蒼灯すずは配信をはじめた。友との約束を胸に抱いて。

 #23-EX 運営、ちゅんちゅん探しの旅に出る。(蒼灯すず)


「気を付けて」

「ん」


 別れの言葉なんてものは、それだけだった。

 降りしきる黒い雨の中、白い少女は風を纏う。ふわりと体が浮き上がると、空を滑るように白石楓は天を舞った。

 これが今生の別れになるなんて、蒼灯すずは思っていない。むしろ、これが最後になんかなるものかと、意識して考えるようにしていた。


 白石さんなら大丈夫。彼女は自身が知る中で最強の探索者だ。必ず、生きて帰って来るはずだ。

 それでも、不安がないわけではない。


「震えてんぞ、すず」

「……うるさいですね」


 ルリリスに言われて、手の震えを自覚した。

 この震えを白石さんに気取られなかっただろうか。少しでもこの不安が伝わっていたらと思うと、より一層不安の虫が騒ぎ出した。

 そんなもので、彼女の強さが揺らぐはずがないのに。


「……震えてる場合じゃないんです。やるべきことはたくさんある。不測の事態への備えと、撤退の準備も進めないといけません。各探索者の現状把握も必要ですし、必要であれば応援の手配を――」

「あ、あの、蒼灯先輩……」


 運営テントに戻ると、双葉がちょこちょこと寄ってくる。

 協会の人間ながら、この少女は一探索者の蒼灯を先輩と慕う。そんな奇妙な関係性も、何日も共にキャンプをする内に慣れてしまった。


 双葉が蒼灯を慕う理由はわかっている。迷宮というこの空間で、一般人の彼女は庇護者を必要としていたから。

 そして今こそ、その庇護者としての役割が求められる時だった。


「大丈夫です、双葉さん。あなたは私が守りますから」

「あ、はい。ありがとうござ――」


 言いかけて、双葉はぐっと口を閉じる。


「……いえ、違います。蒼灯先輩、少し休んでください」

「休む……? この状況で?」

「だって、蒼灯先輩、さっき探索から帰ってきたばかりじゃないですか。相当疲れてるはずです。だから……」


 ほんの数時間前まで、蒼灯すずは泊りがけの探索をしていた。

 魔物との交戦を避ける氷霜降ひょうそうこうの魔法があるとは言え、長時間の探索が負担にならないわけがない。状況が許すなら、一休みしたいのも本音だ。


「ここは私に任せてください、先輩。頼りないかもしれませんけど、これでも双葉は、探索者協会の職員です。探索者の皆さんのサポートをするのは、私の仕事ですから」


 双葉は、小刻みに震える拳をぐっと握りしめる。


「同感だ。しばらく休んでろ、蒼灯くん。裏方仕事はこちらで事足りる」


 通話を繋げっぱなしにしていた真堂も、ラップトップ越しに同意した。


「でも、真堂さん。現場指揮は必要なのでは」

「うちの職員を使えばいい。活きの良いのが五人もいる。君が無理をする必要はない」

「だけど、こんな時に休むなんて……」

「こんな時だからだ」


 真堂はカメラを見ることなく、手を動かし続ける。


「不測の事態が発生した時、君には戦闘の指揮を執ってもらいたい。それまで休むのが君の仕事だ。いつでも動けるよう、少しでも体力を戻しておけ」


 正論を言われて蒼灯は押し黙った。

 頭で考えれば、それが正しいのは理解できる。それでもじっとしていられないのは、今の蒼灯が冷静ではないからか。

 そう、今の自分は冷静ではない。納得はできないけれど、そのことは自覚した。


「私、そんなにひどい顔してますかね……」


 恨み言のようにぼやきつつ、運営テントの隅っこに座る。

 自分のテントに戻る気はない。せめて、情報が入る場所にはいたかった。


「ああ、見るか?」


 隣に座ったルリリスが、ぱちんと指を鳴らす。

 中空に展開されたのは鏡の魔法だ。目の前に召喚された鏡には、蒼灯の顔が映っていた。


「ご注文のひでえ面」

「……余計なお世話ですよ」

「いつもの営業スマイルはどうしたよ。売り切れか?」


 なるほど、確かにこれはひどい顔だ。

 カメラを止めていてよかった。こんな顔、リスナーにはとても見せられない。

 蒼灯の配信は、会議の時からずっと蓋絵のままだ。ちらりと確認すると、散発的に身を案じるコメントが流れていた。

 自分で書いた、妙に浮かれた配信タイトルが目に付く。今日の配信をはじめた時は、ちゅんちゅんに会いに行くのだとあんなに息巻いていたのに。実際にそこにあったのは凄惨な死体で――。


