閉ざした。
本物ってやつを見せられた気がした。
何のためでもない、ただ人を助けるために人を助けたいという、混じり気のない信念を。
「……火城さん」
だから、不意に憧れた。
憧れずにはいられなかった。自分にはない、本物の輝きに。
「もし、あなたに片腕がなくても、同じことを言いますか」
「決まってます。それでも、自分にできることが少しでもあるのなら――!」
言いかけて、火城さんは口を閉ざす。
だけど、その意思は伝わった。十分すぎるくらいに。
「あ、いえ。七瀬さん。そういう意味ではないです。あなたは、ここにいてもらえれば」
「そうですね、わかりました」
「……あの、七瀬さん。なぜ立ち上がったのですか」
「忘れ物を取りに行こうと思って」
「今はダメです! 後でも取りに行けますから!」
「じゃあお手洗いです」
「お手洗い!?」
止めようと伸ばされた手を、するりとすり抜ける。
訓練を積んだようだけど、まだまだひよっこだ。その程度の身のこなしじゃ、三層探索者は捉えられない。
「大丈夫、すぐ帰ってきますよ。ちょっと、届け物をしてくるだけですから」
「言い訳適当すぎませんか!?」
「これは本当です。あなた方の意思は預かりました。なので、きっちり届けてきます」
教官なんていう分不相応な名前で呼ばれたんだ。それなら、これくらいはしたっていいだろう。
返事は聞かず、降りしきる雨の中外に出る。黒い雨が身を濡らすと、魔力が抜け落ちる感覚がした。
「……合羽、着てくればよかったな」
片腕では服を着るのにも時間がかかる。その手間を嫌ってそのまま出てきてしまったけれど、失敗だったのかもしれない。
まあ、雨に打たれてすぐにどうこうってわけじゃない。私の魔力量ならしばらくは大丈夫だ。気にすることなく、戦闘音のする方に向かって歩き出した。
移動しつつ、片手でスマートフォンを操作する。蓋絵を開けると、配信画面上にカメラの映像が乗った。
「よう」
:よう
:ようじゃないけど
:なんだ七瀬じゃん
:急に蓋絵開かれるとびっくりするだろ
:困るよ事前に連絡くれなきゃ
:ずっと待機してたくせにこの言い草である
:おいバカお前それは言うな
:七瀬、どうかした?
「ちょっとやることがあってね。義務として映像に残すだけ。別にお前らのためじゃないぞ」
:またそんなこと言っちゃって
:本当は俺らのこと大好きなくせに
:こんなコテコテのツンデレ久々に聞いた
:でも七瀬の場合はガチで俺らのためじゃないよ
:そこがいいんじゃん
:上級者もいます
:なんでもいいけど、やることやったらはよ帰れよ
:無理すんな七瀬
「大丈夫。すぐ帰るから」
嘘は言ってない。本当にすぐ戻るつもりだ。無理なんかしない。
ただちょっと、預かってきた物を届けるだけ。
ただちょっと、私の夢を探してくるだけだ。
「ねえ、聞いてよ」
:なんやなんや
:のんびりお話してる場合か?
:この雨やべーんでしょ?
:話なら聞くけどここじゃなくてもよくない?
:せめて濡れないとこで話せ七瀬
人を助けるのは大事なことだって、頭ではわかっているつもりだった。
だけど、私が迷宮救命士になりたいと思ったのは、回復魔法という呪わしい力を少しでも受け止めたかったから。あの人みたいに、この力を使いこなしてみたかったから。
誰かを助けたかったわけじゃない。この夢は、あくまで自分のためのものだった。
「私、やっぱり」
子どもみたいに意地を張って、拗ねて、ふてくされて。そんな自分が嫌になって、変わりたいって願った。
その夢が間違ったものだったとは言わない。ひねくれた夢だけど、私にとっては大事なものだから。
だけどもう、それだけじゃなくなってしまったのかもしれない。
「やっぱり……」
こんな私でも、あんな風に純粋に、人を助けたいと思えるだろうか。
私でも、誰かの助けになれるだろうか。
「……迷宮救命士になりたい」
:マジ?
:どうした急に
:言えたじゃねーか……
:お前は夢を叶えるべきだよ七瀬
決意にも満たない何かが小さく芽吹く。
きっとそれも、憧れってやつだった。
「だから、見てて」
これから刻むのは、私の夢の一歩目だ。
誰かの背中に憧れて、借り物の気持ちを届けるために、本物の真似事をしに行こう。
それでもいい。それだっていい。
偽物だっていい。代役だっていい。互換品だっていい。
それで誰かが救われるのなら、きっと私がここにいる意味はあるはずだから。
戦場を前に、回復魔法のシリンダーを抜く。乳白色のシリンダーをしゅるんと回して、指と指の間に構えた。
「迷宮救命士見習い未満、七瀬杏。行きます」
それじゃあ、配信を始めよう。
見果てぬ夢の果てを求めて。
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