幕間

ゆ◯キャン👊🏻2.5 蒼灯すずの星空キャンプ

 #11 いいことおもいついた


 時系列は少し前後して、白石楓が迷宮泊をはじめた日のこと。

 翌日には賑やかになるキャンプ場も、今はまだ彼女のテント一つしかない。焚き火もすでに片付けられていて、光源と呼べるものはテントの中に吊るされた小さな常夜灯一つだけ。

 時刻は深夜。夜闇に包まれたキャンプ場は、暗闇と静けさに満たされていた。


:お嬢、寝ちまったなぁ

:これが睡眠配信ですか

:マジで丸一日迷宮にいたよこの子

:ゆっくり寝ろよお嬢


 白石楓の配信上では今もコメントが流れているが、そのコメントがテントの中で眠る彼女に届くことはない。

 探索者は一般に、ARコンタクトレンズを着用して、拡張した視覚の隅にコメント欄を表示している。

 ARコンタクトレンズは常に装着しておくものだが、就寝時にはさすがに外す。どれだけコメントで騒ぎ立てたところで、彼女の眠りを邪魔するには及ばない。


:寝る時も配信つけっぱなしなんだね

:一応、探索記録って名目だから

:就寝中に何かあったら困るしね

:夜の迷宮は貴重映像なので、それはそれで価値があるんだけど

:いやでも、この画角やぞ

:画角は、まぁ、うん……


 普段は白石の後ろ頭を映しているドローンカメラも、今はただの置き物となって、テントの外に置かれていた。

 しかしカメラは横倒しになっていて、画面の半分はキャンプ地の下草を、残りの半分は地面を映している。

 夜闇もあいまって、ほぼ黒画面と変わらない映像。いわゆる放送事故というやつだ。


:一応、最初は夜景が映るようになってたんだけどなぁ

:なんかの拍子でころんと転がってこのざまですよ

:寝てる間に夜景を映そうとしてくれたことは高く評価したい

:あのお嬢が配信画面のことを考えてくれたんやぞ、信じられるか?

:そうだよな、涙を流して喜ぶのが筋ってもんだよな

:そこまでではない


 惨憺たる映像ではあるが、放送事故なんてこの配信ではいつものことだ。リスナーたちも慣れたもので、映像そっちのけで思い思いに雑談をしていた。

 とは言え夜も遅い時間だ。変化のない映像を見守るのにも限度があり、コメントの流れも止まりがちになってきたころ。


:ん

:あれ、光が

:誰か来た?


 揺れ動くランタンの光と、下草を踏む足音が近づいてくる。

 足音の主はテントの前に置かれていたドローンカメラを拾い上げる。それを片手で大事に抱えて、テントから離れた箇所へと持っていった。


:だれだれだれだれ

:え、何急に、怖いんだけど

:おい真夜中やぞ

:こんな時間に誰かいるなんてありえる?

:草木も眠る丑三つ時、人気のないキャンプ場に訪れた謎の人影……

:あのあのあのホラーとかガチで無理なんですけど

:落ち着けどうせクマかなんかだろ

:それはそれで怖い


 突然の映像の変化。ゆっくりと流れていたコメント欄が急激に加速する。

 テントから十分に離れたところで、カメラを持ち去った人物は立ち止まった。


「さーんにーいいーち」


 リズミカルに数を数えながら、カメラをくるんと回して自分に向けた。


「ばぁ」


:!?

:あおひーかよおおおおおおおおおおおおおおお

:やめろよ怖いってまじで!!!!!!!

:二窓していたワイ、ニヤニヤが止まらない

:おい向こうのリスナー、誰か一人くらい警告しにこいよ!

