六章 重たい雨空に行く手を阻まれたとしても、

「話せることを話そうか。少しでも後悔しないために」

 #20 あれでよかったっていうために


「まずは、事実の確認から始めましょうか」


 蒼灯さんが口火を切る。

 呪禍対策特設本部となった運営テントの中に、私たちは集まっていた。

 参加者は八名。私、蒼灯さん、ルリリス。探索者協会の双葉さんに、学者の天井さん植村さん生駒さん。オンライン参加で真堂さん。前回と同じメンバーだ。


「昨日、呪禍と探索者が接近し、交戦に至るという事件がありました。被害に遭った探索者は二名、どちらも白石さんの手により救助されています。内一名は重傷を負いましたが、命に別条はありません。御覧頂いている映像はその時の交戦記録です」


 テント内のプロジェクターで、呪禍との交戦記録が映し出されていた。

 ルリリスは興味深く見ていた(たぶん、彼女が興味を持ったのは映像というものであって、中身ではない)が、他の参加者はそこまで注意を向けていない。

 この件については事前に情報周知があった。ここにいる人たちも、この映像は事前に何度も見ているはずだ。


「その時の戦闘について。白石さん、報告をお願いできますか」

「えと、報告?」

「なんでもいいです、思ったままに話していただければ」


 え、あ、うん。報告。報告ね、わかった。


「強かった、です」


 そう答えると、テントの中に妙な雰囲気がただよった。

 七対の視線が私に向けられて、急に居心地が悪くなる。特にラップトップ越しに感じる真堂さんの目が怖い。あの一言言いたそうな目が特に怖い。


「白石さん、白石さん。もうちょっと。もうちょっとがんばって」

「あ、うん。ごめん……」


 蒼灯さんが小声でささやく。

 いや、だって。突然振られるなんて思ってなかったし……。もうちょっと時間がほしい。頭の中で言葉をまとめる時間が。


「えと、速かった、です。あと強くて……。だけど、振り回すばっかで、ちょっとおかしいなって、思いました。あ、でも、声。あの声は変でした。たぶん、えと。あれは、よくないやつ、だったのかなって……」


 再び、テントの中に妙な雰囲気がただよった。

 ……わかってる。自分でもわかってるんだ。でも、これでもいっぱいいっぱいなんだ。白石楓の言語野には、できることとできないことがある。


「あ、あの、その、えっと」

「少し、補足いいか」


 なんとかして言葉を足そうとすると、真堂さんが口を挟んだ。


「白石くんから事前に話を聞いた。呪禍は見ての通り速度に重きを置いた魔物だ。魔力量も六層相応のものがある。しかし攻撃手段はフィジカル一辺倒で、特殊能力のようなものを使ってくる素振りはなかった。そうだな、白石くん」

「あ、えと、はい。そうです」

「ただし、呪禍が最後に見せた咆哮。あれはおそらくただの声ではなく、なんらかの未知の魔法が籠められている可能性がある。詳細は不明だが警戒するべきだろう。それで合っているか、白石くん」

「おっしゃるとおりです……」

「ありがとう、報告感謝する」

「……すいませんでした」

「なぜ謝る」


 自分の席で小さくなる。もう勘弁してほしかった。私のことは路傍の石かなにかだと思ってほしい。


「しかし、特殊能力がないってのは、妙ですねぇ……」


 特に気にした素振りもなく、生駒さんはおとがいに指を当てた。


「魔物――すなわち魔力性特殊生物群は、その名の通り体内に魔力を保有する生物のことを差します……。では魔物は、その保有した魔力を何に使っているのかと言うと、もちろん魔法に使っているんですよねぇ……。その多くは身体能力を強化する原始的な魔法――探索者が魔力量に応じて強くなるのと同じものです――に使っていますが、深層の魔物ともなるとそうとは限りません。あのクラスの魔物なら、特殊能力の一つや二つは持っていると考えるのが当然ですよぉ……」

「つまり呪禍はまだ何かを隠している、ということですね。生駒さん、仮説はありますか?」


 天井さんからの質問に、生駒さんは答える。


「ええ、はい。と言っても、新説というほどでもないんですけどねぇ……。あの魔物は、魔力を食べてるんですよぉ。戦闘の一手段として」

「魔力を食べる……。呪禍の主食は魔力だという話がありましたね」

「ええ、そうですねぇ……。たとえるなら、RPGのヴァンパイアみたいなものですよぉ。ほら、ゲームに出てくる吸血鬼って、吸血攻撃とかしてくるじゃないですかぁ……。ふふ、ふふふふ……。あれってものすごく非効率的なことだと思うんですよねぇ……。戦闘の真っ只中に、首筋に噛みついて吸血、なんて。食べるために戦うのは野生動物として当たり前のことですが、倒してから食べたほうが安全だし効率的じゃないですかぁ……。しかも、戦闘中に血を吸ってパワーアップ、なんて。食べてから戦うか、戦ってから食べるか、どっちかにしたほうがいいって思いませんかぁ?」

