四章 積み重ねた日々は星空のように輝いたから、

森の赤鬼

 #13-EX 原生密林合同攻略作戦 探索者・須藤勝


 作戦の失敗を悟り、須藤は強く歯噛みした。

 木々の間に座り込むのは、疲弊した隊員たち。誰もがボロボロに汚れた装備を身にまとい、荒く息を吐いている。

 中には傷口から血を流している隊員もいるが、手当をする余裕はなかった。この場所も安全ではない。今は、一刻も早く息を整えてここから逃げなければならない。


「くそ、とんでもねえことになっちまったな……」


 額に汗を浮かべながら言うのは、八島という男だ。

 須藤が八島と知り合ったのは、迷宮二層に開かれたキャンプ場だ。あの地を前線拠点とし、探索計画を練っていた須藤たちのパーティに、八島は須藤隊・八島隊合同での原生密林攻略作戦を持ちかけた。

 計画自体は悪いものではなかった。原生密林は迷宮二層でも屈指の危険なスポットだが、総勢十名の合同探索隊であれば難なく探索を進められる。事実、探索は途中まで順調に進んでいた。


 風向きが変わったのは、原生密林の深部へと足を踏み入れた時のこと。

 地を揺るがすような重々しい足音と、木々を震わせる猛々しい咆哮。それらと共に姿をあらわした、原生密林の王者。

 ティラノサウルス・レックス。

 魔物として復活を遂げた古代の暴君は、合同探索隊を軽々と蹂躙した。


「おい、須藤。思わず逃げてきちまったけど、どうすんだあれ」


 八島の言葉に、須藤は現実に引き戻される。

 命からがら逃げてきたが、この状況だ。そうのんびりもしていられない。


「どうするも何も、撤退するしかないだろう」

「こっちは十人だぜ。なんとかなんねえか?」

「死力を尽くせば勝てるかもしれん。だが……」


 隊員たちは疲弊している。今の状況で反攻作戦を取ったところで、果たして勝てるかどうか。

 仮に上手くいったところで犠牲が出るだろう。あまり積極的に採りたい案ではなかった。


「……そうだな、下手すりゃ死人が出る。ここまでにしとくか」


 八島も無理な作戦を強硬する気はないらしい。

 実を言うと、須藤はこの八島という男が苦手だった。

 一つの隊の長でありながら、軽薄な見た目に軽薄な言葉遣い。まるで大学サークルのようなゆるさは、須藤の思い描くストイックな探索隊の姿とは相反する。

 探索者としての実力を疑っているわけではないが、人として仲良くなれる気はしない。あくまでもビジネスとしての付き合いに留まるだろうと、須藤は考えていた。


「休憩はもう十分だろ。そろそろ行こうぜ。ちんたらしてっと、またあいつが出てくるかもしんねえ」

「ああ、すぐにここから――」


 須藤は隊員を見渡す。

 そこにいるのは七人の隊員たち。須藤隊が三名、八島隊が四名。須藤と八島を含めても、全部で九人しかいない。

 探索隊は全部で十人だ。一人、数が合わない。


「……おい。根岸はどこだ」


 隊員たちに呼びかけるも、芳しい反応はない。

 根岸は須藤隊の新人だ。今回の探索は彼の手に余るものであったが、経験を積ませるために同行させていた。

 しかし今、そんな彼の姿はどこにもない。


「はぐれたか……。おい、根岸! 応答しろ!」


 隊員に支給している無線機に呼びかけるも、返事はなかった。

 何か彼の状況を知る術はないか。そう考えていると、自身の配信のコメント欄に答えがあった。


:根岸は撤退中に転んでました、隊長

:転んだ先がちょうど窪みになってて、その中にいます

:まだ生きてるけど気絶してるみたい

:何回かコメントしたんだけど


「チッ……」


 いわゆる鳩行為というものも、今だけはありがたい。

 だが、伝えられたのは面白い話ではない。根岸を助けに行くか、見捨てるか、須藤は判断を強いられた。


