re:邂逅

 森の奥まったところまで走って逃げて、荒くなった息を整える。

 きっとこの動悸は、急に走ったからとか、そんなんじゃなくて。


「うー……」


:お嬢、大丈夫?

:急だったからね、びっくりしたね

:まあまあ、無理しないでもろて


「だい、じょ、ぶ」


 ……じゃ、ないかも。

 近くの木の根にへたりこむ。さすがにちょっと、自己嫌悪。

 あれが善意だったってことはわかってる。迷宮内を一人で走るのは危ないから、誘ってくれた。それだけのことだ。

 そんな善意を無下にしたのは、私だ。

 断るにしたってもうちょっとやり方があっただろうに。うまい言葉が出てこなくて、あんな風に逃げ出してしまった。


 ……嫌だな、本当に。みんなはキャンプで仲良くやっているのに、私はいつまで経ってもこんな調子だ。

 友だちがほしくてキャンプ場を立てたわけじゃないけれど……。やっぱり私には、一人で探索している方が似合っているのかもしれない。


「みー……」


:あ、重傷だ

:しっかり効いてる……

:元気だしてお嬢

:あっちの人たち気にしてないよ、大丈夫だよ

:なんなら普通に心配してたよ


 そ、そっか……。それなら、まだ、いいんだけど。

 あったかめのコメントでちょっとだけ気が楽になる。飛んできた鳩も、今だけはありがたかった。

 立ち上がって歩きだす。じっとしていたって、気持ちは下を向くだけ。こういう時はとにかく体を動かしてみるものだ。


 走って逃げてきてしまったけれど、ここはどこだろう。

 スマホの迷宮地図アプリで現在地を確認する。ここからキャンプ場まで、歩いて二十分ってところか。よかった、思ったより離れてない。

 ついでだけど、この近くには湖があるらしい。嫌な汗もかいたことだし、せっかくだからそこで水浴びしていこうか。

 ほどなくして湖にたどり着く。すると、そこには先客がいた。


「はぁ……。どうしよ……」


 私と似たような年頃の女の子だった。

 美しく流れる金の髪に、装飾の施された黒いローブ。頭には不釣り合いなほど大きな黒い帽子がぶかぶかと乗っかっている。

 髪を除けば、上から下まで黒尽くめの女の子。彼女は湖のほとりに体操座りして、何やらぶつぶつと呟いていた。


「ここまで来たからには行くっきゃないよなぁ……。でもなぁ、あそこにゃ悪魔がいるしなぁ……。もし見つかったら、今度という今度は……」


 そう言って、少女はぶるぶると震える。

 当然だけど、知らない子だ。いつもならこういう時は、目を合わせないようにスルーしちゃうんだけど……。

 ついさっきコミュ力の低さのあまりに盛大に失敗をかましたばかりだ。そうやっていつまでも逃げていたら、きっと一歩も進めない。

 それにこの子、年頃、近そうだし。女の子だし。一人だし。

 最初に話しかけてみる相手としては、悪くないんじゃないか。

 深呼吸を二回。意を決して、私は彼女に近づいた。


:お嬢?

:行くのか!?

:お嬢が自分から知らない人に……!?

:やれるんか? あのお嬢だぞ!?

:がんばれ……! がんばれお嬢……!


「あ、あの……」

「……へっ?」


 勇気を出して声をかけると、彼女は素っ頓狂な声を出した。

 ぐるぐるしそうになる頭で、なんとか笑顔を作って、言葉を絞り出す。


「お、おはよ、う」


:うおおおおおおおおおおおお

:おはようだああああああああああああ!!!!

:よし! 先制攻撃で主導権を奪ったぞ!

:オーソドックスながらも、戦局の変化に柔軟に対応できる好手ですよ!

:まだだ、まだ先制おはようが通っただけだ! 油断するな……!

:さあこの一手、相手はどう返す!


 よ、よし。やった。自分から知らない人に声をかけられたぞ。がんばった、私。

 さあ、本番はここからだ。これから私は、会話という過酷な試練に立ち向かわなければならない。

 待ち受ける困難に内心ぷるぷると震えながらも、意志の力を総動員してこの場に立つ。

 一方、話しかけられた少女はと言うと。

 あんぐりと口を開けて、さっと顔を青ざめて、わなわなと震えていた。


「ぎにゃああああああああああああああっ!」


 そして少女は絶叫を上げて、どこかへと逃げていった。


「えぇー……」


:あれ、行っちゃった

:逃げちゃった……

:お嬢、なんかした?

