じゃ、そろそろ始めていいですか

 #17 だいじょうぶだよ、たぶんね


 キャンプ場の側にある小高い丘で、私はぼんやりと風に当たっていた。

 渓谷に面したこの丘からは空がよく見える。リスナーたちにおすすめされたから来てみたけれど、なるほど確かにいい場所だ。


:いい景色

:ここ来るとあの夜を思いだすなぁ

:あの星空は綺麗だったね

:迷宮夜散歩、またやってほしいなぁ


「?」


 なんのことだろう。そんな配信なんて、した覚えはないんだけど。

 リスナーたちの雑談を眺めつつ、草地に寝転んで空を見上げる。気を抜けば眠くなるほど、穏やかな時間がすぎていった。

 と、そんな時。


「ここにいましたか」


 足音とともに、蒼灯さんの声がした。

 蒼灯さんは私の隣に腰掛ける。体を起こすと、すぐ側に彼女の顔があった。


「探してた?」

「ええ、ちょっと。お話したいことがあって」

「ルリリスのこと?」

「はい、お察しでしたか。白石さん、彼女の正体なんですが――」

「わかってる」


 聞く必要はない。

 聞かなくてもいい。全部、わかってる。


「大丈夫。ちゃんと、わかってるから」

「……気づいてたんですか」

「うん」


 説明されるまでもなく、ルリリスのことならわかっている。

 そのきっかけは、最初に出会った時に気がついた、些細な違和感だ。


「私、一度戦った相手の癖とか、忘れないから」

「え、なんですかそれ」

「隙とか、弱点とか、全部覚えるようにしてる。それで気づいた」

「普通にすごい……」


:え、マジ……?

:そういやプロの探索者だったなこの子

:人間性能の大半を迷宮探索に極振りしてるだけはある

:人の名前は忘れても戦った相手のことは忘れない女

:じゃあ、最初から気づいてたってこと?


 最初からってわけじゃない。確信したのは、真堂さんから電話をもらったタイミングだ。

 あの子から感じたリリスの気配と、真堂さんが教えてくれた強力な魔物の反応。あわせて考えれば、答えなんて一つしかないだろう。


 それでもルリリスのことを危険視しなかったのは、彼女から敵意を感じなかったから。

 敵意や殺意もなんとなくわかるんだけど、ルリリスからそんな気配はしなかった。むしろ彼女が向けてきたのは、不安や怯えといった弱々しい感情ばかりだ。

 だから、心配になった。どうかしたのかなって。


「蒼灯さん。ルリリスと、話した?」

「ええ、少しだけ」

「あの子、悪い子じゃないと思う」

「まあ……。こちらに敵意がある、という様子ではなかったですけど」

「ルリリスには、ちょっとだけ、私たちと違うとこがある。でも、それだけだから」

「あれをちょっとと言いますか」

「うん。ちょっとだけ」


 人間と魔物。そんなもの、些細な違いだ。

 言葉は通じるし、話もできる。だったら何か問題になることがあるだろうか。

 私たちはきっと上手くやっていける。だからこれは、わざわざ騒ぎ立てるようなことじゃない。


「ただ、友だちが、一人増えただけ。それじゃ、ダメかな?」

「白石さん……」


:お嬢……

:お嬢の懐がデカすぎる

:ちょっと前に殺し合った相手やぞ……?

:そもそも人外だぞ? そんな簡単に割り切れるか?


