なかよし(バチバチ)

 前言撤回。楓はやはり悪魔だった。

 朝の散歩が終わった後、あの悪魔はおもむろにこんなことを言い出したのだ。


「じゃ、筋トレ、しよっか」

「……は?」

「一緒にやろ」


 それから始まったのは、口に出すのも憚れるような恐ろしい儀式だ。

 悪魔は奇妙な運動を始め、私にもそれを真似しろと言う。恐る恐るにやってみたが、これのなんと過酷なことだろうか。

 儀式を続けるほどに疲労感は蓄積し、全身から滝のような汗が流れ落ちて、最後には膝が震えて立っていられないほどだった。


「ルリリス。体力、ないね」

「う、うるさいっ……」


 悪魔が言うには、これがトレーニングなのだという。

 絶対に違う。おそらくこれは拷問の一種だ。悪魔は私を騙そうとしているのだ。

 早々にダウンした私を置いて、楓はどこかへと走っていった。走り込みとやらをするらしい。私も誘われたが、さすがに付き合う体力は残っていなかった。


「はあ、くそっ……。あいつ、やっぱ、悪魔だろ……!」

「お疲れですね」

「うわっ」


 へたりこんで息を整えていると、真後ろから声をかけられる。

 そこに立っていたのは、昨夜もいたあの女だ。


「……青い女」

「蒼灯です。蒼灯すず」


 青い女――蒼灯すずは、私に半透明のボトルを差し出した。


「あ? なんだこりゃ」

「スポーツドリンクです。どうぞ」

「お、おう」


 受け取ったそれを手の上で持て余す。

 見た目以上に重い。これは、中に液体が詰まっているのだろうか。


「蓋のところを回すんですよ」

「ふ、蓋? 蓋っていうと、これか?」

「……貸してください」


 蒼灯すずは私の手からボトルを取り、蓋を開けてから再び差し出した。

 中に含まれている液体をちびっと舐める。ひんやりとした甘みのある水が喉を滑り落ちて、気づけば私は夢中でそれを飲んでいた。


「うまっ……。なんだこれ、めっちゃうまくないか!?」

「ふむ……。汗を流すし疲労もする。味覚もそう大差はない、と。こうして見ると、人間とそう変わりませんね」

「な、なんだよおい。何じろじろ見てるんだよ」

「あなたの生態には興味があるので」


 蒼灯すずは、側にある白石のテントから折りたたみの椅子を二つ持ってくる。


「どうぞ、座ってください」


 何か話があるらしい。私はおとなしく従った。


「それで、リリス。あなた死んだはずですよね。なんで生きてるんですか」

「違う、ルリリスだ」

「些細な違いでしょう」

「大違いだ。お前だって、人間って呼ばれるのはムカつくだろ」

「はいはい、わかりましたよ。それよりルリリス、私の質問に答えてください」


 言葉の節々には、隠しようもなく棘がある。

 昨日、楓の前で話した時とは明らかに違う。彼女からは、歓迎されていない雰囲気がひしひしと伝わってきた。


「限定蘇生魔法を使ったんだ。消滅する寸前に術式を噛ませて、時間差で肉体を再生させた。まあ、再生前に魔力核を奪われたせいで、力は大幅に減っちまったんだけどな」

「ふむ……。とても面白い魔法ですね、詳しく説明してください」

「はん。私はこれでメシ食ってんだ、種までは教えられねえよ」

「……まあ、いいでしょう」


 多少の質問には答えるが、なんでもかんでも教えるわけにはいかない。

 魔法は私にとっての生命線だ。むざむざ手の内をさらすつもりはなかった。


「次の質問です。ルリリス、あなたは何が目的ですか」

「それは昨日話しただろ。私はただ、自分の魔力核を取り戻したいだけだ」

「本当に? 本当にそれだけですか?」

「なんだよ、やけに疑うじゃねえか」

「私は白石さんほどお人好しではないので」


 蒼灯すずはすっと目を細める。


「それに、あなたには一度、殺されかけましたから」


 薄っすらと向けられたそれは、間違いなく敵意だった。

 彼女が何のことを言っているのかは心当たりがある。

 あの日私は、こいつや楓と命のやり取りを繰り広げた。結果として私は負けたわけだが、蒼灯すずを殺しかけたというのも事実だ。


「……すまん」


 そう言って、頭を下げる。

 あれについては私が悪い。自分でもわかっていることだった。


「謝るんですか?」

「あの時はさすがにやりすぎた。悪い」

「やりすぎたとは、何を」

「本気で戦うつもりはなかったんだ。人間どもに本物の魔法ってやつを披露してやろうとしたら、思ったより反応が良くて。……つい、楽しくて、調子に乗っちまった」

「は?」