:鳩なんてするわけないんだよなぁ~w


 カメラを持ち去った人物――蒼灯すずは、にんまりと悪い笑みを浮かべる。


「白石さんのリスナーさん、こんばんは。蒼灯すずです。驚きました?」


:そりゃあもう

:めちゃくちゃびびったわ

:心臓止まるかと思った

:お漏らしいたしましたが何か

:は? 全然びびってねーし余裕だしマジで舐めんなおい

:ちゃんと効いてそうなやつもいます


 沸き立つコメント欄を見て、蒼灯はくすくすと控えめに笑った。

 彼女の瞳に装着されているARコンタクトレンズには、二つのコメント欄が表示されている。片方は彼女自身の配信のもの、そしてもう一つは白石の配信のものだ。

 高速で流れる両方のコメント欄に目を通しつつ、蒼灯は白石のコメント欄に呼びかける。


「白石さんが放送事故してたので、様子を見に来たんですけど。これってどういう状況ですか?」


:あーね

:そういうこと

:俺らもよくわからないんだけど、なんか急に迷宮泊しだしたんよ

:どこかを攻略するとかじゃなくて、普通にキャンプしてるだけっぽい

:なんか嫌なことがあって家出したんじゃないかって説が濃厚


「なるほど、家出」


 その可能性は低いだろう、と蒼灯は考える。

 そもそも白石は一人暮らしであることを、蒼灯は本人から聞いている。家出なんてするわけがない。

 おそらく、何か突飛なことを思いついたけれど、まったく説明していないせいで誤解されているのだろう。蒼灯はそうあたりをつけた。

 しかし。


「なんということでしょう、それは由々しき事態です……!」


 そういうことにしたほうが面白そうだ。

 時に真実に目を背けてでも面白くなる方を取る。それが配信者という生き物だった。


「お任せください。白石さんは私が必ず家に帰してみせます!」


:蒼灯さん?

:声音が完全にふざけてる時のそれ

:家出したなんて微塵も思ってなさそう

:まあ、実際家出説は結構怪しいところある

:でも、だったらなんでこんな場所でキャンプし始めたのかって話よ


「まあまあ。真偽の程は、朝になったら本人に直接聞くとして」


 ひとまず緊急性はなさそうだ。そう判断した蒼灯は、白石のドローンカメラを手に歩き始める。


「皆様。せっかくなので、ちょっとお散歩してみませんか?」


:やったー! お散歩配信だー!

:ちょうどお散歩したいって思ってたんだよね

:お散歩したいしたいしたいお散歩お散歩いこいこいこ

:やんちゃ盛りの犬みたいなリスナーもいます

:大丈夫? 夜の一人歩き、危ないよ?

:蒼灯さんも三層探索者だし大丈夫でしょ


「ここのリスナー、ノリよくて私好きです。……うちのリスナー? いやあ、それはもう、へっへっへ」


 白石の配信コメントを読んでいると、自分の配信でリスナーたちがやんやと騒ぎ出した。「俺らは?」とか「浮気しちゃやだやだ」とか「もう俺も家出する」といったコメントが続けて流れる。そんな彼らを軽くあしらうのも、蒼灯にとっては慣れたものだった。


「それでは……ん、んん」


 蒼灯は一度喉の調子を整える。

 深夜という時間帯に染み入るささやき声で、しっとりと話し始めた。


「改めましてこんばんは。迷宮ナビゲーターの蒼灯すずです。今宵は白石さんの配信をお借りして、夜の第二迷宮を歩いてまいりましょう」


:なんかはじまった

:深夜番組か何か?

:ナビゲーターさんいい声してますね

:まーたお嬢が配信ジャックされてる……

:気になるからお嬢にはぐっすり寝ててほしい

:起きるなよお嬢


「草木も眠る丑三つ時。夜の迷宮は、日中の喧騒とは打って変わって静けさにあふれています。耳を澄ませば、聞こえてくるのは涼やかな虫の音と、どこか物寂しい鳥の声。もちろん人気などどこにもなく、明かりと言えばこのランタン一つしかありません」


:ちょっと怖いね

:どきどきしてきちゃった

:こんな場所よく一人で歩けるなー

:どうか魔物と出くわしませんように

:ランタンがいい雰囲気出してる


「さて皆様。皆様は、そもそも迷宮とはどういうものなのか、ご存知でしょうか?」


 語りながら、蒼灯すずは夜の迷宮を慣れた足取りで歩いていく。

 歩調にあわせてランタンが揺れるたびに、草木が落とす影が揺れ動く。

 ドローンカメラには高性能な照明機能もついているが、緊急時でもなければ蒼灯はランタンを使うことを好んでいた。


「十五年前、突如として地球の地下と接続された、層状の異空間群。それが迷宮です。それぞれの迷宮は異空間でありながら地続きで繋がっており、徒歩で侵入することができます。入り口こそ地下にありますが、地下空間というわけではなく、その実態はまったくの別世界であると考えられています」


:え、ここ地球じゃないの?

