「君が選んだのは茨の道だ。僕としてもおすすめしない。歓迎はするけどね」
束の間、テントの中に沈黙が降りる。
それは最も理想的で、最も楽観的で、最も危険な選択肢だ。
ゼロか百か。成功すればすべてを掴み、失敗すればあまりにも多くを取りこぼす。
「……白石くん、蒼灯くん」
沈黙を破ったのは、真堂さんだ。
ラップトップの向こうで、腕組みをする真堂さんは、重々しく口を開く。
「探索者として迷宮が破壊されるのを見過ごすのは辛いだろう。学者の先生方も、探索者協会の双葉くんも、おそらく気持ちは同じのはずだ」
「え、双葉は逃げたいのですが」
「だから、俺が言う」
こういう時の真堂さんは、誤魔化しを許さない。
無意識の内に避けていた問いを、彼は明瞭に投げかけた。
「それは、白石くんが命を賭ける理由になるか」
呪禍と戦うとなれば、その役目を担うのは私だ。
私だって勝てるかどうかわからない。負ける可能性は十分にある。
それに、それだけじゃなくて。
「それだけじゃない。最高戦力の白石くんがいなくなるということは、撤退作戦にも大きな影響が出る。このキャンプ場にいる全員の命を賭ける理由になるか」
……本当に、この人は嫌なことを全部言ってくれる。
仮に私が呪禍を倒せたとしても、撤退に失敗すれば意味がない。想像もしたくない最悪のケースだ。
だからこそ、目をそらすわけにはいかない。
「なりません」
答える。
一番のリスクを背負うのは私だ。だから、私が答えたかった。
「人の命が、第一です。何もかもは救えない。だからせめて、命を救うことだけ、考えます」
「白石さん……」
「ごめんね、蒼灯さん。私も、迷宮は、好きだけど。みんなの命が、一番だから」
探索者としての言葉じゃない。救命士としての言葉だった。
私は迷宮が好きだ。迷宮というこの世界に魅せられて、探索者の道を志した。
それでも、この状況で顔を出すのは、救命士としての私だった。
なんとなく抱いていた違和感が表層化する。探索と救命、今の私はどっちが好きなのかって。
天秤にかけられるようなものじゃないけれど、それでもどちらかを選ぶのなら、きっと私は救命士なのだろう。
「だから」
だけど。
「呪禍を倒します。それが、最善です」
探索者としての私が、黙っているわけじゃない。
「……説明しろ」
「この場合の最悪は、撤退中に、襲われることです。それをされたら、打つ手がない」
呪禍を相手に、他の人たちを守りながら戦うなんて、無理だ。
何をどんなにうまくやったって犠牲が出る。それだけは絶対に避けなければならない。
「それならまだ、こっちから打って出たほうが、いいと思います。それに、呪禍を倒せば雨も上がる。そうすれば、安全に撤退できます。この状況で、撤退するより、確実です」
「つまり、君が呪禍を討つまでの間、他のメンバーはここに留まるということか?」
「はい」
真堂さんは一瞬考え込む。
「蒼灯くん。どう思う」
「……無理に撤退するよりはリスクが低いです。もし何かあったとしても、これだけの探索者が一箇所にいれば対処できますから」
「この呪いが変質したらどうする。今は雨除けで防げるが、無機物を無視できるようになったとすれば」
「そうなった場合は、撤退したところで終わりです。撤退が完了するまでおよそ三時間。討伐するなら、それよりも早く決着がつくでしょう」
「……仮に、白石くんが負けた場合は」
「大丈夫」
蒼灯さんは、迷いを振り切るように言った。
「白石さんなら、勝ちますよ」
真堂さんは瞑目し、長く息を吐いた。
「いい言葉だ。信じたくなる」
「……そっか。真堂さんも、そうですよね」
「忘れてくれ。最悪を考え続けるのが俺の仕事だ」
「すみません……」
「いや、いい」
……最悪のケースなんて、誰だって考えたくなんかない。それは真堂さんだって同じのはずだ。
それでも私たちは向き合わなければいけない。それが、誰かの命を救うことに繋がるのなら。
「真堂さん。大丈夫、です。もし、私が負けたとしても、用意があります」
「用意だと?」
「セカンドプランです」
目を向けると、私のセカンドプランはひどくつまらなさそうな顔をしていた。
「くだらねえ。勝ちゃいいだろ、勝ちゃ」
……だ、そうだ。
大丈夫。こんなことを言ってるけれど、ルリリスならきちんとやってくれるはずだ。
「ルリリス嬢。一つ、君に確認したいことがある」
植村さんが言う。
「迷宮全土に呪いをかけ、魔力を吸収して自らの力に変える……。これほど強力かつ効率的な魔法、使えるのなら初めから使えばいいだろう。なぜ呪禍はこのタイミングになって雨を降らせた?」
「いや、知らねえよ。私だって呪禍博士ってわけじゃねえ」
「なら、仮説を聞いてもらいたい。もしかすると呪禍は――」
「あ! あ! わかりました! ちゅんちゅんが、倒されたからじゃないですかぁ!?」
植村さんの言葉に、生駒さんが割って入った。
「だってほら、こんな魔法使われたら、迷宮二層の魔物たちはすっごく困りますよねぇ? もしもちゅんちゅんが生きていたら、きっとすっごく怒って止めにいったと思うんですよぉ。でも呪禍は邪魔されたくなかったから、先にちゅんちゅんを排除した。どうですか、どうですかこの仮説?」
「……生駒。その話は、私がしようとしていたのだが」
「時短、ですよぉ。うへへへ……」
「関係ないだろう」
苦笑していたが、植村さんも同じ考えらしい。
「その仮説が正しければ、魔法を詠唱している今は、呪禍にとっても邪魔されたくないタイミングと考えられます。あくまでも可能性ですが、もしかするとヤツは今、とても大きな隙を晒しているのかもしれませんね」
天井さんが補足する。
「さあな。知らねえことはなんとも言えねえけど、わかってることは一つある。この呪いで呪禍は大量の魔力を吸収している。吸収が終わったら、きっと手のつけられねえことになるだろうぜ。討つんだったらこれが最後のチャンスなのかもな」
そしてルリリスは、私を見た。
蒼灯さん、ルリリス、天井さん、植村さん、生駒さん、双葉さん。十二の瞳が、私を見る。
「真堂さん」
ラップトップ越しの真堂さんと目があった。
「勝ちます。信じてください」
視線と視線がぶつかり合う。
彼は目をそらさない。私も目をそらさなかった。
「……まさか、君に説得されるとはな」
真堂さんは長く息を吐きだした。
「今回ばかりは、君に背負わせたくなかったんだが……。そう都合よくはいかないらしい」
彼の眉間には、これ以上なくシワが寄っていた。
少しだけ申し訳なくも思う。彼がこうも慎重になっているのは、きっと優しさゆえのことだから。
「白石くん。どうしてもやるんだな」
「やります」
「約束しろ。必ず生きて帰ってくるように」
「約束します」
「行って来い」
「はい」
あとは全部、私次第だ。
勝つか負けるか。生きるか死ぬか。託されたものはとても大きくて、一つ間違えれば最悪の結末が待ち受けている。
だけど、怖くはなかった。
探索者として、救命士として、何一つだって失いたくない。救えるものは全部救いたい。
ごめん、真堂さん。やっぱりこれだけは譲れない。
どんなに難しくたって、それでも私は最高の明日が見たいんだ。
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