「……生駒。それは今、関係ある話か?」

「ないですねぇ」

「省け」

「了解ですぅ」


 植村さんにストップをかけられても、生駒さんは気にした素振り一つなかった。

 変わった人だけど、メンタルは強いらしい。あるいは単にマイペースなのかもしれない。

 ちょっと羨ましい。私にもあれくらいの胆力があればいいのに。


「呪禍は自らの食性を戦闘に組み込んでいます……。そう考える根拠もありますよぉ。そうですよね、白石さん」

「え、あ、はい。私、ですか?」

「呪禍に腕を食べられちゃった子がいたじゃないですかぁ。彼女の傷口は魔力の通りが非常に悪いと聞きましたぁ。呪禍の食痕には、魔力の作用を阻害する作用があると考えるべきではないでしょうかぁ。それに、もう一つあってぇ……」

「私としてもその説を支持しよう」


 生駒さんの言葉に、植村さんが割り込む。彼女に話させると、また話が長くなると思ったのかもしれない。


「呪禍が咆哮した時、周辺の魔力濃度が急激に低下したことを観測した。あれはおそらく、周囲の魔力を吸収、あるいは破断させたのではないか。白石嬢、君もあの声を聞いた時、なにか感じたんじゃないか」

「……そう言えば、妙な感じが、しました。体の力が、抜けるような」

「おそらくそれは、身体強化に使われている魔力が奪われたからだろう」


 そう言われると、そうかもしれない。

 私が展開した風盾も、あの咆哮を受け止めたら急速に強度を失っていた。あの現象も、魔法の発動に必要な魔力が奪われたからと考えれば説明がつく。


「あのぉ……。植村さん」

「どうした、生駒」

「それ、私が言いたかったんですけどぉ……」

「時短だ」

「むー……」


 植村さんは悪びれもしない。生駒さんはちょっと不満そうだった。


「ルリリス。今の話、どう思います?」

「あってんじゃねーの? 知らんけど」


 蒼灯さんが話を振ると、ルリリスは持ち込んだ煎餅をぱりぱりとかじる。


「そこまでちゃんと調べたことねえけど、あいつがいると魔法の調子が悪くなるのは事実だぜ。その辺もキモポイントだ。あんなキモいの、私だったら絶対近づかねえ」

「まあ、ルリリスはそうでしょうね」

「私からすりゃ天敵だよ天敵。迷宮の天敵だ」


 ……迷宮の天敵、か。

 なんとなく、気になる言葉だった。

 どこかでこの言葉を聞いたことがあるような気がする。だけど、どこで聞いたのか、いまいち思い出せなかった。

 まあ、いいか。わざわざ気にすることじゃない。


「あ、あの……。でも、それって。私たち人間には、致命的ってわけじゃないですよね……?」


 そろそろと手を上げたのは、探索者協会の双葉さんだ。


「魔物にとっては致命的かもしれませんが、探索者は武器戦闘が主体ですし……。映像記録を見るに、白石さんなら勝てます、よね? なら次は、斬って倒しちゃえば、いいんじゃないですか……?」


 そう言いつつ、双葉さんはちらちらと真堂さんの方を見る。

 この前、似たようなことを言ってばっさり斬られたことを覚えているのかもしれない。彼女は小動物のように真堂さんの顔色を伺っていた。

 その真堂さんはと言うと。


「だ、そうだが。どう思う、白石くん」


 まず、私に喋らせるつもりらしい。

 ……どちらかと言うと、私は双葉さんの意見に賛成だ。救助者として安全を第一にするのもわかるけれど、探索者としては倒せるなら倒してしまったほうがいいと考える。

 しかしそれは、倒せるならの話だ。


「わかりません」

「え、と。わからないってのは……?」

「次に戦った時。倒せるかどうか、わかりません」

「え、ええ……?」


 探索者として、戦力評価に嘘はつけない。

 倒せるなら倒せるって言うし、倒せないなら倒せないって言う。だけど私があいつに勝てるかどうかは、本当にわからなかった。


「白石くんが言うには、呪禍は人間を学んでいた可能性がある」


 私の代わりに、真堂さんが説明する。


「戦いの中で、ヤツはより有効な戦法を取るように変化した。加えてあの魔物は、戦闘よりも観察を優先していた節がある。呪禍は人間を学習し、成長したんじゃないか、というのが彼女の所感だ」