:異空間マジ?

:探索者は異世界転移者だった……?

:わりと有名な話やぞ

:地球から徒歩五分、歩いていける異空間

:入り口もあちこちにあるし、結構身近だよ


「迷宮内の環境は地球上の自然環境と酷似しています。大気も土壌も生態系も、地球とそう変わらないものだそうですよ。違いがあるとすれば、魔力という特殊なエネルギーと、そのエネルギーを生態に取り込んだ魔物だけ。特に魔物の存在は迷宮内の探索を極めて危険なものとしていますが、それを除けば普通に自然の中を歩くようなものですね」


:その魔物が大問題なんですけども

:人間に敵対的な生き物が徘徊する世界、普通に怖くないっすか

:そもそも普通の森を一人で歩くのもまあまあ怖い

:しかも夜やぞ?

:探索者のメンタルどうなってんねん

:あおひーも気をつけてね


「ああ、そういえば紹介してませんでしたっけ」


 夜の森をさくさくと歩みつつ、蒼灯は一本のシリンダーを抜き出した。

 白石のカメラの前にかざされたそれは、手のひらサイズの青いシリンダー。無骨な金属製のボディに、識別用のポップなシールが一枚貼られていた。

 これは最近買ったばかりのシリンダーだ。蒼灯にとっては二本目のシリンダーになる。


「見えますか? 氷霜降ひょうそうこう、というシリンダーなんですけども」


:あー、なるほどそれか

:蒼灯さんいいシリンダー持ってんね

:なにそれ、どういう魔法?

:周囲の温度を下げる氷魔法だよ

:冷やしてどうするんですか……?

:そらもう酒をキンキンに冷やしてだな

:そういう使い方もあるけど、この魔法の真価は効果範囲と持続時間にあるんだよね

:周囲に常時展開型の魔法を発動しておくと、魔力に敏感な魔物は勝手に察知して逃げてくのよ

:熊よけの鈴みたいなもん

:はえー、そういう使い方もあるんだ

:格上の魔物は逆に寄ってくることもあるんだけど、この辺ならまず大丈夫


 蒼灯が説明するまでもなく、白石のリスナーは自分たちで補足していた。

 蒼灯としては手間が省けた形だ。感心したように、ほうと息をつく。


「ここのリスナーさん、物知りですねぇ。おかげで説明が楽ちんです」


:えへへ

:それほどでも

:そう大したことでは

:wikiに載ってる情報だけは詳しいよなお前ら

:やめろ迷宮エアプがバレるだろ


「実は、迷宮のこともよく知ってるんじゃないですか?」


:いやあ何にも知らないですねぇ

:迷宮のことなんて初めて聞いたなー

:教えてあおひー、おねがいおねがいおねがい

:お前らただ蒼灯さんの話が聞きたいだけだろ

:ちなみにマジで何も知らないリスナーもいるぞ、ソースは俺


「でも、そんな物知りな皆さんでも、これは中々見たことがないのではないでしょうか」


 森を抜けて、蒼灯は小高い丘に出る。

 山々を縦断する渓谷に面した、小さな丘だ。丘の周囲に木々はなく、渓谷に目を向ければ開放的な視界が目に映る。

 手元のランタンを消すと、開けた空に散りばめられた銀天の星々が、何に遮られることなく輝きを放っていた。


「つきましたよ。ご覧ください、これが迷宮の星空です」


:わああああああああああああ

:めっちゃ綺麗……

:空気が澄んでるとこうなるのか

:地球上でも中々お目にかかれないやつだこれ

:すんごい絶景


「満天の星空に、ひときわ輝く三つの星が見えますでしょうか。上に見えるのがベガ、その左下にあるのがデネブ。少し離れて、右側にアルタイル。そう、夏の大三角ですね」


:んー?