 死体。

 ちゅんちゅんの、死体。

 丸い体が力なく横たわり、喉笛は無惨に食いちぎられて、白くふわふわとした羽はどろどろとした血に汚れて――。

 瞬間。あの時見た光景が、白石の姿と重なった。


「ルリリ、ス」


 震える声で。

 嫌な想像から逃れるように、蒼灯は必至に言葉を紡ぐ。


「ずっと、思ってたんです。私、何か間違えたんじゃないかって。呪禍があらわれた時に、なんとしても撤退の判断を下すべきだったんじゃないかって。誰にも死んでほしくないのに、全部無事に終わってほしいのに。だから、だから、私……」


 成り行きとは言え、蒼灯はキャンプ場運営責任者の一人だ。

 慣れないなりに精一杯やってきたつもりだったけれど、本当に自分の判断が最善だったかと言われると自信がない。

 何か少しでも判断が違っていれば、こうはならなかったんじゃないか。そう思うと、足元がぐらつくような不安を覚える。

 こうしてじっとしていると、嫌でも疲労を自覚する。

 自分の判断一つが、キャンプ場にいる百人余の命運を左右する。その重責は、呪いのように蒼灯の心を蝕んでいた。


「……大丈夫だ」


 ルリリスは指を鳴らして、鏡を消した。


「大丈夫、うまくいくよ。お前はよくやってるし、楓だって負けるわけがねえ。どっしり構えてろって。呪禍を倒して、雨も上がって、そんで終わりだ」

「だけど、もしものことがあったら……」

「そん時は――」


 少しだけ口ごもって。


「そん時は、私がなんとかしてやるから」


 寂しそうに、ルリリスはつぶやいた。


「……セカンドプラン、でしたっけ」

「そ。返してもらったんだよね、魔力核。その力を使って、もしもの時はお前らを守れって頼まれた」

「いつの間に……」

「まあ、やってやるよ。もしもの時ってのが気に入らねえけど、約束は約束だ。きっちり果たすさ」


 ルリリスは複雑な顔をしていた。

 もしもの時。つまり、白石楓が負けた時だ。

 そんな想像もしたくないような前提は、確かに気に入らないけれど、それでもルリリスはやってくれるらしい。


「で、いつまでそんな面してる気だよ。しゃんとしろ、お前だって楓に託されたんだろ」

「……託された? 私が?」

「あいつが行ったのは、お前がここにいれば大丈夫だって思ったからじゃねえの」

「買いかぶりすぎですよ。私は、ちょっと顔が広いだけの、ただの三層探索者です。私より強い人なんていくらでもいます。それこそ、ルリリスだって」

「アホか」


 手刀が入る。容赦なく振るわれたそれを、蒼灯は額で受け止めた。


「強いだけが全部じゃねえだろ。お前がその程度のやつなら、私はこんなとこに座っちゃいねえよ」


 それは……。

 遠回りで、ルリリスらしい言葉だったけれど。

 言いたいことは、伝わった。


「……あなた、そんなに人間が好きになりましたか」

「はぁ!? んだよ、どこがだよ!」

「しっかりツンデレキャラになっちゃって、まったく」

「あ? つんでれ? なんだそりゃ」

「知らなくていい言葉です」


 額をさする。痛かったけれど、おかげで元気は出た。

 目を閉じて、ふうと一息。


「鏡」

「ん?」

「さっきの。もっかい出してください」

「お、おう」


 ルリリスが指を鳴らすと、再び鏡があらわれる。

 そこに映っているのは、相変わらずひどい顔の自分だ。まずはぱしんと頬を張って、気合を入れ直す。

 カメラを意識して笑顔を作る。誰にも負けない、無敵の笑顔を。

 パチンと可憐にウィンクを飛ばせば、臆病風は消え失せる。いつも元気でとってもかわいい、蒼灯すずの完成だ。


「うわ、なんだそれ……」

「あおひーです。かわいいっしょ?」

「切り替え早すぎて不気味だよ」

「なんだと」

「なにおう」