 瞬間、蒼灯すずは、すごい顔をした。

 すごい顔と言うのは、すごい顔だ。彼女は人間の中でも美人な方だと思うが、美人が絶対にやっちゃいけないような、そんな顔。


「つまりあれは、遊びだったと?」

「いや、その……。まあ、ええと」

「あなたが楽しんだ反応と言うのは、私や白石さんの命がけの抵抗のことを指しますか?」

「うぐ……」


 なじられて、思わず口ごもる。だけど、私にだって言い分はあった。


「お、お前だって、昨日テントで私の反応見て面白がってただろうが!」

「たしかに。それもそうですね」

「認めんな!」


 蒼灯すずは悪びれもしなかった。

 私がやりすぎたのは事実だけど、こいつにだけは言われたくない。私はただ自慢の魔法を披露するのが楽しかっただけで、相手の命乞いを愉しむような趣味はない。

 そういう意味では、私よりもこの女の方がよっぽどイイ性格してる。


「ルリリスさん。内心ムカついてますが、不思議とあなたとは仲良くなれる気がします」

「奇遇だな。私もだよ、すず」

「あら、名前呼び」

「仲良くしようぜ」


 もちろん皮肉だ。私だって名前呼びなんてしたくないし、されたくない。

 だけど、向こうからそう呼んでくる以上は、おあいこってやつだった。


「それで、もういいか? お前と話してると余計に疲れるんだ」

「いいえ、まだ質問に答えてもらっていません。魔石――魔力核、でしたっけ。それを取り戻して、あなたは一体何をするつもりですか」

「何もしねえよ。心配しなくても、もう人間と事を構えるつもりなんてねえ。痛い目なら十分見たからな」


 これは本当。

 あの時はまさか人間に負けるなんてありえないって思ってたけれど、そのまさかは起こった。

 悔しいが、楓は強い。今の私じゃ逆立ちしたって勝てないし、魔力核を取り戻したところで勝てるかどうか。なんにせよ、あいつとはもう二度と戦いたくない。


「私はただ家に帰りたいだけなんだ。それには魔力核がいる」

「と言うと?」

「私の家、六層にあるんだよ」


 今となっては、懐かしい気持ちで思い出す。

 私にも家がある。人間たちのそれほど整っていないかもしれないが、それでも私にとっては帰るべき場所だ。


「今の私に六層まで潜るのは無理だ。たどり着くまでに殺されちまう。四層までならなんとかなるが、五層の魔物にゃ勝てねえだろうな」

「……魔力核がなければ、あなたは四層相応の力しか振るえない、と」

「そうだよ。あれがなきゃ、私は家に帰ることもできない」


 嘘は言っていない。全部本当だ。

 今はもう、ただ家に帰りたい。それだけだった。


「あなたにも、帰るべき場所があるんですね」


 蒼灯すずは、ひどく真面目にそう呟いた。


「なら、魔力核さえ取り戻したら、ここから立ち去るということでしょうか」

「それは……」


 どう答えるべきか、少し迷った。

 昨日までは確かにそうするつもりだった。だけど今は、少しだけ考えが違っていて。


「まあ、その、なんだ。すぐってわけ、じゃねえかも」

「他に目的でも?」

「ああ、いや。そんな大したものじゃねえんだが……。ちょっと、興味が湧いてな」


 この場所に来て、曲がりなりにも私は人間ってやつに触れた。

 その中で、ふと思ったことがある。


「お前らのこと、もう少し知りたくなったんだ」

「へえ、どういった点にご興味が?」

「一番は魔法だ。人間の使う魔法は面白い。それ以外にも、どういう道具使ってんのかとか、どんな暮らししてんのかとか。あと……」


 あと、楓のこと、とか。

 そう言いかけて、あわてて口を閉じた。


「あ、いや、なんでもねえ。それだけ」

「ほほう……」


 どうしてあいつの顔が頭をよぎったのか、自分でもよくわからない。

 あいつは悪魔だ。私たちは敵同士だ。だけど、それだけじゃないような。

 言葉にできない関係性が、頭の中にもにょもにょと渦巻いていた。


「な、なんだよ。お前だって、私の生態がどうのって言ってただろ。これも同じだよ、同じ」


 誤魔化すように、慌ててそんなことを口走る。

 すずは、にこりと薄く微笑んだ。


「いいえ。あなたのそれは、少し意味合いが違うかもしれませんね」


 ……なんか、何もかも見透かされたような気がする。

 こいつ、私よりも弱いはずなのに、口で勝てる気がまるでしない。楓とは別の意味で敵に回したくないやつだった。

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