「時が満ちれば幕は上がる。後悔があろうと、なかろうと」
でも、負担なんてのは人それぞれだ。
私たちにとっての普通は、彼女にとっての普通じゃない。ルリリスはルリリスなりに頑張ってくれたんだし、その頑張りはきちんと評価されるべきだと思う。
「わかった。じゃあ、続きは、また明日でいいから」
「明日も……。明日も、働かなきゃいけないのか……」
「お給料、いらないってなら、いいけど」
「給料かぁ……」
ルリリスはちょっと微妙な顔をしていた。
「正直、あんまいらねえんだよなぁ。お前らの金なんか貰っても、どこで使えって言うんだよ」
「移動販売車で、好きなもの、買えるよ?」
「あそこにあるものなら、見てたら誰か買ってくれるぜ?」
:こいつ、しっかり餌付けされてやがる……
:探索者たちが珍しがってあれこれ与えすぎた弊害
:狩りの仕方を忘れやがって
:牙を抜かれたペットがよぉ
:やっぱ苦労するって大事なことなんですね
それはそれでどうかと思うけれど、言いたいことは伝わった。
彼女にとって、人間社会のお金なんて意味がない。そんなものをモチベーションに頑張れって言うのも無理がある。
……となると、どうしようかな。
私は私でルリリスにお礼をしようと思っていた。九重さんの技術料もそうだし、他にもシリンダーの改良をしてくれたり、呪禍対策に協力してくれたりと、たくさんお世話になったから。
だけど、お金でってのはよくないのかもしれない。なにか他にルリリスが喜ぶものはないだろうか。
そう考えた時、思い出したものがあった。
「じゃあ、ルリリス。これ」
ウェストポーチをごそごそ漁る。
中から取り出したのは、純黒色の魔石。
リリスの魔石だ。
「返すよ」
「……はぁ!?」
:え
:お嬢!?
:それ返すの!?
:まてまてまて落ち着けってお嬢
「い、いいのか!? マジで!? マジで返してくれんだな!?」
「うん。ルリリスには、色々お世話になったから」
「いいんだな!? 本当にいいんだな!? 後でナシとか言うなよ!?」
「言わないよ」
ルリリスは恐る恐る私の手から魔石を取る。
宝物のようにそれを大事に握りしめて、ほうと一息。
「……さんきゅ」
「ん」
本当に嬉しそうに、安堵したように、彼女は微笑んだ。
素敵な笑顔だった。忘れないよう、心のメモリーに刻み込む。
:まぁええか……
:この笑顔に水を差すことは俺にはできない
:いいのかな……いいのかも……
:まあ大丈夫でしょ、ルリリスいい子だし
:心配しなくても、この子は裏切ったりしないよ
……さて。
それはそれとして。
「頼みがあるの」
ルリリスには、話さなければならないことがある。
「……お前、今言うのはズルじゃねえの?」
「えと……。ダメ、だった?」
「しかも無意識かよ……。わかったわかった、ったく。次は何すりゃいいんだよ」
文句を言いつつも、ルリリスの口元は隠しようもないほどニヤついていた。
魔石を返した今、これ以上私たちに付き合う理由なんてないだろうに。それでも、ルリリスは当然のように話を聞いてくれる。
……だからこそ。
これは、そんな彼女にしか、頼めないことだ。
「あのね、ルリリス。私、たぶん、呪禍と戦うんだと思う」
「たぶん? なんだそりゃ」
「予感がするの。きっと、そうなるんだろうって」
ひどく感覚的なことだから、そうとしか言えなかった。
今に始まったことじゃない。ずっとだ。呪禍の存在を知った時から、ずっと、そうなるような気がしていた。
迷宮という空間では、数多の運命が撚り合わさって、一つの大きな流れを形作る。この場所で長い時を過ごした探索者は、その運命の流れを非合理的に知覚することがある。
それが、探索者の直感。
その直感が言っている。私と呪禍は、きっと戦うことになるんだろうと。
「だから、ルリリス。もし私が、ダメだったら。その時は、その力で、みんなのこと守ってあげてほしい」
「守るって……。私が、人間どもを?」
「うん。お願い」
:お嬢……
:保険ってこと?
:お嬢、呪禍に負ける可能性も想定してるの?
:想定しない理由がないんだよ、備えなんていくらあったっていいんだから
:でもさぁ……
「……もしもの時の、セカンドプランだから。一応、ね」
「セカンドプランって、なんだよ……」
ルリリスは、ぎゅっと魔石を握りしめる。
「勝てよ。負けんなよ。あんなヤツ、ぶっ潰しちまえばいいだろ」
「……呪禍は、前よりも強くなってる。絶対に、勝てるなんて、言えないから」
「そんなの関係ねえよ!」
ルリリスは立ち上がる。その手の中で、魔石が強く輝いた。
純粋な魔力の粒子となったそれは、瞬き一つの後に彼女の体に吸い込まれる。
黒い閃光と共に、凄まじい魔力が解き放たれた。
「つまんねえこと言うな! お前は、この私に勝ったんだろうが!」
頭から爪先まで、髪の毛の一本一本に至るまで、濃密な魔力が行き渡る。
その一瞬で、彼女のあり様は一変した。キャンプ場のマスコットとしての姿はどこにもなく、そこに顕現したのは迷宮深層の暴威だ。
忘れられた魔女・リリス。
彼女の手には、いつしか古びた箒が握られている。その箒の先端を、ルリリスは私に突きつけた。
と、そんな時。
「あ」
「は?」
白衣のポケットで、私のスマートフォンがぴるぴると鳴りはじめた。
「……その音。電話、ってやつだったか?」
「う、うん。えと、ど、どうしよう……?」
「出ればいいんじゃねえの……?」
「ごめん……」
「あ、いや、気にすんな。うん」
友だちと喧嘩するなんて始めてだったから、どうしたらいいかわかんなくなってしまう。
ルリリスは大きなため息をついて、その場に座りなおす。彼女のことも気になるけれど、とにかく私は電話に出た。
「白石さん。聞こえますか」
どうせ真堂さんだろうと思っていただけに、少し意外だった。
電話の主は蒼灯さんだ。電話口からは風の音が聞こえる。
高いところにいるのだろうか。蒼灯さんの声音は、緊迫感に満ちていた。
「どうしたの?」
「神鳥の巣に、到着しました」
「う、うん」
神鳥の巣は世界樹の一番上にある。迷宮二層で、一番空に近い場所だ。
そこにたどり着いたのなら、ちゅんちゅんにも出会えたはずだ。あの大きくて、賢くて、ふわふわした魔物に。
蒼灯さんにとっては念願だったはずだ。
しかし、彼女の声音は張り詰めている。
「えと、蒼灯さん……?」
「死んでます」
蒼灯さんは。
感情を排して、務めて簡潔に、情報を述べた。
「やられました。神鳥ちゅんちゅん、すでに死んでいます。死体があります。外傷があります。食痕があります。魔力がありません」
悪寒が走る。
不吉が香る。悪意が滲む。恐怖が這い寄る。
その痕跡で、思いつく答えなんて一つしかない。
「呪禍です。呪禍は、ちゅんちゅんを喰らいました」
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