 いつもの調子を取り戻して、ルリリスとぽかぽか喧嘩していた時。

 キャンプ場に、咆哮と地響きが轟いた。


「敵襲!」


 ラップトップのスピーカーから真堂の声が響く。


「キャンプ場周辺に複数の魔物の反応を確認した。数は三十から四十、キャンプ場にまっすぐ向かっている。防衛、行けるか!」

「え、ええ!? 襲撃!? こんな時に!?」

「こんな時だからだ!」


 双葉は悲鳴を上げ、真堂は一喝する。

 その一方で、学者の生駒はのんびりと呟いた。


「おそらく、魔力欠乏症に陥った魔物たちが手当たり次第に暴れまわってるんでしょうねぇ。それでこのキャンプに目をつけたと」

「……生駒。お前、よく平然としてられるな」


 植村に諌められても、生駒はマイペースに続ける。


「だって、頭動かすくらいしか脳ないじゃないですかぁ、私たちって。あ、これは頭と脳をかけた、とてもおもしろいジョークでぇ」

「静かにしてろ」

「はぁい」


 蒼灯は立ち上がる。大きく伸びをして、軽くストレッチをはじめた。


「来ましたか。大騒動ってやつが」


 思ったよりも驚きはない。これくらいなら想定の範囲内だ。

 レインコートを着込んで、愛剣を手に取り、震える双葉の頭をぽんぽんとなでる。

 コンディションは万全だ。休憩は十分、気合も入った。今なら何が相手だって負ける気がしない。

 テントから出る前に、振り向いてルリリスを見た。


「来ないんですか?」

「私が出るほどじゃねえよ。こんくらい楽勝だろ?」

「……ええ、そうですね」


 協力してくれると言っても、彼女はあくまで客人だ。

 人の運命は人が決めるべきだ。ルリリスのようなイレギュラーを、最初から当てにする必要はない。


「これくらい楽勝です。私、六層の魔物を相手に生き残ったこともあるので」

「やかましいわ」

「ルリリス。一応、お礼、言っときます」

「一応は余計だ」

「行ってきますね」

「死ぬなよ」

「ええ」


 テントから出ると、降りしきる黒い雨がレインコートのフードを叩く。

 周囲には異変を聞きつけた探索者たちが集まっていた。誰もが不安そうな顔で、蒼灯の言葉を待っている。


「……あ」


 彼らに指揮を出そうとして、その前に一つ思い出した。


「ちょっと待ってください。配信、ほったらかしでした」


 この状況でも、蒼灯は奇妙なほどに落ち着いていた。

 スマートフォンを操作して、配信画面の蓋絵を外す。途端、怒涛のようにコメントが溢れ出した。


:お

:画面映った

:あおひー大丈夫?

:どういう状況なの今

:なんかやばいらしいね

:呪禍はどうなったの?

:この黒い雨、浴びちゃいけないって聞いたけど

:何が起こってるの?


 不安そうな探索者。不安そうなリスナー。

 きちんと休んでよかったと思う。彼らを前に、あんな顔を見せるわけにはいかない。

 いつものように笑みを作る。

 勝ち気で、不遜で、大胆で。不安も恐怖もねじ伏せる、無敵の笑顔を。


「約束を思い出したんですよね」


 コメントを無視し、探索者の間を歩きながら、独り言のようにつぶやく。

 誰のためでもない。自分のための言葉だ。

 蒼灯すずには配信をする上で大事にしていることがある。どんな配信をする時でも、決して忘れてはならない鉄則だ。

 まずは、自分が楽しむ。

 それができなければ、誰かを楽しませることなんてできないから。


「一緒に描いてほしいって、頼まれたんでした。だから、行きましょうか。最高の明日を掴み取るために」


 思い出したのはあの日の約束。白石楓と交わした、ほんの一時の大事な記憶。

 そうして、蒼灯すずは配信をはじめた。

 友との約束を胸に抱いて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る