「須藤。どういう状況だ」

「うちの新人がはぐれた。今のところ生きているらしいが」

「どうすんだ。引き返すか?」

「いや……」


 須藤は疲弊した隊員を見渡す。

 状況はギリギリだ。引き返すには大きな危険が伴う。しかし、このまま撤退すれば根岸の命運は決するだろう。

 助けられるとしたら今だけだ。だが、どうやって……。

 考えた末に、須藤は一つの結論を下した。


「引き返すのは危険すぎる。この状況であの化け物と戦う力はない」

「おい、まさか見捨てるって言うんじゃねえだろうな?」

「当たり前だ。俺たちは根岸の救助に向かう。だが、お前たちまでそれに付き合わせるつもりはない」

「は?」

「合同探索隊はここで解散だ。八島、お前たちは先にキャンプに戻れ。俺たちは根岸を救助してから撤退する」

「おい待てって、何言ってんだお前」

「戦闘を前提としないなら、少数の方が動きやすい。それに俺たち四人なら連携も慣れている。これが最善だろう」

「お前、自分がどんだけ無茶なこと言ってるのかわかってんのか?」


 わかっている。

 戦闘を前提としないなんてものは楽観論だ。迷宮内で行動して、戦闘を避けることの方が難しい。

 そして万が一戦闘になった場合、人数が欠けた上に疲弊している今の須藤隊では、原生密林の魔物を相手にするのは困難だ。最悪の場合、全滅ということもありうるだろう。

 それでも。須藤には、隊員を見捨てるという選択は取れなかった。


「この件は己の失策だ。お前たちにまでリスクを背負わせるわけにはいかない」

「そうじゃねえだろ!」


 そして、八島がキレた。


「お前のじゃねえ、俺たちの失策だ! 取り戻すなら一緒にだろ!」

「だが、これは危険な作戦だ。巻き込むわけには……」

「何勝手に客人扱いしてんだよ! お前らを誘ったのは俺だろうが! 巻き込めよ!」


 須藤は困惑する。

 八島と話したのは今日が初めてだ。利害関係の一致から手を結んだが、それ以上の意味合いはない。良き仕事仲間ではあるが、それ以上の仲ではなかったはずだ。


「探索者ってのは、助け合うものだろうが……!」


 八島は振り絞るように叫んだ。

 探索者には助け合いの文化が根付いている。しかしそれは、あくまでもできる範囲でのことだ。

 こんな風に、危険を冒してでも助けに行くというのは、明らかに助け合いの範疇を越えている。


「死ぬかもしれんぞ」

「死なねえよ」

「ここで帰ろうと、お前たちを恨みはしない」

「そんな話じゃねえだろ」

「お前の仲間は納得してるのか」

「舐めんな。うちのパーティに、ダチ見捨てて喜ぶようなカスはいねえ」

「……ダチ、か」


 須藤は認識をあらためる。

 この男は、お人好しの、いいヤツだ。


「……帰ったら酒でも奢ろう」

「あ、悪い。俺下戸なんだわ」

「くくっ」


 いかにも軽薄な大学生といった出で立ちをしているくせに、酒が飲めないとは。まったく、人間ってやつは見た目じゃない。

 この場にいる隊員たち、総勢九名。その顔を一人ひとり見回して、意思を確認する。


「作戦を通達する」


 一つとして、臆している瞳はなかった。


「根岸救出のため、進行方向を反転する。激しい交戦が予想されるが、死ぬなよ。誰一人として欠かすことなく、この場を脱するぞ」


 探索者たちは一斉に立ち上がり、それぞれの武器を手に取る。

 やることは定まった。異論はなく、迷いもない。あるのは燃え盛るような士気だけだ。

 さあ、いざ反転だと、一歩を踏み出そうとした時。

 すんと、風が吹きこんだ。


「あ、っと」


 控えめな声と共に、一人の少女が須藤たちの目の前に着地した。