:え、どれ?

:まったくわからん

:もうちょっとカメラ近づけられる?

:光年単位で近づけないと何も変わらないんだよなぁ

:ベガっぽいのは見つけた

:どこどこ?


「見えませんか? そうでしょうね、嘘ですから。あの中に夏の大三角なんてものはありません」


:草

:おいなんだったんだ今の説明

:ちゃんと探しちゃったじゃねえかよ

:俺らの純情を弄ばないで

:意外と騙されてるやついて草

:蒼灯さんいい性格してんなぁ


「面白い……」


 ころころと転がるリスナーたちに、蒼灯の顔に笑みが浮かぶ。

 ちなみに、蒼灯の配信にいるリスナーたちにとっては慣れたものだ。自然と嘘をつくのもいつものことで、「向こうのリスナーピュアか?」とか「俺らも昔はああだったよな……」とか「今じゃ声音で判別できるようになっちまった」といったコメントが流れた。


「迷宮には空があります。昼や夜といった周期もあれば、四季もあります。驚くほど地球に酷似した環境ではありますが、それでもここは地球ではありません。その証左が、あの星々です」


 夜空に染み入る声で、ささやくように蒼灯は語る。


「ご覧いただいているものは、私たちが知るものとはまったく異なる星空です。天体学者の方々が盛んに研究していますが、あの中に地球から見られる星は一つとして見つかっていないそうですよ」


:はえー

:本当に地球じゃないんやな……

:どっか別の星ってこと?

:地球から見られる星が一つもないってことは、相当離れてるのかな

:そもそも同じ宇宙じゃなかったりして


「はたして迷宮とは何なのでしょうね。遠く離れたどこかの銀河の星なのか、地球とよく似た平行世界なのか、あるいは何者かにより人為的に作られた空間なのか。ここは世界最新のフロンティア。この場所には数多の謎が渦巻いていて、その多くはいまだ解き明かされていません。――それでも、確かなことが一つあります」


 蒼灯は手に持っていた白石のカメラを、地面に置く。

 きちんと画角を調整して、転がったりしないように石を支えにして。空を見上げる小さなカメラから、満天の星空がよく見えるように。


「この世界は、こんなにも美しい」


:わぁ

:すっごい綺麗

:画角調整完璧だ……

:なんだかどきどきしてきちゃった

:今、ちゃんとした意味で胸が高鳴ってる……

:いいなあ迷宮、俺も行きたい


 束の間、蒼灯は口を閉じる。

 迷宮の星空を眺める穏やかな時間。蒼灯のリスナーも、そして蒼灯自身も、少しの間この星空を見ていた。


「――このカメラはここで定点カメラにしておきます。白石さんが起きる頃になったら、また取りに来ますね。それまでの間、この美しくも不思議な星空をお楽しみください」


:蒼灯さんありがとー!!!!!

:良いもの見せてもらった……

:この時間まで起きててよかった

:あおひーはいつだって俺たちの見たいものを見せてくれる

:三十分前までの虚無配信が嘘みたいだ

:颯爽とあらわれて、放送事故を完璧にリカバーしていきやがった……

:やっぱあの人すげーわ


 白石のカメラをそこに残して、蒼灯はキャンプ地に戻っていく。

 ランタンを片手に来た道を引き返しながら、満足げに呟いた。


「こういう配信も、悪くないですね」


 我ながらいいことをしたな、と蒼灯は振り返る。

 白石の放送事故をなんとかしようという気持ちがなかったわけではないけれど、それ以上に楽しかった。まずは配信者自身が楽しむこと。それが一番大事なのだから。

 あれだけ喜んでもらえたなら、やった甲斐もあったってものだ。満たされた気持ちで蒼灯は続ける。


「白石さんが起きてきたら、あの子でもっかいやりますか。ドキュメンタリー番組」


 今の時刻は深夜二時。

 白石楓の寝ぼけドキュメンタリーの、四時間前のことだった。

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