「……もしも」


 沈んだ声で、蒼灯さんは言う。


「もしもあの時、私が死んでたら。それでもあなたは、同じことを言いますか」

「言えないよ」


 それは、想像するのも恐ろしいことだけど。答えならきちんと持っていた。


「助けられなかったら、何も言えない。守りたかったものも、貫きたかった信念も、誓った言葉も、思い描いた明日も。全部、全部、壊れちゃうから」


 失敗してもいい救助なんて、ない。

 見捨ててもいいものなんてない。助けなくてもいい人なんていない。救わなくてもいい命なんてない。

 私の仕事はゼロか百かだ。一つ取りこぼせば、それ以上に多くのものを失う。


「だから、助けられて、本当によかった」


 だからこそ。

 守り抜いたものには、きらめくような価値がある。


「……ごめんなさい」

「……?」

「少しだけ、あなたを疑いました。今、めちゃくちゃ反省してます」

「えと……。よくわかんない、けど。私、気にしてないよ?」

「いっそ埋めてください……」

「埋めないよ」


 なんか、蒼灯さん、めちゃくちゃ落ち込んでいた。なんで。


「白石さん。あの時、どうして私を助けたんですか?」


 さっきよりは明るい質問。それにも、答えは用意してあった。


「蒼灯さんと、こんな風に、話したかったから」

「ずるくないですか、それ」

「最高の明日っての、見たかったんだ。誰も悲しまなくていい、みんなが笑っていられる、そんな明日が。きっと、今見てるのが、それなんだと思う」

「もっとずるいですよそれ……」


:この子ほんまに……

:ほぼ殺し文句でしょこれ

:やだもうめっちゃいい子……

:何食ったらこうなるんだ

:はちみつ入りレトルトカレーだよ


「……あなたの言うみんなには、きっとルリリスのことも含まれてるんでしょうね」

「うん」

「あーもー、即答するんですもん。わかりました、私の負けです」

「勝負だったの?」


 なげやりに言う蒼灯さんは、どこか清々しい顔をしていた。

 天気は快晴。大空に広がる深い青のキャンバスには、雄大な入道雲がゆったりと漂う。

 枝葉を揺らして夏風は香り、陽光は草木をきらきらと輝かせる。手を伸ばせば触れられそうなほどに、圧倒的な空がそこにあった。


「たしかに、いい景色です」

「ね」

「今度はルリリスも誘いましょうか。あの子もこういうの、好きかもしれませんし」

「だといいね」


:綺麗な空だぁ……

:あの日何かが失敗してたら、こんな風に空を見ることもなかったんだろうな

:俺、この空が見られてよかったよ

:明日の天気も晴れるといいな


 季節は夏。わくわくとする、楽しい季節だ。

 いつまでもこんな日々が続けばいい。そう願わずにはいられないほどに。


「白石さん。一つ、わがままを言ってもいいですか」


 空を見ながら蒼灯さんは言う。


「これからも救ってください。どうか救い続けてください。私も、あなたの描く明日の景色を、見てみたくなりました」


 それはまるで、祈るように。


「お願いします。私にできることなら、なんだってしますから」


 託されたものを心に留める。

 これもきっと、大切な思い出になるから。


「それなら、蒼灯さん。私からも、お願いしていい?」

「なんなりと」

「蒼灯さんも、一緒に描いてほしい。私には、できないことが、たくさんあるから」


 そう聞くと、蒼灯さんは意外そうな顔をした。


「白石さん。少し、変わりましたね」

「え、そう?」

「はい。以前はもっと、なんでも一人でやりたがる人だったような気がします」

「……そうかも」


 たしかに、最初はそうだったかもしれない。

 だけど、キャンプをする中でわかったことがあった。

 キャンプ場がこんなに盛り上がったのは、私一人の力じゃない。蒼灯さんが呼びかけて、探索者が集まって、みんなそれぞれの協力があったからこそ今日がある。

 私がやったことなんてただのきっかけにすぎない。それを理解した時、一人でやろうなんて考えは自然と頭から消えていた。


「蒼灯さんの、おかげだと思う」

「私はそう大したことはしていませんよ」

「ううん、そんなことない」


 蒼灯さんには本当に感謝している。

 私にきっかけをくれたのは蒼灯さんだ。今回のキャンプもそうだし、あの魔力収斂の時だって、私は彼女の勇気に助けられた。

 もしかすると、始まりはあの時だったのかもしれない。

 あの日、迷宮三層で蒼灯さんを助けたあの時から、何かが大きく変わり始めたような、そんな気がする。