 風と共に空から舞い降りた少女。焦げ茶の髪と、体のわりに大きな白衣が、風に揺れてはためいていた。


「えと、その」


 少女は背負っていた男を地面に下ろす。

 ぐったりとしている青年の顔には見覚えがある。根岸だ。

 気を失っているようだが、根岸にはまだ息があった。


「ごめん、えと。今、ちょっと、あの、急ぎめで」


 要領を得ないことをつぶやきながら、少女はウェストポーチからシリンダーを抜き出す。

 翡翠色に輝くシリンダーに魔力が通ると、柔らかな風が須藤たちを包む。その風に触れているだけで、体中の傷口が塞がっていった。


「えとえと。ここ、危なくて。来るから、その……」


 回復魔法を行使しながら、少女はわたわたと説明する。

 何か言いたいことがあるらしいが、言わんとすることはまるでわからない。突然のことに、須藤も八島もただ顔を見合わせる。

 しかし、ずん、と重々しい地響きが鳴り響いた時、彼女の言いたいことを理解した。


「……あちゃ」


 まっすぐにこちらに向かってくる地響き。木々をなぎ倒しながら猛然とあらわれたのは、樹海の暴君。

 ティラノサウルス・レックス。

 原生密林を徘徊する暴竜は、大地を揺るがすような咆哮を上げる。それを前に、白衣の少女は片手剣を抜き放った。


「来ちゃった……。すぐ、片付ける、ね」


 片付けるとは言うが、あれをか。

 彼女が強いことは知っている。しかし、こうして目の当たりにすると、それは間違った認識なんじゃないかと思えてきた。

 かたや全長十数メートルの暴竜、かたや一メートル半あるかないかといった少女。質量の差は百倍以上もある。本当にあんな少女が勝てる相手なのだろうか。


 しかし、当の本人に気後れはなく、ゆったりと歩きながらティラノサウルスへと向かっていく。

 暴竜が荒々しく口を開き、一口で少女を丸呑みしようとした、その寸前。

 彼女の姿が、かき消えた。


「……は?」

「おい、嘘だろ……」


 少女が消えた次の瞬間、つむじ風が暴竜の体を引き裂いた。

 まとわりつくように旋回する風は、竜の身に触れるたびに一つずつ赤い線を引いていく。それはまるで、かまいたちのように。

 血管が一本引き裂かれるたびに、ぱっと散った鮮血が暴竜の身を赤く染める。竜が狂おしく身をよじるも、赤い風からは逃れられない。


 あまりにも一方的で、効率的で、残虐な解体作業。

 もはや、戦闘よりも処刑と呼ぶほうがふさわしい。


「うわ、えっぎぃ……」

「ああいった巨体を相手にする時は、失血による消耗を狙うのが定石とは聞くが」

「あれじゃあ、どっちが魔物かわかんねえな……」


 八島が引くのも無理はない。眼前に繰り広げられているのは、配信映えなんてものをまるで考慮しない殺戮劇グラン・ギニョールだ。

 暴竜を切り裂く風は激しさを増し、鮮血は噴水のように吹き上がる。

 おびただしい量の血液が樹海の一角を真紅に染め上げて、体中の血を失った竜はついに倒れ伏す。巨体が大地に横たわると、血風と化していた少女がすとっと地面に着地した。


「よいっ、しょ」


 最後にさくっと、脳天に一撃。

 およそ戦闘と呼べるものは、それで終わった。


「えと」


 返り血に染まった少女がこちらに向く。

 鮮血が、彼女のあどけない顔を彩っていた。

 その赤い顔に鬼の姿を幻視したのは、きっと須藤だけではないはずだ。


「もう、大丈夫、だよ?」


 少女が赤く染まっていたのも一瞬のこと。

 暴竜が絶命し、その身が魔石へと変換されるとともに、彼女を彩っていた鮮血も薄らいで消えていく。

 しかし、その寸前に見せた赤鬼のような姿は、須藤たちの脳裏に強く焼き付いた。

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