:普通に挨拶しただけだと思うけど

:どうしたんだろうあの子


 よくわからないけれど、わかったことが一つある。

 あんな風に逃げられると、逃げられた側はちょっと申し訳ない気持ちになる。

 それが、今日の学びだった。



 *****



「はぁ、はぁ、はぁ……」


 森の中、黒い少女は荒く息を吐く。

 全力疾走をしたのなんていつぶりだろうか。大きく鼓動する胸を押さえて、彼女はふらふらと近くの木に寄りかかった。


「追ってきて、ねえよな……?」


 振り向いて、逃げてきた道を確認する。

 追っ手の姿がないことを念入りに確認してから、少女はずるずると座り込んだ。


「くっそビビった……! マジで、死ぬかと思った……!」


 心臓は今もばくばくと嫌な音を立てている。まさに、九死に一生を得た思いだ。

 少女にとって、彼女・・との接触は青天の霹靂だった。

 本来ならば、彼女にだけは絶対に気づかれてはいけなかったのに。まさか、敵地に潜入する以前から見つかるなんて思いもしなかった。

 少女からすれば予想もしていなかった緊急事態。思わずとっさに逃げてしまったが、果たしてこの判断は正しかったのだろうか。


「あいつ、だよな。見間違いなんかじゃねえ。今のやつが、あの……」


 黒い少女は、先ほどの出会いを思い起こす。

 表情の乏しい顔に、血のように赤い瞳。そして何より、全身から匂い立つ強者の気配。

 間違えようがない。あんな恐ろしい気配を放つ人間なんて、少女は一人しか知らない。

 確信と共に、強く歯を噛んだ。


「……白い、悪魔だ」


 その言葉には、たしかな敵意が籠もっていた。



 *****



 キャンプ場に戻ってきてからも、なんとなくあの子のことが気になっていた。

 湖のほとりで出会った、あの女の子。

 何がおかしいってわけじゃないけれど、何かがおかしかったような。そんな正体不明の違和感がつきまとう。


「んー……」


:お嬢?

:なんか悩んでんね

:どうかしたの?


 リスナーたちに聞いたら、この違和感の正体もわかるだろうか。

 他の配信者のことなら、彼らは私よりもずっと詳しい。あの子がどこの誰かということだって、すぐに突き止めてくれるだろう。

 ただ、それは安易な選択肢というわけではなくて。


:なになにどしたの

:俺らに聞きたいことありそうな顔してる

:なんでもお答えしますよ

:先に答えると、俺は紺色

:ぼくは白です

:今日はおピンクにしちゃった

:何が?

:パンツの色だけど

:最低だよお前ら

:聞かなきゃよかった……


「うわ……」


:普通に引いてて草

:ごめんごめんごめんお嬢本当ごめん

:お嬢にセクハラすんのやめーや! ガチっぽくなるだろ!

:せめて蒼灯さんがいる時にやれ、あの人ならうまく処理してくれるから

:蒼灯さんならセクハラしていいってわけちゃうぞ

:そもそもセクハラすんな定期

:それは本当にそう


 ……まあ、その。気を取り直して。

 実は私、いまだにリスナーとの距離感がわかっていないのだ。こんなにたくさんの人たちになんて声をかけたらいいのか、いつもいつも困っている。

 でも、悪い人たちじゃないってことは知ってるから、以前ほど緊張とかはしなくなったんだけど。


「えと、あの、みんな。ちょっと、聞きたいんだけど……」


 とにかく一度、聞いてみようと声をかける。

 その時。白衣のポケットに入れたスマートフォンが、真堂さんからの着信を知らせた。


:あ

:お電話来てますよ

:タイミング被っちゃった……


 ……この人。いつもいつも、絶妙に間が悪いんだよなぁ……。

 とは言え、仕事の電話である以上、出ないわけにはいかず。 


「はい」

「白石くん、無事か?」


 応答すると、真堂さんの切羽詰まった声がした。


「無事、ですけど」

「どういう状況だ。何があった?」

「えと、特に、何も」

「何もないだと……?」


 電話越しに、困惑気味の気配が伝わってくる。

 何かあったのだろうか。今の声音は、明らかに緊急事態のそれだった。


「真堂さん、どうか、したんですか?」

「いや……。出勤の支度をしていたら携帯に警告通知が届いた。それで今、急いで君の配信を開いたところだ」

「警告って?」

「規定水準を大幅に超過した魔力量を有する生命体との接近――平たく言えば、君が強力な魔物と接触した警告だ」

「?」


 ……強力な魔物?

 そんなこと言われても心当たりがない。私はただ、朝からランニングしていただけだ。


「何も、なかったですよ?」

「本当か?」

「はい。必要なら、アーカイブ、見てください」

「……そうだな、そうしたほうがよさそうだ」


 それで落ち着いたのか、真堂さんはふうと一息つく。


「なんにせよ、無事ならいい」


 電話口からは、安堵した声がした。


「もしかすると計器の誤反応かもしれんな。後はこっちで調査しておこう」

「すみません、朝から」

「いや、君のせいじゃない。今日も一日迷宮にいるんだろう? 気をつけろよ」

「はい」


 そう言って、真堂さんは電話を切った。


:もしかしてお仕事の電話ですか

:こんな朝から大変だなぁ

:でも救助要請とかじゃない感じ?

:普通になんかの連絡かな

:真堂さんも朝からお疲れやで


 ……強力な魔物の反応、か。

 計器の誤反応なのかもしれないけれど、少し気になった。

 それに、あの少女から感じたこともある。探索者としての経験から言うと、こういった些細な違和感には何か必ず意味があるはずだ。

 もしかすると……。


:そういやお嬢、電話かかってくる前に何か言ってたけど

:なんか俺らに聞きたいことあったんじゃない?


「……いや、いいや。ありがと」


 ……まあ、いいか。

 あの子のことは置いておこう。たぶん、また会うような気がするから。

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