「ま、魔物が、ですか!?」


 双葉さんが驚くのも無理はない。

 魔物が成長すること自体は珍しくないが、たった一度の戦闘で成長する魔物なんて聞いたことがない。

 考えすぎならそれでいい。だけどもし、この予想が当たっていたのなら、呪禍の脅威度は跳ね上がる。


「で、でも、相手は魔物ですよ? そんなに急に成長するなんて、ちょっと信じられないんですけど……」

「いいえ、妥当な考えだと思いますよ」


 答えたのは天井さんだ。


「成長よりも、適応と呼ぶべきかもしれませんね。あの魔物は迷宮という場に適応しようとしている。それは至極自然なことです」

「自然な、こと……?」

「彼の気持ちになって考えてみましょう。呪禍は遠い遠い宇宙の彼方から、何かを求めてこの迷宮に降り立った。その目に映るものすべてが、彼にとっては見慣れないものだったはずです。さて双葉さん。あなたがその状況になったら、どうしますか?」

「へ、え、え? 私が、ですか? そ、そんなのわかんないですけど……。まずは、周りを調べてみるんじゃ、ないですか……?」

「それは何のために?」

「なんでって……。だって、知らない場所、なんですよね? そこが安全かどうかなんて、わかんないじゃないですか……?」

「そう、安全確保。その場所が安全かどうか、周囲に自分を脅かしうるものがないかを調べる。生き物としてはまず真っ先に気になるところですね」


 天井さんは続ける。


「迷宮に降り立った呪禍は、周囲をよく調べたはずです。この場所に危険はあるか。身を休められる場所はあるか。食べられるものはあるか。最初は慎重に、少しずつ大胆に。そうしてこの場所に根ざそうとしていたある日、彼は見慣れない生物に出会いました。それが、私たち人間です」

「人間、に……」

「初めて見る生き物を調べる時、真っ先に気にしなければならないのは危険度です。相手は自分よりも強いか否か。そして今、呪禍は知ってしまった。人間には、彼を殺しうる力があることに」


 双葉さんは震える声で聞いた。


「ま、待ってください。呪禍は、人間を調べようとしたってことですか……?」

「ええ、その可能性が一番合理的であると思いますね。だからあの獣は、探索者を襲撃した」

「ただ単に、自分の獲物を取り戻しにきただけなんじゃ……?」

「なぜ? 呪禍が食べるのは魔力です。魔力核を失った死骸を奪い返したって、彼にとっては意味がない」

「だけど……。相手は、ただの魔物で……」

「ただの魔物、なんてものはいませんよ。あれは、迷宮という異邦の地で、全身全霊で生き延びようとしている一個の知性体です」


 穏やかな声で話しながらも、天井さんの目は少しも笑っていなかった。


「この先、呪禍が取りうる選択肢は、大きく分けて三つです。尻尾を巻いてこの迷宮から逃げ出すか。人間を避けて森の奥に姿を消すか。あるいは、人間という外敵を排除するために牙を研ぐか。この三択は私たちにも言えることです。我々人間は呪禍という脅威に気づきました。逃げるか、隠れるか、戦うか。私たちは選ばなければなりません」


 きっと私たちは、この時になってはじめて呪禍という脅威を正しく認識した。

 人と獣の戦いは、いよいよもって生存競争の様相を呈してきた。この迷宮という空間で、私たちは生き残るための選択をしなければならない。


「……呪禍を放置することは、必ずしも安全策ではありません」


 蒼灯さんが言う。


「恐るべきはその適応力です。異星の環境にもその身ひとつで適応し、生存を可能とする能力。それを戦闘に転用した時、果たしてどれほどの力を見せるのでしょう。あの魔物に時間を与えることが得策とは思えません」

「そこは私も同感かな。たしかに呪禍は時間と共に強くなる。やるんだったら、手のつけられる内に仕留めちまった方がいいと思うぜ」


 ルリリスが答えると、蒼灯さんは呆れたように彼女を見た。


「……ルリリス。あなた、呪禍の適応力を知っていたなら、なぜ言わなかったんです」

「いやだって、そこまで深く考えたことねえもん。降ってきたばっかの個体よりも、ちょっと時間経った個体の方がつえーな、くらいの認識だったわ」


 そこで蒼灯さんはちらりと私を見る。言いたいことは、なんとなく伝わった。


「問題は、倒せるか、だよね」

「……はい。その通りです」


 本当に微妙なところなのだ。

 絶対に勝てるとは言えないけれど、勝ち目がないってわけじゃない。私と呪禍のどっちが強いかなんて、やってみなきゃわからない。

 戦うべきか、否か。

 私にはまだ、その判断はつかなかった。

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