「人の営みは愛おしい。中には理解に苦しむものもあるけれど」
#22 いいのかなぁ・・・
百億の新人。
双葉さんにつけられた異名だ。
わずか半日で億単位の金が動くマーケットを構築したことで、業界関係者からそう呼ばれるようになった、らしい。
「ひゃ、百億って……。そ、そんな、大層な異名つけられたって、困りますよぉ……」
そう呼ばれた双葉さんは、半泣きになってぷるぷる震えていた。
ゴールドラッシュモードはもう終わったらしい。システムを構築している時はイケイケドンドンだった彼女も、一息つくとすっかりいつもの調子に戻っていた。
まあ、彼女には引き続き頑張ってもらうとして。
「できましたよ、白石さん」
九重さんのトレーラーで、頼んでいたものを受け取る。
レッグホルスター。太ももにくくりつけるタイプの、シリンダー用ホルスターだ。
「普通だね」
「見た目はそうですが、使われているのは魔物素材です」
見た感じ、普通の革製ホルスターだ。装着してみてもそんな感じ。
一応、内側に術式が刻まれているけれど、つけてしまえば外からは何もわからない。
「風走りのシリンダーを差し込んで、ロックしてください。使い方は変わりません。シリンダーに魔力を通せば、ホルスターの術式が自動で補助してくれます」
「ん、わかった」
このホルスターは、加速魔法・風走りの専用補助装置だ。
ルリリスに調整してもらった風走りの魔法は、あまりにも速すぎて制御が難しいという欠点がある。長距離移動には重宝するんだけど、戦闘中の細かな位置取りには向かなくなってしまった。
それすなわち、制御不能の超神速。
はっきり言おう。そういうの、大好きだ。
そんなわけで、この速度を活かしつつなんとか制御できないかと相談したら、九重さんはひとしきり頭を抱えた後、このホルスターを作ってくれた。
「試してくる」
「お気をつけて」
外に出て、ホルスターに収めたシリンダーに魔力を通す。少しずつ、アクセルを開くように。
暴風が両足に絡みついて、余波だけで体が浮き上がる。一歩足を踏み出すと、凄まじい推進力が両足から放たれた。
しかし。今回の一歩は、いつもと違った。
:お?
:制御できてる?
:スピードはそんなに変わってないけど
:なんだこれ
:空中を走ってる?
靴の裏側に、不思議な反発力を感じる。
空中に足を踏み出すと、足の裏に空気の板のようなものが作られるのだ。その空気に摩擦力はほとんどないけれど、反発力は確かに存在する。
まるで、見えない氷の上を走っているかのようだった。
加速力自体はそこまで変わっていないけれど、機動力には大きな変化があった。横に曲がろうと足で蹴ると、空気の板はしっかり反発して横ベクトルの力を生む。
これ、走るんじゃなくて、滑ったほうがいいかも。
「よっと」
無理に蹴り足を出さず、板の上を滑るように走ってみた。
反発力を使って推力を制御し、勢いを殺さないようにまっすぐ滑る。曲がる時は重心を傾けて、旋回するようにくるんと回ればいい。
感覚的にはスケートに近い。エア・スケートって感じだ。
「いいね、これ」
シリンダーに供給する魔力を切ると、風走りの魔法も、空気の板も消失する。地面にすたっと着地したら、靴はちゃんと大地を踏みしめた。
「白石さん、一瞬で使いこなしますね……。さすがの運動神経です」
「これ。どういう、仕組み?」
「圧縮した空気の層を靴の底に生み出す術式が刻まれています。動力は風走りのシリンダーから分岐回路を引きました。速度に応じて出力や反発力を自動で調整しているらしいですが……。詳しいことは、ルリリスさんに」
「えと、あの子が、作ったの?」
「はい。ドーナツ一箱で手伝ってくれましたよ」
「……わるい人だ」
「冗談です。技術料はしっかりお支払いしますが、彼女に直接渡すより、白石さんに預けたほうがいいと思って」
:正解
:あの子、人間社会ではおこちゃまみたいなもんだからなぁ……
:お金の使い方とか知らなさそう
「なら、私から、払っとくよ」
「いいんですか?」
「その方が、早いでしょ」
「すみません、お願いします」
どうせ、注文したの私だし。
それにルリリスには、あんまりほいほい食べ物に釣られるなと言っておかないといけない。
このキャンプ場では、迂闊に人についていくと妙な企画に巻き込まれたりする。
私も何度か騙されて、コスプレ大会(着せ替え人形にされた)や、ホラー映画の同時視聴(泣きそうだったけど頑張って耐えた)や、キャンプ場最強決定戦(優勝した)なんかをやらされたりした。
あの子もお菓子なんかに釣られてたら、そのうち変なことに巻き込まれるんじゃないかって。監督責任者としてはちょっと心配だ。
「るーりーりーすー?」
九重さんと別れ、キャンプ場でルリリスを探す。
「ひっ」
ほどなくして、彼女はキャンプ場の外れで見つかった。
ルリリスは、人気のない場所でドーナツの箱を抱きかかえて、なにかに怯えるようにぷるぷると震えていた。
「な、なんだよ、楓かよ……。びびらせんなよ……」
「どうか、したの?」
「に、逃げて、きたんだ……。もう嫌だ、人間なんか嫌いだ。お前らは、どいつもこいつも嘘つきばっかだ……!」
「そっかー」
すでに何かあったらしい。彼女はすっかり人間不信な目をしていた。
隣に座ると、ルリリスは一瞬びくりと体を震わせる。だけど、私から逃げたりはしなかった。
「何が、あったの?」
「あ、ああ……。見えるか、楓。あいつだ。あのちんちくりん、あいつは悪魔だ」
ルリリスは震える指で、遠くを指差す。その指先には、運営キャンプで仕事をしている双葉さんの姿があった。
今度は彼女が悪魔らしい。ルリリスの生きる世界は悪魔だらけで大変だ。
「あいつが言うんだ、もっとたくさんナイフを作れって。作っても作っても、まだまだ全然足りないって。私はもう、二時間もナイフを作り続けたってのに」
「えと……。二時間?」
「ああ、二時間だぞ、二時間。信じられるか……?」
:うーん……?
:そんな拷問を受けました、みたいなノリで言われても
:今のところ、たった二時間で逃げてきた人だけど
:よっぽどなんかあったんかな
「休憩、なしとか?」
「いや、休憩は適宜取っていいって言われた」
「なんか、嫌なこと、された?」
「そういうわけじゃない。良くしてもらってる、と思う。だけど私は、もう二時間も働かされたんだ……」
「ルリリス」
「あ、ああ」
「仕事に戻れ」
「!?」
:正真正銘たった二時間で逃げてきた人じゃねーか!
:根性なしがよぉ~~~~~
:二時間労働なんて根性のこの字もいらんわ
「まだ二時間、でしょ。もうちょっと、がんばって」
「まだってなんだよ、まだって! 二時間も仕事したらもう十分だろ!?」
「人間は、一日、八時間は働く」
「八時間!?」
「それを週五」
「八時間労働を週五ォ!? んなことしたら死んじまうって! 拷問だろ拷問!」
:ふふ
:拷問なんだって、かわいいね
:人によってはこれに月数十時間の残業が加わりますが
:なんで俺らってこんな意味わかんねえことやってんだろうな
:なんか俺、ルリリスの言ってることが正しいような気がしてきた
人間社会の闇を前に、ルリリスはすっかり怯えてしまった。
かわいそうに。社会が悪いよ、社会が。
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