「でも、白石さんの交友関係が広がったようでよかったです。部下の方々ともうまくやっているみたいですし」

「うん、なんとか」

「鍛冶師の九重さんとも仲良く話してたって聞きましたよ。それに、ルリリスのことなんかすっかり気に入っちゃって。よかったですねー」

「あれ、えと」


 こころなしか、蒼灯さんの言葉がそっけなくなったような。


「……蒼灯さん。どうか、した?」

「知りません。ルリリスはトレーニングに誘うのに、私は誘ってくれないんだーなんて思ってません」

「わ、わ、わ」


 ええー……。

 さ、誘ってほしかったのかな。そんな素振りなんて、これっぽっちもなかったと思うんだけど……。


「だ、だって。蒼灯さん、いつも、忙しそうにしてるから……」

「私だって、白石さんと遊びたくてここに来たのに。仕事にかまけてたら浮気された気分です」

「いや、その、えと」


 浮気て……。

 ど、どうしよう。こういう時、どうしたらいいんだろう。私のコミュ力も少しは成長したのかもしれないけれど、さすがにこんな状況には対処できない。

 段々と頭がぐるぐるして、よくわからなくなってくる。


「……いい?」


 とりあえず、座ったまま体を寄せてみた。

 おずおずと見上げてみる。……どうだろう。だめかな。


「くっそかわいい……」

「蒼灯さん?」

「やっべ、声に出てた」


 蒼灯さんは口を押さえて、小さく咳払いした。


「冗談ですよ、冗談。怒ってません」

「よかった……」

「今度また遊びに行きましょうね。仕事が少ない時に」

「うん。忙しくない、時に」

「……なんで私たち、キャンプしてるのに働いてばっかいるんでしょうね」

「ごめん……」


 人が増えたこともあって、私たちは毎日忙しい。こんな風にのんびりしていられるのも、実は貴重な時間だった。

 ただ、こういうのも戦友って感じがして、ちょっとだけ悪くないなって思っていたりする。


「それで、えと。……返事、聞きたいんだけど」

「返事?」

「さっきの。一緒に、ってやつ」

「ああ」


 大事なことだから、きちんと聞いておきたかった。

 蒼灯さんはにこりと微笑む。


「決まってるじゃないですか。私でよければ、喜んで――」


 その時。

 私のスマートフォンが、けたたましく着信音を放った。


:あ

:おい

:ちょっと

:せっかく俺らが気配消してたのに

:よりにもよって今かよおおおおおおおおおおお

:空気壊れちゃった……


「ごめん、電話が……」

「出てください。大事なことですから」


 蒼灯さんの言葉に甘えて、着信に応答する。

 なんとなくわかってたけど、電話をかけてきたのは真堂さんだった。


「白石くん、今いいか」

「……いいですけど」


 この人、いつもいつも間が悪いんだよなぁ……。

 だけど真堂さんが電話をかけてくるのは、大事な用がある時だけだ。出ないわけにもいかなかった。


「以前検出した魔力反応についてだが、結論から言うと計器の誤反応ではなかった。それについて報告したい」

「ああ、あれですか」


 あの時真堂さんが言っていた反応は、たぶんルリリスのことなんだろう。

 あの子、以前戦った時よりも大幅に力が落ちているけれど、それでも四層相当の実力はある。迷宮二層に生息する魔物と比べたら群を抜いて強力だ。計器が反応するのも頷ける。


「それなら、もう、大丈夫です」

「……どういうことだ?」

「ルリリスのこと、ですよね。あの子は、敵じゃないので」


 何にせよ、あの件はもう解決済みだ。私は気にもしていなかった。


「違う。俺が言っているのは、ルリリス・ノワールの反応ではない」

「……へ?」

「計器は彼女の魔力も検出していたが、そちらは元より問題にしていない。検出したのはもっと巨大で、異質な反応だ」


 それは、どういうことだ……?

 あの反応がルリリスのものじゃなかったのなら。つまり、それは。


「魔力量にして六層の魔物に匹敵する反応が確認された。魔力の質も際立って異常だ。通常の魔物とは明らかに異なる――。こういった表現が正しいかはわからないが、あえて言おう。悍ましい、反応だった」


 ひんやりとした、悪寒が。

 秘められた悪意が。忍ばされた刃先が。隠された恐怖が。


「気をつけろ白石くん。そのあたり、何かいるぞ」


 呪いのように、私の背筋をぞわりと撫でた。

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