白い悪魔と黒い魔女
#??-EX (no record)
夜の帳が下りた暗い森を、明かりも持たずに少女は走る。
黒いローブに黒い帽子。魔女のような装いに身を包んだ少女は、長い金髪を揺らしながら、必死になって逃げていた。
「はっ……はっ……!」
運動はあまり得意ではない。少し走るだけでも息は上がり、胸はばくばくと早鐘を打つ。
それでも足を止めるわけにはいかない。立ち止まれば、命はない。
途端、周囲に濃密な魔力の気配が漂った。
「くそっ!」
少女は即座に魔法を展開する。
彼女の手にシリンダーは握られていない。しかし魔法は遜色なく作動して、魔法障壁を生み出した。
次の瞬間、荒れ狂う暴風が障壁に激突する。一瞬でも遅ければ自身に飛んできたであろうそれは、魔法障壁を大きく歪ませて、ただの風へと戻っていった。
「殺す気かよ……!」
夜の森に恨み言を放つ。
それに呼応するように、風をまとって宙に浮く襲撃者が、月光の下に姿をあらわした。
「あれくらいじゃ、死なないよ?」
着古した白衣に、血のように赤い真紅の腕章。焦げ茶色の髪は夜風に揺れて、紅玉の瞳は一切の感情を伺わせない。
月天を背負って空に舞う少女。風になびいた白衣は、翼のように広がって。
「白い、悪魔……」
その姿は、さながら悪魔のようだった。
風魔法を使って宙に浮いていた悪魔は、すとっと草地に降り立つ。黒い少女は無意識に後ずさった。
勝てるだろうか、という算段は即座に棄却する。少女自身も有数の使い手であることは自負しているが、目の前にいるソレはあまりにもレベルが違う。
キャンプで観察していた時はまだ、ここまでの差は感じなかった。しかし一度スイッチが入った悪魔は、絶望的なまでの威圧感を放っていた。
「怪物が……!」
「?」
そう罵ると、悪魔――白石楓はこてんと首を傾げる。言っている意味がわからない、とでも言うかのように。
「えと、あの。ちょっと、話を――」
「隙ありッ!」
少女は編んでいた魔法を発動する。
展開された魔法陣が体を覆い隠したかと思えば、次の瞬間に黒い少女の姿は消えてなくなった。
「え、なにそれ」
少女が使ったのは、無属性の瞬間転移魔法。人間の魔法技術では再現できていない、未解析の魔法だ。
「こっちか」
白石はすんと鼻を鳴らす。
未知の魔法で消えた少女だったが、そこまで離れたところにいるわけではないらしい。研ぎ澄まされた直感と本能で位置を割り出し、白石は即座に追跡を再開した。
一方、黒い少女はと言うと。
「くそっ……! 全っ然、魔力が足んねえ……!」
口汚いことを呟きながら、徒歩での逃走を続けていた。
本来ならば迷宮の層をまたいでの転移すらも可能とする魔法だ。しかし供給される魔力が足りず、術式はごく短距離のテレポートを引き起こすに留まった。
「やっぱ魔力核がねえと……。でも、どうすりゃいいんだよ……!」
こんなはずじゃなかった、と少女は強く歯噛みする。
本来の力があればあの悪魔とも正面きってやりあえる。勝てるかどうかはわからないが、少なくとも簡単には負けないはずだ。
だが、力の源である魔力核はその手にない。今の少女にできるのは、ただ逃げることだけだった。
「まって」
平易な声が耳元に届いて、ぞくりと背筋が震えた。
後ろ首めがけて振るわれた、巨大な戦斧を知覚する。生存本能がけたたましく危険信号を鳴らし、黒い少女は身を投げ出すように全力の回行動を取った。
「ぶべっ」
頭から地面に着地し、ごろごろと転がる。鼻が潰れて妙な声が出た。
実際のところ戦斧なんてものはない。白石はただ、少女のローブをつかもうと手を伸ばしただけだ。
「な、なんで、追ってくるんだよ……!」
高鳴る心臓を落ち着けながら、少女は座り込んだ姿勢で後ずさる。
「えと。お話、したくて」
「こっちはお前と話すことなんかねえ!」
「でも、私に、用があるんじゃないの?」
……ある。
少女には探しものがあり、それは白石が手にしている。少女としては、なんとしてもそれを取り戻さなければならない。
だが、こうやって面と向かって要求するには、刻み込まれた恐怖がまさった。
「来るな……!」
「大丈夫。何も、しないから」
「やめろ、近づくなぁ……! どっかいけよぉ……!」
涙目になりながら少女は後ずさる。じりじりと下がっているうちに、背中が木に触れた。
途端、ぐにょりと、木が動き出した。
「あ」
「やべっ」
ぐねぐねと動く木は、黒いツタを操って黒い少女を絡め取る。
迷宮二層でよく見られるトラップだ。ツタに絡め取られて宙吊りにされた少女は、めくれあがるローブの裾をあわてて抑えた。
「や、やめろっ、こら! お前、狙うの私じゃねえだろバカっ!」
そう訴えても、ツタに言葉は届かない。
夜闇の中で盛んに動くツタは、一本また一本と伸びて少女の四肢を拘束する。
「くそっ……! 調子乗んな! てめえなんか、その気になりゃすぐ――」
「じっとして」
少女が魔法を詠唱しようとすると、白石が動いた。
一瞬だけ鞘から剣を抜き、そして再び鞘に収める。攻撃と呼ぶにはあまりにも短すぎる、刹那の所作。
それを済ませた白石は、すたすたと少女に近寄った。
「あ……? うわっ!?」
疑問に思う間もなく、少女の体が空中に投げ出された。
彼女を拘束していた黒いツタは、それを宿す木もろとも八つに断ち切られていた。ツタの支えを失って、少女の体は自由落下を始める。
しかし、地面に激突する前に、少女はすっぽりと白石の腕に抱き抱えられた。
「大丈、夫?」
間近の距離に、悪魔の顔があった。
心臓がこれ以上なくどきどきと跳ねる。真っ赤な顔で、少女は懇願するように呟いた。
「こ、殺さないで……」
「失礼な」
さすがの白石も、少しむっとした顔をした。
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